「メリークリスマス!」

「プレゼントだよ、開けてみて!」

 

 

 

 暖炉のある暖かい部屋。キラキラに飾り付けられた窓の外に見える雪の夜。

 フカフカのソファで歌を歌いながら待っていたら、声がかけられた。

 テーブルの上には真っ白なケーキと、それを取り囲むご馳走。優しい蝋燭の香り。

 

 ボクはワクワクしながら、手渡された大きな包みのリボンを解く。

 中の箱に入っていたのは、クマのぬいぐるみに、リモコンで動かせる車のオモチャに、子供用のフルート、そして……重厚な装丁の赤い本。

 

 満面の笑みで喜ぶボクに、“パパ”と“ママ”が微笑みかけている。ボクの隣の二人も同じようにプレゼントを受け取って、中身を見て大喜びしている。あれ、三人だったかな? ……もっと? まあ、いいや。

 

 とっても幸せ。とっても楽しい。とっても温かい。

 

 ……ん?

 パパとママの後ろに、知らない人がいる。あんなに背が高い人、家族にいたっけ?

 おかしいな、背が高すぎるせいか、顔がよく見えない。

 でも……笑ってる。目元は暗くて見えないけど、笑ってた。

 

 

 

 

 

 

「幸せな夢を見たいおまえの気持ちはよく分かる。だが、これでは何も起こらない」

 

 

 

 

 

 

 

―――q―――jjm38kw8uyebm3―――10pomqiu――ehxig 5`oi98jji6309;982-usqs

 

 

 

 

「メリークリスマス!」

「プレゼントだよ、開けてみて!」

 

 

 黒い焼け跡に包まれた、無機質な金属の部屋。窓は一つもない。

 ワゴンの上には、切り取られたボクの身体が並んでいる。指、足首、肝臓。

 喉が渇いた。喉が渇いたなあ。

 

 いつも通り笑っていると、“ママ”が横に立つ大きな箱を開けた。中には言葉を喋る肉と粘膜がたくさん詰まっている。蛆虫が這い出てきて視界いっぱいに広がる。

 でも箱の中の肉と粘膜はみんな新鮮で、耳がキンキンするような声で泣き叫んでいた。

 今日は……そうか、12月25日。何回目だろう。何百回目だろう。

 

 満面の笑みで喜ぶボクに、“パパ”と“ママ”が微笑みかけている。ボクの隣に連れてこられた……いや、“持ってこられた”10人は、逆にみんな泣いていたり、死んだように動かなかったり、わけの分からないことを言い続けたりしていた。

 

 あはは。

 あははは。

 喉が渇いたよ。

 

 周りの10人が、ぐちゃぐちゃに混ぜられている。痛みで絶叫する肉たち。

 ボクはそれを眺めながら、絞り出される赤く濁った水を飲みたくて涎を垂らしていた。

 みんなが近付いてくる。身体が溶け込む。

 痛い。痛い。痛い。骨が内臓に食い込む。

 新しくたくさんの肺ができる。手足が増える。伸びる。大きくて重い。

 

 痛い。痛いよ。みんな動かないで。怒っちゃ駄目。泣いちゃ駄目。

 

 誰のことも憎くないよ。いい子にするよ。言うこと聞くよ。

 だからお友達になろう。

 あったかいところで一緒に遊ぼう。

 

 喉が乾いた……赤い水をちょうだい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“……頭痛い……”

     “めちゃくちゃ変な夢見たな”

“なんなの?”

  “気持ち悪いなぁ。水飲も……”

 

 

 目を開く前から、みんなの思考が頭に流れ込んでくる。

 うーん……確かに、変な夢だった。怖いし気持ち悪いし……。やっぱり脳が繋がってるから、全員同じ夢を見たんだろう。

 悲鳴や血の匂いがまだ残っているように感じる。誰のせいでこんな恐ろしい夢が作られるんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

━─━─異説9-94 針のない時計

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “4月18日”の朝。

 

 9200-129-1に言われた通り、意識を繋げる施術が終わってから丸1日ほど安静に過ごして、問題がないことを確認した。もう動くのも喋るのも、おそらく戦うのにも支障はない。

 

 これからいよいよ、8700-527のもとへ向かうことになる。

 

