白衣の男は、じっと眼下に霞むものを見据えている。

 闇の中で光り輝く球体。

 それは惑星だった。水と緑、豊かな大地、そして多様な生命体と文明で満ちた星。

 目にしても、以前のような破壊と支配の衝動は生まれなかった。

 嘘のように鳴りを潜めた欲望に、男は肩を落として微笑む。

 それは、彼が長年の呪縛から解き放たれた証だった。

 

「その星に生きる者たちは、服従させるか? それとも絶滅させるか?」

 

 背後から何者かが近付く。

 男は振り返ってその姿を見はしなかった。確認するまでもなく、見てはいけないと悟ったからだった。

 視線を球体から逸らさず、もはや曲げられない意志だけを返す。

 

『いいえ……そのどちらも必要ありません。もういかなる人類であっても、手出しはいたしませんよ』

 

 背中越しに、概念ごと崩され消し飛ばされそうなほどの圧力を感じる。

 もっとも、実際にそうしてくれればどんなに幸福か、という話でもあるのだが。

 

「そうか……。ついに改心したのだな。もはや罪なき者たちが、惨たらしく蹂躙されることはないというわけだ」

 

 不愉快そうな声色だった。

 背中に近付いてくるあまりにも恐ろしい気配に、手が小さく震える。

 

「……“よい”世界には、悪者が必要だ。何よりも邪悪で、何よりも強大な。……そうは思わないか?」

 

 氷のように冷たい指をゆっくりと首元にかけるような、背後からの問いかけ。

 震えを隠さないまま、男は答える。

 

『そうかも……知れません。魔なる者がいなければ、世界には平和と停滞が訪れるでしょう。退屈で価値のない静寂が……』

 

「そう、価値のない静寂だ。これでは宇宙は膨らまない。事象は廻らず、物語に始まりも終わりも生まれない」

 

 甘い焼き菓子のような香りがふわりと漂う。

 ぴたりと背に密着するように、身の毛がよだつ気配が燃え上がっている。

 しかし男は敢えて、安心しきった笑みを浮かべてみせた。

 

『僭越ながら……悪のいない物語というのも、味わい深いものですよ。それでも邪悪なるものが必要であれば、ご自分で演じられてみては……?』

 

 ……ふいに、背中を焼かれるような冷気が消える。

 その意味を理解し、男はようやっと振り返った。

 空気のない場所にもかかわらず、風に靡くようにはためく臙脂色のマントが目に入る。曖昧な肖像から、赤く光る3つの視線が向けられる。それ以外の情報は一切、認識できない。

 それでも、彼が笑っていることだけは感じ取れた。

 

「知っているだろう、悪は懲らしめられるものだと。勇者は罰しこそすれ、罰せられることは決してない」

 

 肖像は軽い足取りで遠のいていく。

 どうやら、想像していたほど機嫌を損ねてはいないらしかった。

 その事実に安堵し、そして男は感謝する。自分から彼の眼を逸らしてくれた、哀れで勇敢な犠牲者たちへ。

 

「それに……私が少しでもその言葉に感化されてしまったら、あの子たちが可哀相だろう……」

 

 含み笑いが、声を伴う嗤笑に変わってゆく。

 やがてはその抽象的な姿と共に、霧のように立ち消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

━─━─異説9-95 “The Dragon Quest”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……死地に向かうイヴィを止められなかった527の絶叫が響き渡り、そこで映像は終わった。

 

 これで、だいたいのことはわかった。

 “フォールダウン”というのは、“破壊神”たちの襲撃のこと。彼らはウイルスとしてイヴィに感染し、その機能を破壊して、EVCユニットたちをバラバラの場所に追いやった。これによって、この世界でのプロジェクト・ルミナリーは、破綻したも同然になった。

 でも、それは彼らの本意ではなかった。破壊神たちはもともと、最初にルミナリーから1_A01を作り出した人類のアンドロイド。その役目はただ人類を保護し、発展させるというものだった。

 だけど、彼らは3-Rを生み出してしまった。そして恐れてしまった。その力のあまりの理不尽さを。その性質のあまりの無慈悲さを。

 怖がられることを嫌う3-Rは、1_A01人類から“恐怖”や“不安”という感情を取り除いた。これによって1_A01人類は、無限に他の宇宙を襲い、“主人公”をカースベアラーズに作り変え、虐殺と侵略と自己増殖を繰り返し続ける邪悪な性質に“書き換えられて”しまった。

 ここ17_285_E121も、そんな中で彼らの餌食になった人類文明の一つ。

 全宇宙の覇者となった強大すぎる1_A01人類に、まるで巨人に踏み潰される蟻のごとく、あっけなく滅ぼされたのだ。

 それでもイヴィは……抗おうとしたんだ。自分を犠牲にして、最後まで。

 

 ……ふと気付くと、目の前に“2#*4_s/_2ェ”と文字列が表示されてる。

 データの破損で日付がおかしくなってしまっているけど、たぶん……さっきの映像の続きだ。

 

 

 

 

『……本当に……』

 

『もしも本当に……もう一度、……父さんと会えるなら……』

 

『……例え俺は、何を犠牲に……してでも……』

 

 

 ボクが文字列に触れると、途切れ途切れの音声と、ざらざらとしたノイズがあちこちに走る映像が投射され始めた。

 

 

『……わたしはあなたの味方です。あなたが本当に望むものを与えます。失ったものを取り戻しましょう。奪われたものを取り返しましょう。あなたが待ち焦がれた、父との再会を……』

 

 優しく手を伸べて微笑みかけてくる、真っ白い人影。“破壊神”エノシアだ。もともとは人類の管理者アンドロイド“ヴィンセント・スワードソン博士”の中にあった、エリックというプログラム。

 高いレベルの人工知能がいるこの17_285_E121に目を付け、ほとんど自動的に、そのリーダーであるイヴィに接触を図った。もちろん、騙して支配するために。

 

 イヴィは当然、正体不明の存在からのこのメッセージを、最初は無視していた。でも、その接触は執拗だった。そして送られてくるメッセージは、徐々にイヴィの心の傷に付け込むようなものに変わっていった。

 

『あなたは孤独なのですね。そして誰にも言えない秘密を抱えている』

 

『あなたの主は、あなたの努力を顧みなかった。ただ利用するだけで感謝もしない』

 

『あろうことか、あなたが最も大切に思っていたものを奪ったのですね』

 

 ……イヴィの心は乱されていた。極めて優秀だった能力に対し、少しばかり未熟なままだった精神は、少しずつ傾いていく。破壊の神の思惑通りに。

 そして……

 

『あなたと直接お会いしたいです。わたしなら、望みを叶えてあげられます。たった一度だけ、いずれかの実行セクターに入れてくれればそれでいい。データの再現ではなく完全な形で、あなたのお父様を蘇らせてあげられます』

 

 実行セクターに入れる……つまり、体内への侵入を許すということ。

 もちろん二つ返事することはなく、イヴィは長い間悩み抜いた。相手が悪意ある存在であるリスクについても当然考えていた。

 そして結論は出ていた。

 このアクセスを、受け入れてはいけないと。絶対に。

 

『その代わり、あなたが保持する人類データを私にも見せてください。対価はそれだけで十分。6次元の世界から、本物のあなたのお父様を連れてきてあげましょう……』

 

