朦朧とする
朦朧(もうろう)とする、
と読みます。
「もうろう」なんて漢字、手書きで書いたことはありません。
書こうとすら思いません。
なんか黒い四角がふたつあるようにしか見えない。
恐らく僕も老眼が進んでくると、
朦朧が、■■って見えるんだろうな。
今でも近いものがあるけど。
朦朧の中身がどうなってるか、
知ろうという気力も起こらない。
複雑な漢字に、なえる僕。
暑すぎて意識が「もうろう」とします。
景色が陽炎のように揺れています。
記憶も陽炎のように、
毎日が幻のように過ぎていきます。
ふぅ。
本当に久しぶりに、
サボっていたFVIの会計をしています。
今まで忙しさを言い訳にずっと手を付けてこなかった。
ひたすらエクセルの数字と格闘する。
とても苦手な分野。
でも以前の数字を見ていると、
数字から記憶が躍り出てきて、
「あぁ、そういえば去年の今頃は、
福島未来会議をしたなぁ。」
とか、
「あぁ、8月は餃子キャンプがあったなぁ」
とか、感慨にふけるわけです。
そしてFVIにこんなにも多くの人が関わり、
祈り、献金してくださっていることが、
数字を見ていると、
まるであぶり出しの絵のように、
数字の羅列の向こう側に見えるのです。
人々の祈りが。
人々の想いが。
僕自身の情熱が。
そして、神様の愛のようなものが。
FVIは非営利団体なので、
会社経営とはちがって、
利益を出せば出すほど良い経営、
というわけではないし、
事業が拡大すればするほど成功している、
というわけでもない。
安定して運営されていることは結構なことだけど、
それは実は悪い安定や停滞を現している、
という罠もある。
戦艦大和のほうがゴムボートよりも沈みにくいのと同じで、
それが会社だろうがNPOだろうが市区町村だろうが、
経営という観点だけからすると、
経営(運営)規模が大きければ大きいほど、
沈みにくい、ということは言える。
「寄らば大樹の陰」は、
無根拠ではない。
でも、今という時代は、
戦艦大和すらあっけなく沈む時代。
波のスケールが違う。
地殻変動が起きている時代。
、、、
だからゴムボートはもっと沈む。
ははは。
だけどね。
ゴムボートでしかたどり着けない秘境があるように、
小さな規模で運営することによってしか、
させていただけない神の働きが、
あるように思っているのです。
まったく安定していないFVIの運営なのだけど、
不思議と神様によって、まだ沈んではいません。
ありがたいことに。
このひとつの事実だけを見ても、
神様の愛と優しさが見える。
ありがとう、神様、と思う。
そして、ありがとう、みんな。
いや、みなさん、
と思う。
一度でも一瞬でも、
FVIのために祈ってくださった方、
100円でも1円でも、
FVIのために献金してくださった方、
本当にありがたいと思う。
いや、僕が、というより、
神様がありがとう、
と言っておられる、と僕は信じている。
皆様のお祈りと献金で、
助かっているインドの奥地の人がいたり、
エチオピアの若者がいたり、
ガーナのおばさんがいたり、
福島の誰かがいたりする。
その効果はとても道筋を「わかりやすく」示しづらく、
シンプルでもダイレクトでもない。
ホームページやブログで、
どうにか皆さんにわかりやすく伝えようと、
悪戦苦闘しているけど、
上手くいくこともあれば、
上手くいかないこともある。
でも、ビリヤードのボールのように、
皆様のお祈りと献金は確実に、
ボールをポケットに入れている。
神の国の働きを成し遂げている。
僕やみなさんの祈りは、
必ず、必ず何かを成し遂げている。
決して無駄ではない。
今僕は自分自身にも、
言い聞かせるように言っている。
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
聖書Ⅰコリント 15:58
決して無駄ではない。
極端に言えば、
生きてそれを見ることはなかったとしても、
僕たちが神様のためにしたすべては、
むなしく終わることはない。
FVI会計の無機質な数字の羅列を見ながら、
その間からこぼれる体温を感じ、
ありがとう、と思う。
僕がそれを言う立場にいないのは分かっているのだけど、
ただ、そう思う。
いつもそう思っている。