2017/06/22 主のしもべ、預言者たち | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

2017/06/22 主のしもべ、預言者たち

 

 

第二列王記21章10節

 

主は、そのしもべ預言者たちによって、次のように告げられた。

 

 

 

21章はヒゼキヤの子マナセの統治。

 

 

マナセは55年間という長期政権であり、

ユダの王の中で最悪の統治者だった。

 

 

彼は偶像崇拝を行い主の宮をも恐れなかった。

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによれば、

伝説ではマナセはイザヤを

のこぎりで真っ二つにして殺したとされている。

 

 

マナセの時代にも預言者は黙っていなかった。

 

 

10節に出てくる「預言者たち」が誰なのか具体的には書いていない。

 

 

イザヤも含まれていたかも知れないし、

イザヤはもう殺された後だったかも知れない。

 

 

いずれにせよ、当時の預言者たちは

命の危険を冒して預言をせねばならなかった。

 

 

しかもその預言の内容は希望の預言ではなく

陰鬱な「裁きと亡びと警告」だった。

 

 

ヒゼキヤが生きていたとき、

イザヤはヒゼキヤと二人三脚で働いた。

 

 

ヒゼキヤはイザヤを尊敬し、

人生と王国の重要な局面で必ずイザヤの助言を求め、

そしてそれは数々の奇跡をもたらした。

 

 

統治がヒゼキヤからマナセに変わると、

イザヤと預言者の立場は一変する。

 

 

伝説が事実かどうかは別にしても、

このような伝説が残っていることから推察するに、

イザヤをはじめ多くの預言者たちが命を追われ、

辛苦を味わったに違いない。

 

 

それでも預言者たちは主の心を預言せずにはいられなかった。

 

 

彼らには口を閉ざすという選択肢はなかった。

 

 

私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」

と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、

骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、

私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(エレミヤ20:9)

 

 

エレミヤがこう語るように、

預言者は主のことばを託されたなら、

それを内側に押し込めておくことは出来ない。

 

 

伝えることが自分の破滅を意味するとしても、

それでも語らねばならない。

 

 

さりげなく「そのしもべ預言者」と、

「しもべ」が挿入されているところに、主の配慮を感じる。

 

 

彼らはもしかしたら世俗的な基準では

「犬死に」したようなものかもしれない。

 

 

もっと権力におもねれば、命を失ったり生活苦にあえいだり、

妻子が苦しんだりすることもなかっただろう。

 

 

周囲にバカにされたかもしれないし、

「もったいない」と言われたかもしれない。

 

 

しかし彼らは預言者だったので、

主のことばを語らずにいられなかった。

 

 

そのような彼らに主は「この者たちは私のしもべだ」と

宣言して立場を守っているように、私には思えるのだ。

 

 

主はご自分に忠実な者の名誉を、最後には守ってくださる。

 

 

この世では何の報いも得なくても、

主は最後には守ってくださると信じて、

忠実に主に仕えていきたい。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月6日(月)