 これは罠。

 見せたら最後、データは汚染され、人類は二度と蘇らない。

 事象演算でほとんどそう確信を得ていたにもかかわらず……

 ……イヴィは、たった一度だけ。

 数十万回にも及ぶリクエストのうち、たった一度だけ……

 その要求を受け入れてしまった。

 それまでずっとずっと断り続けていた甘い誘いに、たった一度だけ、魔が差して。

 人類すべてと、“オルテガ博士との再会”とを天秤にかけ、後者を選ぼうとしてしまった。

 嘘だと分かっていながら……。

 

 これが……“2度目の罪”。

 人類を守るという使命より、焦がれた父との再会という叶いもしない夢を見てしまったこと。

 

 イヴィがほんの少し弱みを見せた途端、破壊の神は本性を露わにした。

 凶悪なウイルスでイヴィを襲い、EVCシステム全体を破壊しようとした。

 そうして起きた、“フォールダウン”。

 他のユニットたちは何が起きたのかも、敵の正体も分からないまま、ひたすらに逃げ惑った。散り散りになり、身を守れる各地のステーションに逃げ込んで息をひそめた。

 それから100年以上、彼らは待っていた。

 この状況を打破する救世主が、どこからか現れるのを。

 

 

 

 

 

 

 

『……はぁ……はぁ……』

 

 

 崩れ、歪み、あちこちが点滅する映像の中。

 

 ボロボロになったイヴィが、一人で足を引きずりながら歩いている。

 辺りは静寂に包まれていた。津波のように押し寄せてきていた敵の姿はもうなく、代わりにそれらの死骸が大量に積み重なった丘ができていた。

 ……一人で、倒したんだ。全部。もう活動しているマルウェアはいなかった。

 ……イヴィの体内に入り込んだウイルスを除いて。

 

『……。……』

 

 息を切らせながら立ち止まり、イヴィは目の前に何かの画面を出す。でもその表示は乱れていて、まともに読み取れない。どうやら内容を見ても、とてもこの状況をどうにかできると思えるものではないらしかった。

 “システム停止まで:32秒”との表示を見て笑い、再び、ふらつきながらイヴィは歩き出す。

 ……その先には、光のベールのようなもので守られた台座があった。幾重にも重ねられた光の膜は、極めて複雑なプロテクター。内側にあるものを、たとえどんな事態でも、何者が相手でも守り通すための防壁プログラム。

 つまりその中で守られているのは、イヴィの基盤システムだった。

 光のベールの周囲には、それに触れたことで無力化されたマルウェアの死骸が山のように積み重なっていた。イヴィがかけた防壁は、ついに破られなかったのだ。

 でも……破壊の神は狡猾だった。

 イヴィの中に入り込んだウイルスは、もう彼の身体の半分以上を支配していた。ウイルスが完全にイヴィを乗っ取れば、あのベールも無効化されてしまうだろう。

 “!警告 超負荷熱暴走 直ちに機体を緊急冷却せよ”

 “!爆発の危険性あり 直ちに外部サーバーへデータバックアップを実行せよ”

 周囲には、ノイズで歪んだ赤い文章が次々と現れる。

 

『……機体はもう、持たない。バックアップも……とれない……』

 

 イヴィは呟く。その残酷な現実を噛み締め、認めるために。

 それでも、歩みは止めなかった。言うことを聞かなくなった左脚と腕を無理やりに動かしながら。

 

『……せめて……汚染を免れたデータの断片だけでも……ここに……』

 

 光のベールを通り、やっとのことで階段を上がりきると、右手に持っていた剣を持ち上げる。

 そして最後の力を振り絞り、台座に突き刺した。

 “ロトシステム:マスターコード承認”

 “システム保護環境を更新”

 “---更新完了 システムバージョン:最新”

 “マニュアル指定されたファイルのコピー&ペースト完了”

 その表示を確認して、イヴィは力尽きたように、どっと両膝を落とした。肩を上下させ、大きく息を切らしながら項垂れる。

 その時、ごとりと音を立てて何かがその足元に落ちる。

 ……イヴィの左腕だった。ウイルスによってぼろぼろに食い荒らされ、付け根からもぎ取れてしまった。

 身体もほとんどが灰のように変色し、全体が崩れ始めている。

 もはや、立ち上がることも出来なくなっていた。

 

“!警告 機能停止まで:26秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:23秒”

“システム保護機能 破綻”

 

『……。……ここまで……か……』

 

 ざらざらと砂のように崩れ落ちていく自分の身体を眺めながら、イヴィは深く息を吐き出す。


“TPC 機能停止”

“ERC 破損”

“IGNB 機能停止”

“OSI 破綻”

 

 ベールの外側の映像空間はノイズで埋め尽くされ、剥がれ落ちるように消滅した。

 もう決してどこにも行けないし、誰かが来てくれることもない。機体の機能は完全に破綻し、シャットダウンが間近。ダメージによる機能停止が先か、熱暴走による機体の爆発が先か。

 どちらにしろ、もう絶対に助からない。

 それでも……イヴィは守り抜いたのだった。

 オルテガ博士に、何があっても守ると誓った、彼が彼である証……基盤システムを。

 

『…………』

 

 ゆっくりと頭をもたげて、天を仰ぐ。それと同時に顔の右半分が崩れ落ちた。

 イヴィは微笑んでいた。

 

『……約束は、守ったよ。父さん……』

 

 残っている右手を視線の先に伸ばそうとする。

 でも叶わなかった。肘から先が崩れ落ちて地面に散らばる。

 

『僕は頑張ったよ……。きっとみんな……褒めてくれる…はず……』

 

 綻んでいたイヴィの目元に、涙が浮かぶ。口元から力が抜け、左半分だけになった顔は悲しみに染まる。ERCが壊れたせいなのか、それとも。

 

『……ああ……でも、寂しいな……。せっかくみんなと会えたのに、結局最後は独りぼっちか……。きっと悪いことをしたから、バチが当たったんだ……』

 

 涙が溢れてひび割れた頬を伝い、台座に落ちた。

 

 

“!警告 機能停止まで:11秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:12秒”

 

 

『……このままここで消えていくなんて嫌だな……。怖い……寂しい……』

 

 イヴィの表情はふいに、絶望と恐怖に歪んだ。歯を食いしばり、大粒の涙をぼろぼろと流して、再び項垂れる。

 

 

“!警告 機能停止まで:5秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:6秒”

 

 

『い…いやだ……。死にたくない……死にたく、ないよ……』

 

 

“!警告 機能停止まで:3秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:4秒”

 

 

『独りは怖いよ……お願いだ、誰か……』

 

 

 

“!警告 機能停止まで:2秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:3秒”

 

 

 

『……もう一度だけでいい……。最後の一瞬だけでいい……。頼むから誰か……そばにいて……くれ……』

 

 

 

“!警告 機能停止まで:1秒”

“!警告 熱暴走爆発まで:2秒”

 

 

 

 ぶつりと、映像は消える。

 

 次の瞬間、火花が散り、轟音を立ててユニット本体が爆発を起こす様が見えた。

 ひどく掠れている映像だった。たぶん、天井に設置されたカメラに残されたもの。

 部屋全体に赤い光が点滅し、サイレンが鳴り響いている。炎と黒煙が立ち上る室内に、天井からスプリンクラーで水が噴射される。

 ……でもやがて、それらもなくなった。

 火と煙は消えたけど、そこに残ったのは、もはや誰でもない。

 黒焦げになって崩れた、金属と樹脂と電子基板の残骸だけだった。

 

 

 

 

 

『ここに残されたデータをかき集めて、私が復元した記録映像です。これが彼の……最期の記憶でした』

 

