2017/06/24 先の見えない時代 | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

2017/06/24 先の見えない時代

 

第二列王記23章 

 

 

 

2度読んだが、心に語りかける1節はなかった。

 

 

ヨシヤ王の改革は徹底しており、

あらゆる偶像と異教の風習をユダの中から取り除き、

その治世の18年目に、過越のいけにえを捧げた。

 

 

これはイスラエルの歴史のなかでも特筆すべき出来事で、

聖書は「彼のように心を尽くし、精神を尽くし、

力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、

主に立ち返った王は、彼の先にも彼の後にもいなかった(25節)」

と告げている。

 

 

それにもかかわらず、と26節に続く。

 

 

マナセが引き起こした主の怒りは静まらず、

ユダの捕囚の運命は変わらなかった。

 

 

ヨシヤ王はこのあとエジプトに戦いを挑んで死に、

ヨシヤの子はエジプトの傀儡政権となり、悪政を行った。

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによれば、

パロが王座につけたヨシヤの子エホヤキムは、

預言者エレミヤを穴の中に幽閉した王である。

 

 

ここから私たちが学べることが何なのか、正直わからない。

 

 

わかりやすい道徳的教訓があるようにも思えない。

 

 

ヨシヤのしたように、主の律法に忠実に歩み、

自分たちの心や生活の中から主を喜ばせないものを徹底的に取り除く、

というのはひとつの教訓ではあるが、

そうしたらすべてうまくいく、という話ではなく、

それでもユダは主のさばきを受け、エジプトの支配下に置かれた。

 

 

エレミヤがこの時代の人だった、ということは偶然ではない。

 

 

この時代のユダは、先の見えない時代と言えるだろう。

 

 

周囲の大国に翻弄され、政治は不安定で、未来は予測不能だった。

 

 

人々と王は、「明日はきっと良くなる、上手く行く」という

前向きな言葉を聴きたがり、

そのような預言者が王に雇用されたが、

エレミヤのような陰鬱な未来を指し示す預言者は投獄された。

 

 

現代は、おそらくこの時代に近いといえる。

 

 

「偽の希望」を人々は聴きたがっている。

 

 

本当に主のことばを語る人は

無視され冷遇されるような時代かもしれない。

 

 

しかし主の教会のひとりとして、

社会に向けて真実を語る者でありたい。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月8日(水)