ということを最近思います。
子供の事を思いやって厳しくしたり、バカだなあって思われるくらい自分の身をなげうってまで思いやりのあるアプローチが出来たりするのが親バカで、
自分の思った通りに育てようとしたり、エゴたっぷりにあーだこーだ進路に口を出したり(これは線引きがかなり難しい)、それこそモンスターペアレンツなんて自分の事しか考えてないですよね。
大人の形をした子供、って度々見ます。
きっと
自己愛
と
他者依存
が激しいんだと思います。
自分が正義である、自分は悪くない、こんな風になったのはお前のせいだ
このような観念が行動となって
論理的根拠のないクレーム、あらゆる事物への思考停止、が起きているのではないだろうかと私は考えます。
あらゆる事物への思考、懐疑する習慣を持ち合わせていれば
どうしてこうなったのだろうか、私はどのような立場で、どのくらい相手の事を現状イメージできているのか(人見知りをしない程度の軽いものでない、本当の意味でのコミュニケーション能力)、過度の一般化や偏見で判断してしまってはいないか
考える機会があると思います。
論理的根拠のないクレームはここまで考えていればとても出来ないですよね。
じゃあなんでクレームをしてしまうのでしょう。
きっと寂しいんだと思います。
環境です。日本人であるのに日本人らしい暮らしから離れていった故の孤立無縁社会のポストモダン状況だと思います。
本来西洋諸国にも教区など存在しましたが、日本には村社会、隣組などが存在した上に特筆したいのは
障子
のことですね。
障子は西洋建築にはない相手の存在を認識しうる仕組みがたくさんあります。
影や足音、ですね。
あくまでもここまで全て自分の意見なのですが、挨拶一つとっても相手に存在を認識しているよというメッセージを届ける事は地道ではありますが重要な事だと思います。
先ほどの大人の形をした子供
のワガママも少しは減るのではないでしょうか。
まずは少しでも社会との接点を増やす事、増やす事のできる社会の形が望ましいのではないかと考えています。
僕なりに分かりやすくロードマップの役割をする言葉を一つもいれてないので、分かりにくいとは思いますが
問題提起→意見
を書いたつもりです。
それではまた。