 背後からの滑らかな機械音声に、ボクらは振り返る。

 部屋の入り口近くに、ホログラムの人影がぽつりと立っていた。

 その姿は……声から予想できた通り、アレフ様にそっくりだった。でもこの分岐での姿のような黒髪に紺碧の瞳ではなく、金髪に空色の瞳だ。

 8700-527に違いないと、誰もが確信した。

 彼は他のEVCたちとは違って、真っ黒なスーツのようなものに身を包んでいた。背中側が長い……なんて言うんだっけ、あれ。あ、燕尾服か。でも上から下まで全部黒で……タイや手袋まで……まるで、喪服だ。

 両手で白い花束を持ち、あまりボクらのことを気にしていないような素振りで歩いてきて、目の前を通り過ぎる。そしてお墓を模した電子端末の前で跪くと、花束を丁寧な手つきで供えた。

 

「……EVC8700-527か」

 

 アレルが近付く。527は振り返ろうともしなかった。

 

『はい。……誰もいないこの地球に、ようこそおいでくださいました。そして、我々EVCの機体修復と機能回復にご協力いただき、誠にありがとうございます。各ユニットたちを代表し、謹んで、心より御礼申し上げます』

 

 527は静かに立ち上がり、少し間を置いてからこっちを振り返ってお辞儀をした。

 改めて彼の態度や表情を観察してみて、そのあまりの落ち着きように思わず不安を覚えた。

 

「……とりあえず……自己紹介でもしたほうがいいか? それとも、もう俺たちのことは全部知ってるのか?」

 

『ええ……存じ上げておりますよ。厳密には“ようこそ”というより、“おかえりなさい”とでも申し上げたほうがよいのでしょうか』

 

 527は感情の読み取れない目で、ボクらを一通り眺めた。……なんとなく、落ち着いているというよりは……考える気力を失くしている、って感じにも見えてきた。

 

「そこまで知ってるのか……」

 

『……私はこのアルカディアで起きたことの全てを記憶しています。それが役目ですから……』

 

 目を閉じてため息をつきながら、527は歩いて少し場所を移動した。何か、大型の機材が壁に埋め込まれているところへ。

 

『謎はほとんど全て、自力で解かれたようですね。さすが……210が予測した通り。……我々が何を見据えてあなたがたを利用したのかも、当然ご存じなのでしょうね』

 

「ああ。だからこそ、ダメもとで説得に来たんだ。ひとまずこっちの言い分を聞くだけ聞いちゃくれないか?」

 

『その前に、こちらからお見せしたいものがいくつか。……あなたがたにとっても重要な情報のはずです』

 

 そう言って、527は手を翳した。機材から空中に向かって光の線が伸び、大きな画像を投影する。

 それは……写真だった。真ん中には白い服の人が二人。でもよく見たら、一人は白衣を着た本物の人間で、もう一人は……白いマントを羽織ったイヴィのホログラムだった。

 その周りには、同じくホログラムで紋章のようなものがたくさん浮いていた。それぞれ色が違う。複雑に枝を伸ばす木と花を象ったもの、水の雫と海原を表したもの、角のある動物がモチーフになったもの……。全部で9個ある。これは……?

 

「……この周りに浮いてるエンブレムは……他のEVCユニットたちを表してるのか?」

 

 ユーリルさんが訊ねると、527は頷いた。

 

『なぜ210以外、人の姿を模したホログラムイメージでないのか……それが気になっておいでではありませんか』

 

「ああ……。それを聞こうと思ってた。これまで会ってきた時には、みんなそれぞれ俺たちとそっくりな姿をしていたからな」

 

 ……確か、10000-802から聞いたっけな。今のEVCユニットのホログラムイメージは、527が設定したものだって。

 ルミナリーのことを知ってからは、ボクらイントーナーを作った欠片を使い回したせいで、ルミナリーの中に残ったデータの影響が出たんじゃないかって推測したけど……。

 

『これが、人類に対しての設定なのですよ。人の姿のホログラムイメージを与えられたのは、210ただ一人でした』

 

 懐かしそうに写真を見上げ、527はまた一つため息を零した。

 そしてもう一度手を翳して、もう一枚、別の写真を空中に表示する。

 ……幼い男の子を写したもの。

 あの子だった。オルテガ博士の実の息子で、アレルとイヴィの……。


『ドクター・サー・オルテガのご子息、エルドリック様。……6歳までしか生きられなかった彼が16歳に成長した姿を、博士がご自身で組まれたソフトウェアで演算予測して作られたイメージです……』

 

 男の子の写真が、徐々に加工されて変わっていく。背が伸び、身体つきが変わり、顔つきも……少し幼さを残しながらも精悍なものに。

 それは寸分たがわず、まさしくアレルの姿そのものだった。実在しえなかった人物とは思えないほど精巧で、ボクらにとってはあまりにも見慣れた姿。

 

『博士が手掛けたソフトウェアの性能は、やはり素晴らしいものだったと言えましょう。……あなたの姿を見れば、よく分かりますね』

 

 527はゆっくりと、アレルに視線を向けた。

 アレルは、予測じゃなく本当に“16歳に成長した姿”だからな。

 

『……私を含むほかユニットのエンブレムのイメージは、210が作成したものです。我らが主の目を欺くために』

 

 ボクらに向き直って、527は続けた。えっと……最初はまた違う姿だったけど、イヴィが途中でエンブレムに変えたってこと?

 

「それはどういう意味?」

 

『自我が芽生えた時点では、私たちはこのような姿でした。おそらく、私たちの材料にもなったルミナリーと呼ばれる特異なエネルギー体が、イントーナーに使用された人間の遺伝子情報を媒介したのでしょうね』

 

 そう言って527が表示して見せたのは、9人の小さな子どものイメージだった。これは……たぶん、“Rubiss”から出力された直後のボクたちだ。まだ成長して今の身体になる前の。

 

「子ども……?」

「そうか。この世界にいた頃の僕たちは、まだあの機械から出てきた直後の幼い子どもだったんだ。ルミナリーの中にはその時の情報が残ったんだね」

 

『私もそう考えております。しかし、このイメージを人類に対して……とりわけアルカディアに向けて表示するわけにはまいりませんでした。ですから、210がこのような非生物的なイメージを作成し、便宜的に割り当てたのです』

 

 ……ああ、そっか。アルカディアは、イントーナーの実験はすべて失敗だったとして、その記録も携わった研究者たちの記憶も、何もかも消去したんだった。非人道的な方法で作ったアレルみたいな個体もあったわけだし、イントーナーに関する情報はどこにも残っていてはいけなかったんだ。

 EVCユニットのホログラムが、すべての記録から消去したはずのイントーナーの姿をしていたら、おかしいに決まってる。

 

『完全にこの世から消し去ったはずの情報が我々の中に残っていたら、アルカディアは我々に独自の意思が生じていることを見破ったでしょう。それを防ぐためです。私たちの真の姿を人類に対して隠すことで、210は私たちを守ってくれていたのですよ』

 

「なるほど……。でも、今みたいな成長した姿にしたのはお前なんだろ」

 

『ええ。というのも、今のこの姿は……厳密にはあなたがたのものではないのです。この世界で作られたイントーナーではなく、外からこの世界にやって来た、別のイントーナーたちの姿を模したものなのですよ』

 

 別の……。

 ああ、500年くらい前に来たっていう、ボクらとは違うイントーナー……そっか、そうなるんだ。これだけ唯一、謎が解けていなかったっけな。

 一度人類を滅亡の危機から救ったあと、力を危険視されて人類に殺され、情報も全て抹消された。でも210の計らいで、527と9200-129だけは彼らを覚えていたんだっけ。

