2016/03/31 journal
■タイトル:
ヘブル版の「名は体を表す」
■聖書箇所:
創世記29章34節
彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度こそ、夫は私に結びつくだろう。私が彼に三人の子を産んだのだから」と言った。それゆえ、その子はレビと呼ばれた。
ヤコブはラバンの元にたどり着き、
7年の約束のところをラバンに騙され、
14年仕えることになる。
7年目にラバンとの交渉の結果、
レアとラケルを妻に娶る。
ヤコブは「面食い」だったため(17節)、
ラケルの方を愛した。
レアはさぞかし傷ついただろう。
そのようなレアを憐れみ、
主はレアの胎を開かれた、とある(31節)。
その結果、次々と子どもが与えられるが、
その名づけ方は、創世記の名づけ方に特徴的な、
「そのときの母親の気持ちや感情をそのまま名前にする」
という付け方である。
ちなみにヤコブは双子で生まれてきた時、
兄エサウのかかとを掴んでいたため、
「かかと=アケブ」にちなんでヤコブと名付けられた。
脚注を見ると、ルベンは「子を見よ」、
シメオンは「聞く=シャマ」の派生、
ユダは「ほめ称える=ヤダ」の派生、
レビは「結ぶ=ラバ」の派生とある。
特にレビの名前は示唆的である。
「名は体を表す」という日本語があるが、
ヘブル語にもそのような言葉はあるのだろうか。
おそらくはあると考えられる。
アブラムがアブラハムに、サライがサラに、
ヤコブがイスラエルに、
改名されるという出来事は
まさに名前と人格の連関が、
ヘブル文化において強いことを表している。
レビは日本名だとするなら「結」である。
レビ族はのちにモーセとアロンを輩出し、
祭司の一族となる。
そのレビの名が「結ぶ」であることは面白い。
彼と彼の子孫は神と人を結びつける使命を帯びていくのだから。
私に子どもが授かった時どのような名前をつけるか、
主にいまから祈る必要があるかもしれない。
また、主が両親を通してつけてくださった私の名前を愛し、
大切にし、その名前が指し示す事柄が、
人びとを祝福するために用いられるようお祈りしようと思った。