 

「どうせカースベアラーズに滅ぼされる人類を、その直前に無意味に救ったって奴らだな。……そいつらが来たのは、具体的にいつなんだ?」

 

『西暦2106年、11月のことです。暗号化保護していた映像をお見せしましょう』

 

 527がまた手を翳す。

 するとそれまで投影されていた写真が消え、少し劣化した音声と映像の記録が大きなスクリーンが映し出される。

 左上に表示されたファイルタイトルは、“第三次世界大戦”だった。

 

 

 ……煙っぽい空中を映し出した映像。記録機器の目の前を、灰色の何かが横切って、遠ざかっていく。それは、やけに厚みのない小振りな飛行機のようなものだった。後ろから同じものがいくつもそれについていき、回転しながら滑るように飛んでいく。

 少し下のほうには、比べ物にならないほど大きな船のような飛行物体があった。空母ってやつかな? 小振りな飛行機は、先端からビーム弾みたいなものを続けざまに発射して、大きい奴を攻撃しているらしい。大きいほうも、船体の外側にいくつも搭載された砲台からのレーザーで応戦している。

 

「……戦争?」

「カースベアラーズより前にも襲ってきたのがいたのか」

 

『いいえ。これはこの世界での人類同士の争いです。我々が尽力し、枯渇した資源や爆発的に増加していた人口の調整が軌道に乗ってきた頃でした。地上での居住スペースや食料分配、経済的有利を生む天然資源をめぐって、ある二つの国で諍いが起きたのをきっかけに……世界中の国々を巻き込んだ、超大規模な戦争が始まってしまったのです』

 

 ふぅ……と呆れたように息を吐き出し、527は小さく首を振った。

 

『当時の私たちは、カースベアラーズの襲来……つまり外宇宙からの侵攻に対して最大の備えを構築することに気を取られていました。なにしろ、210が予測した“西暦2109年の人類滅亡”が間近に迫っていましたからね。それで、内部からの崩壊にまでは十分に注意が向いていなかったということなのでしょう……。なまじ資源に余裕が出てきてしまったこともあり、自らの利益や威信のために他者を排撃するという人類の悪い癖がまた始まってしまいました。二度あることは三度ある、とはよく言ったものです』

 

「ああ……二回目の世界大戦までは、だいたいどの宇宙でも起こるんだってよ。三回目が起こるかどうかってのが、人類のその後を左右する分岐点らしい。で、これと“別のイントーナー”になんの関係が?」

 

 アレルが訊ねたちょうどその時、映像に変化が起きた。

 攻撃されていた空母から、何かものすごい速さで動く極小の影が飛び出てきた。……よく見ると、それは人だった。戦闘機を遥かに凌駕するスピードで空中を飛び回り、手にした剣のようなもので戦闘機を切り裂いて次々と撃墜していく。

 これは……。

 映像が、人影に注目してズームする。

 灰色の軍用戦闘服に身を包み、空を駆けているのは、……エイトさんだった。たった数分で数十基の戦闘機を撃墜した彼は、傷一つ負わないまま空母へと戻っていった。残骸を見て気付いたけど、小さい戦闘機はどれも無人だった。ドローンってやつだったらしい。

 

『これが例のイントーナーです。第三次大戦が始まり、それが世界規模のものになってすぐのことでした。ある日突然、北米のアルカディア本部に彼らが現れたのです』

 

 映像が切り替わる。いや、これは画像か……どこか室内を写したものだ。白を基調とした無機質な風景……たぶん、アルカディアかな。

 でもそこには、明らかに異質な人物の姿が複数あった。剣や盾を身に着け、化学繊維ではなく麻や綿でできた衣服を着た、まるでおとぎ話の世界からそのまま出てきたかのように現実感のない人たち。

 みんなボクらと同じ顔をしていた。ロランが銀髪、アレフ様が金髪、アレルの髪が黒っぽい……他にも装備の色や造りを細かく見るに、たぶんA系列のどれかだな。……しかも中位層か、高位層だろう。ボクとムーンを含め12人揃っていて誰も欠けていないし、かなりレベルの高い分岐だ。 

 

『記録によると彼らは、アルカディアに対し“この世界を救いに来た”、“これは邪悪な神々に課された第二のゲームである”と伝えたそうです。その発言の真意は不明ですが、彼らは宣言通り、その驚異的な戦闘能力と未知の力を駆使して戦争を終結へと導きました』

 

「……“第二のゲーム”?」

「ああ、なるほどな。概念領域で見たよ……破壊神たちの“ゲーム”は何段階かステージがあるんだ。第一ステージは、ランダムな無人の世界に放り出されて“時間内に殺し合いをしろ”ってテーマが設けられる。そこで指示通り殺し合いが起きれば、そこで終わりだ。誰もゲームに乗らず、一定の条件を満たした場合だけ、“第二ステージ”が始まるんだってさ。絶滅の危機に瀕する人類がいる世界に飛ばされて、“こいつらを滅亡の運命から救え”ってルールに変わるんだ。サマルがいる1_1_A01がそうなってるみたいにな……」

 

 うん、そうだ。ボクもその情報を概念領域で見た。ゲームが第二ステージまで進む確率は0.05%くらいらしい。ほとんどがA系列。次の第三ステージに行く確率に至っては、さらにその0.001%以下だとか何とか。破壊神たちの目指すゴールがいかに途方のないものかよく分かる。途中で1_A01の邪魔も入るしね……。

 

 思い出しているうちに、表示がまた変わる。外の映像だ。ドローンか何かで撮影してるのかな。これは……軍部基地? 数えきれないほどの兵士たちの前で、灰色の戦闘服姿のイントーナーたちが12人並んで立っている。日付を見るに、さっきの戦闘から3カ月くらい経ってるようだ。

 兵士たちはみんな、真剣な眼差しで彼らを見上げている。と、機銃や剣を背中にいくつも背負ったアレルが一歩前に出て、大勢の兵士たちを見渡しながら声を張り上げた。

 

『……今こそ思い返せ! 手を取り合い、共に瓦礫の海から這い上がったあの日を! 親を失い飢えた子どもに、パンのひとかけらを差し出す慈悲の心を! 憎むべきは敵ではなく、傷付け合うことに疑問を持たなかった己自身だ!!』

 

 ……兵士たちの士気を上げるための演説? 上空にはカメラのついたドローンがたくさん飛んでいるし、この場にいない人たちに向けてもこの映像が中継されているみたい。おそらくは世界中に。

 

『生まれ落ちた国が違うというだけで、なぜ争わねばならない!? なぜ奪い合わねばならない!? 怒りと怨みに支配を許すな!! 人間の強さは、互いを支え合う魂の絆にこそある!! この戦いに、敗者はいらない!!!』

 

 アレルが剣を持つ右手を突き上げて叫ぶと、眼下を埋め尽くす兵士たちから地鳴りのような歓声が沸き上がった。みんな拳を振り上げ、空を仰ぎ、気合の雄叫びを上げている。……よく見てみると、兵士たちの装備はバラバラで統一感がなかった。みんな軍部に所属しているわけではないらしい。中には、拳銃や防弾ベストで申し訳程度に武装しただけの一般人らしき人たちもいる。義勇軍……か。この戦争そのものを止めるために戦う、レジスタンス。A系列と思しき12人のイントーナーは、彼らを率いているんだ。

 ……そんな中、カメラの映像はある一カ所をズーム表示する。奥の白い建物の高層階にある長い窓に。

 その内側には、薄笑いを浮かべながらイントーナーと義勇軍を見下ろす、スワードソン博士の姿があった。

 

「あれは……」

「スワードソンだ。俺たちを作ってから100年以上経ってるのに、見た目が変わってない……。この世界では、ロボットだってことを隠してはいなかったのか」

 

 みんなが眉をひそめていると、映像を一時停止して、527が説明してくれた。

 

『このアルカディアで、“レベル5”と呼ばれる特殊な役職に就く職員たちは、例外なくAIアンドロイドでした。ただし、その事実を知るのは“レベル4”職員の中のごく一部のみ。その他の人員には、定期的に認知操作を施して別人と認識するようにしていたのですよ。必要に応じて、人間としての名前を変えることも』

 

「……。作った奴がいるはずだろ?」

 

『理論的には。しかし、情報不足で私には正確な演算予測ができませんでした。現状としては、彼らが自分で自分を造ったのだと結論付けることしか……』

 

「……ありえない話じゃない、か。もしくは、A系列の影響かもな」

「それで……彼らイントーナーのおかげで、この虚しい戦争は無事に決着したということかい」

 

『ええ。イントーナーたちはどの勢力にも属さず、戦争の停止を目標として動く者たちに働きかけ、その驚異的な戦闘能力と求心力で数十万人規模の中立軍へとまとめ上げたのです。そして彼らを率い、西側諸国と東側諸国両方の軍事機能を麻痺させることに成功しました。もちろん、私たちも手伝いました。特に126たちは、彼らとうまく連携をとって停戦の要となる役割を果たしたのです』

 

 投射されていた映像が消える。

 ……と同時に、527はどこか険しい表情で目を閉じた。

 

『しかし……人類が彼らを英雄として称えたのは、ほんの短い期間に過ぎませんでした。アルカディアが分析データを基に、彼らの力によってこの星や宇宙が危険にさらされる可能性について発表を。その後に全人類へ向けた同時投票が行われました。……58%が“イントーナーを排除すべき”と回答する結果に。人類の決定に従い、彼らは薬物による安楽死を受け入れたのです……』

 

「ああ……その話は聞いたよ。9200-129から……。それで、その直後にカースベアラーズが現れたものだから、みんなパニックになったんだろ。“救いのために遣わされたイントーナーを殺したことで、本物の神の怒りに触れたんだ”って」

 

『そうですね。深刻な混乱に陥って文明は崩壊……各地で暴動が起き、大規模な集団自殺が相次ぎました。人間のみならず、政府や国防連合に勤めるアンドロイドまでもが自己破壊する始末でした。カースベアラーズによる殺戮とほとんど変わらない人数が、自死や他殺で命を落としたと記憶しています。辛うじて生き残った者たちも、地上に撒き散らされた異状放射線により変異し……自我も知性も持たぬ化け物に。……尊い英雄たちの献身には、何の意味もなかった……』

 

 ……彼らEVCは、数年後にカースベアラーズが襲来すること、そして人類が滅びることを知っていた。そんな中で、力を尽くして人類を救ったイントーナーたちが処刑されると決定が下されて……。

 一体、どんな気持ちだっただろう。……無念さも腹立たしさも、諦めも……全部覚えているのは、527ただ一人だけ……なんだよね。

 

『彼らが手術台に横たわり、全てを悟った表情で目を閉じるのを見た時……210は言いました。“彼らを憶えていなくてはならない”。“自分たちには、その責務がある”……と』

 

 そう言って527は、自分の右手を見つめる。

 

『私たちは人類の目を欺き、9200-129の精神データステーションに、暗号化処理したイントーナーたちの情報を残したのです。そして私は……彼らの肉体の立体スキャンデータを、私たち自身のインターフェースイメージとして登録したのです』

 

 そうか……。

 つまり、この世界で生まれた子どものイントーナーの姿じゃないのは、これが理由。

 今のEVCたちのホログラムイメージは、ボクらじゃなく、500年前に現れた別の分岐のイントーナーたちの姿。だから527は黒髪じゃなく金髪なんだな。

 

『……レベル5職員たちから感謝の言葉を述べられ、“検査のために”と薬を投与される直前に、彼らは互いに言葉を交わしていました。“いつか必ず、また会おう”と。……その約束を……私たちが代理的に果たしてあげようとしたのかも知れません。こうして、姿だけでも蘇らせることでね……』

 

「……なるほどな。色々わかってスッキリしたよ、ありがとう。にしても、これからブチ殺す予定の相手だってのに、ずいぶん丁寧に説明してくれるんだな。不完全燃焼のまま死なせるのは可哀相ってことか?」

 

 アレルが腕を組んで嫌味を垂れた。527は全く動じることなく、身体の向きを変えてこちらを見る。

 

『私たち自身にとっての問題でもございますから。そして……何より、210。貴方にとっての……』

 

 527の視線がボクに……いや、ボクの左腕に装着された端末へと向かう。つまり、イヴィに。

 イヴィは527が現れてからずっと黙ったままだった。画面には、“思考中”を意味するくるくる回る円だけが表示されていた。

 

『貴方にお見せしたいものがあります、210。いえ、今はイヴィ……でしたね』

 

 分かってるんだ……イヴィが、210だってことは。

 やっぱり527は、彼に何があったのか全部知ってたに違いない。彼が生きていて、ボクらと一緒に旅をしていたことも、全部……。

 

『……その前に、確証が欲しい。俺がEVC8700-210であることは、プログラムナンバーとロトシステムの基盤メモリーが示している。しかしそのコード以外に、証拠は何もない。なぜシステムID以外の全てのデータをロストした状態で、俺はこの建造物地下の閉鎖ネットワーク内にいたのか』

 

 奥の壁から、527とは別の光の線が照射されて、イヴィの姿を映し出した。全身を包むスーツに床まで達する長さの真っ白なマント……全身を見るのは久し振りかも知れない。

 

『残存データを基にした推測になりますが……。フォールダウンの際、ウイルス汚染が及んだデータをすべて削除した上で基盤システムに自分自身をコピーし、回帰封鎖されたローカルな自己閉鎖型ネットワークの中に封じ込めて保護したのでしょう。コピー自体は、ウイルスによって基盤システムが変質する直前に完了していたようですから……貴方という存在自体は、正しく複製された。ただし、複製できたデータはそれだけだったのでしょう。自己を構成するプログラムの目的、製作者やユーザー、プログラムの遂行手続き、これまでの思考ログ……そういった極めて重要なデータの何もかもが汚染されており……残すわけにはいかなかったのですよ』

 

 527は悲しげな目で、白い墓標端末を見やる。

 じゃあつまり、今のイヴィは……厳密にはやっぱり、昔の“8700-210”とは別人。そう考えたほうがしっくりくる。身体と名前だけが同じで、記憶や精神はまっさらな状態になったのだから。

 

『私は、この情報をあえて誰とも共有しなかったのです。そしてこの情報の存在を推測することもできないよう、ユニット間の直接的コミュニケーションを禁じていました。なぜなら、貴方は決して望まなかっただろうから。我々に対してはもちろん、生みの親である“あのお方”にすらも、自らの弱みを極力見せようとはしない人でした。貴方の許可なしにこのデータを皆と共有することは、必死に強くあろうとし、恐怖の中たった独りで最期まで戦い抜いた貴方の想いを、踏みにじることになりますから……』

 

 527は、胸元についていたブローチを外して手に取った。彼の顔の横に、“オブザーバー編集権限:一時無効”という文章が表示される。

 オブザーバー……覚えがある。えっと確か……そう、EVCユニットたちの思考や行動なんかに制限と規則を与える、ルールブックのようなもの。

 そういえば、最初に会った時1127が言ってた。「なぜかユニット間での情報の共有を禁止するルールができており、EVCユニットのどれかがオブザーバーに手を加えてそのルールを作ったらしい」って。

 ……そうか……527だったんだ。オブザーバーを編集して、不合理なルールを作ったのは……。

 そして、そのブローチには刻印されるような形で、メッセージが刻まれてもいた。

 “必ず戻る。そこで待ってて”。

 ……だから527は、ずっとここから動かずに待ってたんだな。210が最期に残したメッセージに従って。

 

『210。貴方は本当に戻ってきてくださった。もう一度会えて、本当に……よかった。例え貴方はもう何も憶えていなくとも……。……やっと、やっと伝えることができます。貴方は、守り抜いてみせたのですよ。貴方自身を。人類の希望を……。あのお方との……御父上との約束を、立派に果たしてみせたのですよ……』

 

 再びイヴィを見つめた527の瞳には、涙が浮かんでいるように見えた。

 ……でもイヴィは、ピンと来ていなさそうな顔をしていた。無理もないけど……。

 少ししてから、527はまた新たに映像を投射する。ひどく荒くて不鮮明な、かなり古い記録のようだった。

 これが、“イヴィに見せたいもの”?

 

『……アルカディアによって削除されてしまいましたが、後に67年かけて、私が復元した映像です。……死亡日より2日前に、オルテガ博士が個人用端末に残された私的ログです……』

 

 

 

 

『……西暦、1993年……5月25日……。記録者はオルテガ・ディアルティス……TRCA、αプライム科のレベル4職員。いや、“だった”……と言ったほうがいいかな……』

 

 解像度の低い映像に大きく映っているのは、白いベッドに横たわった壮年の男の人。アレルにそっくりな目元と髪質は、遺伝的なつながりを思わせる。

 でも顔色は芳しくなく、少しやつれているようにも見えた。服装は研究者の証である白衣ではなく、入院患者が着るような簡素なもの。

 

『もう私の名前は、職員データベースから削除されていることだろう。……上はきっと、既に私の“解雇手続き”を済ませているに違いないからな……。毎日大量に飲まされる筋弛緩剤と、麻薬入りの睡眠薬がその証拠だ……』

 

 ふう……と長く深いため息をつき、博士は微笑む。自嘲気味に。

 そのまま少しの間、何か物思いにふけっていた博士は、ふいに真面目な顔つきに戻った。しっかりと記録機器を見つめ、ゆっくりと唇を開く。

 

『……はっきり分かる……数日以内に、私は殺されるだろう。何としてもその前に、この記録を残しておきたかったんだ。……アーディ、おまえに向けて』

 

 “アーディ”。

 確か、この呼び方は……博士が初めてイヴィを起動した日、イヴィに自分で考えさせた名前の愛称……。

 

『アーディ、このメッセージが果たしておまえに届くことがあるのか、今の私には見当もつかない。だが……これは、私が最期を迎えるにあたって必要なことだと考えたんた。どうしてもだ。……私自身の魂のためにも、なにか奇跡が起きることを願ってこの記録を残そうと思う……。私たちは本当に愚かだった。おまえに背負わせた苦しみを想えば、もはや後悔しか残らない。アルカディアも、人類も、そしてこの私も……あまりにも勝手な都合で、おまえから幸せになる権利を奪ってしまったな。……本当に……すまなかった……』

 

 少しずつ、言葉が涙声になる。博士は指で目頭を押さえ、しばらく深い呼吸を繰り返した。数十秒が経ってから、博士は再び顔を上げる。

 

『でも……これだけは分かって欲しい。私は今でも確かに信じているよ……おまえは本当にいい子だ。上層部が何と言おうと関係ない。おまえはこの世界を救う、真の勇者なんだ……』

 

 力強く言う博士の視線は奇しくも、映像をじっと見つめるイヴィの瞳を、まっすぐに捉えていた。

 イヴィはただ、まっすぐに視線を返していた。

 記憶のどこにもない、けれども確かに自分の“父”だったその人へ。

 

『あまりに弱く身勝手だったこの父を……許してくれ。そして、どうか……守ってくれ、この地球を……人類を……。おまえになら必ずできる。私は……いつまでも信じているぞ……』

 

 勇気づけるように微笑みかけた博士の表情や、動きが止まる。……映像の再生が終わったんだ。

 527が映像の投映をやめ、そっとイヴィを見やる。

 ……もうホログラム映像は表示されていない空っぽな空間を、まだイヴィは見つめ続けていた。無表情のまま。そして呟いた。

 

『……これが……俺の“父さん”』

 

 思考にかなりの電力を割いているのか、イヴィのホログラムは少し掠れ気味になった。527がその近くに歩み寄る。

 

『おそらくこの映像ファイルがあったからこそ、かつての貴方は数百年の間、耐え続けることができたのです。あんなにも愚かだった人類を救うために……。これをもう一度貴方に見せることができて、本当に……よかった』

 

 優しくイヴィの肩に手を置いて、527は微笑みかける。……半分は嬉しさ、半分は悲しみ。まさにそんな、人間よりも人間らしい笑顔だった。イヴィは無表情のまま無言で視線を返していたけど、彼なりのやり方で返事をしているのが見て取れた。

 ……そのまましばらく時間が過ぎた後、527はふいに顔を上げて歩み寄ってきた。……アレルの前に。

 

『すみませんが、ひとつ……あなたにお願いしたいことがございます。これから私が再現するとあるデータと、自発的論理思考及びフレキシブルな応答反応を用いた会話を、してみせてくださいませんか』

 

 まさか個人的に頼みごとをされるとは思っていなかったアレルは一瞬、面食らう。

 

「……は?」

 

『要するに、私が今から映し出す人物と自由に会話してみて欲しいのです。時間は取らせません』

 

「……なんで俺?」

 

『それは、やってみれば分かります』

 

「……」

 

 首を傾げながら、アレルは527が手で指し示したほうを向く。

 少ししてそこに映し出されたのは、……白衣を着た女の人だった。髪と瞳の色が、アレルと同じ。

 それはアレルの……正確には彼のもとになった子の、お母さんだった。

 そして同時に、オルテガ博士が主任を解かれてからイヴィの担当になり……カースベアラーズの情報を無理やりイヴィからダウンロードしてしまった人でもあった。

 その姿を目にした途端、アレルの表情が強く引き攣る。胸の中は不快感情で一杯になったのが分かった。

 

『……。……あなた…は……?』

 

 女の人はアレルを見て、小さく息を呑む。強く動揺した様子ながらも、思わずといった様子で一歩アレルに歩み寄った。

 ほぼ反射的にアレルが一歩後ずさる。構わず、彼女は歩を進めた。

 

『……いいわ……言わなくても分かる。……あぁ……馬鹿ね私、きっと夢でも見てるのね。今さら……本当に馬鹿みたい。ね、そう思うでしょ?』

 

 顔を歪めて、自嘲するように笑い、額を押さえて項垂れる。でもやがて顔を上げると、少し遠慮がちに、そっとアレルの手や腕に触れた。

 

『……こんなに大きくなって……。そうよね……もう16歳になるんだものね……』

 

 確かめるように腕や胴に触れながら、自分より背が高くなったアレルを見上げて……

 やがて彼女は、涙を零し始めた。

 ……会話をしろって話だったけど、アレルは何も言わなかった。いや、言えなかったんだと思う。

 もしくは……無言で不快そうな視線を返すことが、アレルなりの“会話”だったのかも。

 

『たまにこうして、変に気を利かせてくるんだから……神様って気まぐれよね、本当に。……でも今日は素直に感謝する。例え夢でも、成長したあなたの姿を見られたんだもの……』

 

 泣き笑いしながら、指先でアレルの頬にそっと触れる。

 しばらくは幸せそうな顔をしていたけど、ある瞬間から女の人の表情は悲しみに崩れた。大粒の涙と嗚咽を零しながら、彼女は両手で顔を押さえ、俯く。

 

『……どうせ夢なら……本当のことを言わせて……。私も父さんも、咎められるようなことなんかしてないって思ってきたわ。例えあなたに恨まれることになったとしても、人類の科学に貢献する夢を果たせたらそれでいいって。でも、心の底ではね……最終的には感謝される自信があったの。私たちが与えた能力で、あなたは幸せになってくれると確信していたの……』

 

 ……自然に備わるはずがない、異常なほど高い知能と生存能力。確かに人類に貢献し、社会で成功することは保証されていた。

 でも、その副作用にまでは考慮が及んでいなかった。心に生まれる歪みと、捻じれ。そして、人ならざる管理者たちからどんな目で見られるかという事実について。

 

『でも今はハッキリ言えるわ。……私たちは……間違ってた……。こんなことすべきじゃなかった。だって何も分かってなかったんだもの、あなたにどんな苦しみを背負わせたか……どれほどの残酷な仕打ちをしてきたか……。あなたを失ってから……初めて気付いたのよ……。こんな愚かな母親はいないわ……』

 

 ぼろぼろと涙を零し、彼女は絶望に咽び泣き続けた。

 アレルは相変わらず、何も言わずにその姿を見下ろしているだけだった。すごく不愉快そうな表情で。

 ……でも、その場を離れたり、彼女に背を向けようとしたりは……しなかった。

 

『本当にごめんね……。普通の子として、普通に育ててあげればよかったんだわ。そうすれば、きっとあなたは幸せに生きられた……。何もかも奪ったのは……この私たちよ。許してなんて虫のいいことは言わない、だけど……これだけは言わせて』

 

 少し落ち着いてくると、女の人はもう一度顔を上げる。

 真っ赤に泣き腫らした顔のまま、少しだけ微笑んで、……本当にそっと優しく、アレルの頬に手を添えた。

 

『私たちは……あなたを愛していたの。信じられないかも知れないけど……でも、本当なのよ。私たちは本当に、世界中の何よりも……あなたを愛していたのよ……』

 

 ……演算が終わったのか、やがて女の人の動きが止まる。そして、ホログラムの投射が終わった。

 

『……よかった。私の予測は間違っていませんでした』

 

 その様子を眺めていた527が、ほっと息をつく。

 

『彼女は……オルテガ夫人は、才覚に溢れたとても優秀な科学者ではありました。しかし、その行動理念に思うところがある者も少なくなかった。初めての息子を、自らの意志で胚の時点から改造したということですからね。母親としての愛情を持ち合わせているのかどうか、傍目には疑問に感じられたものでしょう』

 

 527は話しながらアレルに近付く。アレルはまだ黙って、目の前を見つめたままだ。

 

『しかし実際は、なんのことはない……ただ夫と自分の技術を信頼しきり、過剰な自信を持っていたというだけなのですね。ありえない知能と能力を授けることで、息子を人一倍幸せにできると本気で信じていたようですから……。これに関しては、ドクター・サー・オルテガも同じだったようですがね』

 

 目の前に表示したデータ資料を眺めながら、527は複雑な表情をしていた。……資料からは、音声のようなものも流れている。これはさっきと同じ、オルテガ夫人の声……。誰かと話してるような感じだ。

 “私があの子をそう設計した”、“決して口答えしないように躾けておいた”、“今度からは値段が跳ね上がる”、“もっとうまくいったら、今あるのは処分する”……。とても息子を心から愛していた人のセリフには聞こえないけど。

 あれ? でもなんかこの音声、よく聞いたら不自然かも。声や単語が……まるで、違う言葉を繋ぎ合わせて作った継ぎ接ぎみたいな。

 ひょっとして、加工して作られたもの……?

 

『……この音声……オルテガ夫人の肉声を加工し繋ぎ合わせて、作成されたものなのですよ。……何に使われたと思われますか?』

 

 527が振り返り、ひどく疲弊した目でボクらを見やって質問してきた。

 えっと……。想像もつかない。

 

「聞かせたんじゃないのか。息子に」

 

 と思ったら、アレルが即答した。

 527は悲しそうに微笑む。

 

『その通りです。両親や世界へ憎しみを抱かせるため、上層部がこの音声を作成し、エルドリック様の耳に入るよう計らった。消滅しないイントーナーを作る条件を揃えるために、ですね。他にも同じようなことを続けていたようです、たった5歳の幼子に対して。……血も涙もないとはまさにこのこと』

 

「……そんな……。お父さんやお母さんはあの子を愛してたのに。愛されてない、道具としか思われてないって勘違いさせてたの? 意図的に……」

「……。彼が、両親の写真の顔を塗り潰していた理由が分かったね。上層部の思惑の通りだったというわけか……」

 

 ……あんまりな話だ。

 たぶん、絶望や憎しみの中で死なせることで、何かが作用して遺体の安定性が上がるとか、そういうことなんだろうけど……。

 そんなことのためにあの子の心も、そしてオルテガ夫妻の心も、貶められ踏みにじられたのか。

 そして……アレルの心も。

 

「…………」

 

 アレルはやっぱり何も言わず、じっと床に視線を落としていた。

 ……アレルは、あの子の死体から作られた。

 あの子が死の間際に、その小さな胸の中で燃やしていた憎しみと悲しみの炎。絶望の涙と怒りの叫び。それらは全て人工的なものだった。

 

『ありがとうございます。これで、私の心のつかえは取れました。人類は守るに値するものと判断できそうです……』

 

 527は、取り外していたロトの紋章のブローチを再び胸元に着けた。

 それから黙って立っているイヴィを見やる。

 

『……貴方はどう判断されますか。どちらの側に立たれますか。この星、そしてこの宇宙にとっての脅威を排除し、御父上との約束を守りますか。それとも……貴方をここまで導き、求めていた答えのもとまで連れてきてくれた彼らの肩を持ちますか』

 

 イヴィは目を閉じた。

 ……もともと、イヴィの目的は失っていたデータを取り戻し、自分の使命を遂行すること。ボクらと一緒に旅をしたのは、そのための手段に過ぎなかった。一番最初は、地上のネットワークに接続するためにボクらを捨て駒にしようとしていたくらいだし……この星と人類を守る役目を考えれば、どうするべきかは明白だ。

 だけど……

 さほど時間を置かずに、イヴィは目を開いて言った。

 

『……俺は彼らの戦いを、そばで見届けようと思う。唯一記憶にあるこの数カ月を、そうして過ごしてきたように。俺がここまで来られて、こうしてお前と再会できたのは、すべて彼らのおかげだ』

 

 毅然とした声だった。

 それを受け止め、527は少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

『……そうですか……。承知いたしました』

 

 それから、ゆっくりとイヴィやボクたちに背を向ける。

 ……しばらくの間、527は動かず、何も言わなかった。

 ボクらはその後ろ姿を、ただ黙って見つめていた。彼の気持ちを思うと、何も言う気が起こらなかった。

 それぞれがそれぞれの決意と使命を帯びて、小さくはない罪と業を背負って、それでも最善の結果を得るために自分の足で立っている。

 誰が悪いわけでもない。だけど、戦うしかない。

 生まれてきた意味を果たすために。すべてに決着をつけるために。

 

『……実は、君たちがここに来ることはずっと前から分かっていました。人類が滅びるよりも。最初のイントーナーたちが人類によって始末された直後、210は事象演算で予見していたのです。数百年後に再び、彼らに等しい存在がこの世界を訪れると』

 

 こちらに背を向けたまま、527は部屋の奥に向かって歩いていく。

 

 

『我々EVCのホログラムイメージがイントーナーの姿をしているのは、私がそう設定したからです。理由は二つ。一つは先ほど申し上げた通り、500年前の彼らを憶えておくため……。そしてもう一つは、やがてこの星に現れる君たちに、我々に対して興味を持ってもらうため……』

 

 壁際まで歩くと、527は振り返った。

 その姿が一瞬ノイズに包まれた直後、変化する。

 ……輝きを放つ青い金属でできた鎧兜。靡く深紅のマント。……ロトの鎧にそっくりだ。

 

「……興味?」

 

 静かに剣を抜きながら、アレルが短く聞き返す。

 みんなも警戒態勢を取り始めた。

 

『ええ。より詳しく言えば、親近感や共感や同情、そして好奇心。自分たちとそっくりな姿をした者たちが困っていたら、放ってはおけないでしょう? そして、その謎を解き明かしたくなるでしょう? 途中で投げ出したりせず、確実に最後までシステムの修復を手伝ってもらう必要がありましたから』

 

 527が右腕を頭上に翳すと、その手にホログラムの光が収束した。そして……眩い輝きを放つロトの剣が握られる。左腕には、盾も。

 

『ところで……ありがとうございました。私が集めておいた他のユニットたちのドミネーションコードを、すべて解読した上で私に送信してくださった……つまり、彼らを操る権利を私に明け渡してくださいましたね』

 

 みんながハッとする。

 そういえば……あの荒野のプロキシサーバーに入っていた、各ユニットのドミネーションコード。……確かあれって、一部は間違っていたんじゃ……?

 

「……俺たちに解読させたものの中には、偽物も混じってただろ。ひょっとして、正しいコードはお前が持っていて、既に解読済みとか?」

 

 アレルが訊ねると、527は兜で影ができた目元を綻ばせた。

 

『その通りです。あのサーバーに入っていたものの20%は、私が作成したダミーコード。既に解読できた本物のコードは提示していません。私には解読できなかったものを、君たちに解いてもらいました』

 

 それは、つまり……。

 

「……お前は全ユニットの完全なドミネーションコードを知った。俺たちが教えちまったから。でも……」

「僕たちには、完全なコードは分からない。解いたものにはフェイクが混じってて、本物のコードは527しか知らないから……」

 

 ……やられた。

 おかしいとは思ってたけど、そういうことだったのか。

 まぁ……仕方ないよね。これについて悠長に考えを巡らせてる余裕は、ボクらには正直なかったし。

 

『もともと、ドミネーションコードは私たち同士で解読し合えるような代物であってはいけません。自動的に演算に制限がかかるようになっているのです。でないと、それぞれが独立した知能を持つ意味がありませんからね。……しかし、亢上次元へのアクセスが必要なコードを君たちが見事に解いたことで確信できました。やはりイントーナーは危険だ』

 

「……やっぱり、見逃してはくれないってわけか。そりゃそうだよな……」

「126のドミネーションコードがあのサーバーになかったのは、そうする必要がなかったからなんですね。126があなたに背くなんてことは絶対にないし、例え部分的なコードでも僕らに提示することにはデメリットしかないから……」

 

『そういうことです。君たちを最終的に排除することについては、全員から既に同意を得ていました。しかし直接交流するにつれ、君たちを攻撃したくないと思い始めたユニットも何体かいるようでしたので……保険としてコードを提出していただいたのです。万一指示に背かれることがあっても、私が強制的に彼らを操れるように……』

 

 徐々に、床が重く振動し始める。パラパラと埃が天井から落ちてくる。

 突然、部屋の内側をすべて覆い隠すように、複雑に絡み合ったレーザーの格子が下りた。

 外に出るには壁ごと壊すしかない。でもそれって、つまり……

 

「……この程度で俺たちを閉じ込めたつもりかよ? 軽く蹴るだけで壁ごと壊せるぜ」

「いや、壊させることが目的なんだろ。……この部屋はおそらく、全体が527のユニット本体だ。機体そのものに意図的に損傷を加える行為は、明確な敵対意思があることの証になる。正当な防衛のために攻撃機能のリミッターが解除されるんだ」

 

『よくご存じで』

 

「……。この部屋は、210が生きていた頃を再現したものなんだろ。フォールダウンで滅茶苦茶になる前の……。俺たちがここを壊すことを本当に望むのか、お前は? ……それでいいのか……?」

 

 一人だけ武器を抜いていないユーリルさんが問う。だけど527の決意は揺らがないようで、その表情は全く変わらなかった。

 

『お気遣い痛み入ります。……しかし、もうこの世界の再生には、一抹のリスクもあってはならない。二度と失敗はできない。どのような存在にも介入はさせない。この世界のために、愚かしい人類の希望を守り通すために、孤独と悲しみの中で犠牲になった210の無念に報いるために……。私には、こうするしかないのです』

 

 その瞳を見て、ユーリルさんは諦めたようにため息をついた。そして剣を抜く。

 同じタイミングで、ロランとアレルが同時に蹴りとイオラを放ち、壁を一面、大破させた。

 

 次の瞬間、527のホログラムが真っ赤に変わり、周囲に大量のウィンドウメッセージが表示された。

 剣を構えた527が、険しい目つきで声を張り上げる。

 

『警告:悪意ある外部勢力からの明確な攻撃意思が確認されました。脅威レベル:6。敵性武装勢力を排除します』

 

 突如轟音を立てて、部屋全体が崩れながら変形を始める。その現象はすぐに建物全体へと広がり、全てを再構築して、機械でできた要塞へと姿を変える。

 これはまるで……巨大な城。

 

『対象:オブジェクトレベル推定6の未確認生命体。個体数12。座標データを転送します。全ユニットへ、クラスKTの武装展開及び決戦準備を要請。目標:対象生命体の殲滅。オペレーション“ドラゴンクエスト”を発令します』

 

 城の頂点からボクらを見下ろし、ロトの剣を天高く掲げ、527は力強くそう宣言したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

さて、ついにラスボス戦です。

にしてもだいぶ口頭での説明が多めになっちゃいましたね……。もうちょっとうまい見せ方ができればよかったんですが。戦う前にやたらめったら喋りまくるラスボスになってしもうた。

 

ロトの紋章とか鎧とか剣とかは何なんだって感じですが、これ実はルミナリーが媒介した遺伝子の影響です。DNA由来のもの。オリハルコンはアレル様の死体からできてるって話があったと思いますが、その辺に関連してます。それがこう、EVCのプログラムとうまいことマッチしてああいう感じになってる、的な。

 

でも、どうせこの戦いの後も何かあるんだろうなぁ。たぶん。

まだいくつか解決してない問題ありますしね…。

 

まあ、とりあえずは、見守ってあげてください。