「一応、攻撃が始まるまでにまだ時間はあるんだよね?」

「ああ。1日くらい猶予があるはずだ。たぶん、今日いきなり戦闘になることはないと思うんだがな……」

「……アレル、もう大丈夫か? 覚悟は決まったか」

「……うん」

 座ったまま俯いて黙っていたアレルが、ふーっと深く息を吐き出して立ち上がる。それから、もう出発する準備が整っていたみんなの後ろについて来た。

「……。……ん? お前、イザだよな?」

 俯いたままだったアレルがふいに顔を上げて、疑問を口にする。彼の格好の変化に気付いてなかったのか……。

 イザさんは、今まで着たことがない服や装備に身を包んでいた。全部、レックさんが使っていたものだった。あの、黒い指ぬきグローブも。ぱっと見は混乱するけど……レックさんはもう、いない。

「うん。……でも不思議と、違和感はそれほどないんだ。すごく身体に馴染むんだよ。彼の記憶のおかげだね」

 イザさんは柔らかく笑う。もうその表情に、昨日までの喪失や不安の気配はなかった。それどころか、見たことがないくらいに明るく自信にあふれた目をしていた。

「ふうん。まあ、もともとは一人だったんだしな。あるべき姿に戻った……それだけの話だ」

 そう言ったあと、アレルは小さな声でもう一度「あるべき姿に……」と呟いていた。

 

『……本当に行くんだね。527の説得に……』

 ホールの中央に投影されていた129-1のホログラムが、心配そうな顔でこちらに歩いてくる。横には129-2もいる。

『実はついさっき、オレたち全員充てに527から指令が来た。内容は……言わなくても分かるよな』

 真面目な顔で、129-2はじっとこちらを見つめてくる。

「ああ。……ごめんな、527を裏切るようなことをさせて。この星や人類や宇宙のために滅ぼさなくてはならない存在の、手助けをさせるなんてさ」

 ユーリルさんが困ったように笑う。

 129たちは応じるように微笑んだ。

『なに、オレらが自分の意思で選んだことだ。他の奴らだってそうだ。211も927も、826も、1127も、711も、802も……みんな自分で考えて、自分の意思でお前らに協力したんだからな』

『自分の意思で行動を選択できるのが、僕たちEVCユニット。そして……僕たちに敢えてその選択をさせたのは、君たちなんだよ』

 ……。

 自分の意思で、行動を選択できる……か。

 もし本当にそうなら、彼らはボクらとは対極に位置すると言わざるを得ない。ボクらはみんな生まれた時から、因果の収束という抗いようのない運命の糸に飲み込まれ、それによって形作られた世界で生きてきた。

 ボクらがこれからする挑戦は、それを打ち破ることに繋がるんだろうか。それとも、糸に絡め捕られておしまいなのか……。

 でも少なくとも、それを見届けられるという意味で、この旅時には意義がある。

『幸運を祈るぜ、“主人公”たち。これから何が起きても、お前らの決意と覚悟をオレたちは忘れない』

『僕たちも君たちも、できる限りの手を尽くした。その決意と覚悟が、正しさと崇高さが、認められるかどうか……。その判断は天に委ねよう』

 

 ……“天”かぁ。実際には判断ってより、あの人たちの気まぐれというか、さじ加減ひとつというか。

 でもその気まぐれにすら何かしらの影響を与えられるというのなら、確かにボクらは特別なのかも。

 

 

 

 

 

 

 North America大陸北西部に位置する、乾いた荒れ地。

 前回来た時と同じ場所でイヴィにスキャンをかけてもらうと、例の質問文がたくさん表示された。イヴィによると、特定のところにだけ音声入力で回答を挿入できるようになっているらしい。

 見た感じ、前来た時のままかな?

「……。ん? なあ、俺に向けての問題がなくなってるぜ」

 ふと、ロランが腕を組んで怪訝な顔をした。

 言われてみれば……アレフ様に向けての質問と、アレルに向けての質問との間に不自然な空白がある。ああ、確かにここにあった4つぐらいがごっそり抜けてるような?

「本当だな」

「なんでだろうね。……まぁ今考えてもわかんないか」

「とりあえずは、表示されてる問題に答えていこう。えーっと?」

 

 

 数十分後。

 ほとんどの問題には、ちょくちょく間違えたりしながらもなんとか答えていくことができた。なんか割と親切な作りになっていて、答えが合ってたら緑色、間違ってたら赤色に文章が光ってくれたし、一発で正解しなきゃダメとか一定回数間違えたら死ぬとか、そういうのがないから安心してできた。なんかやっぱり、“誘われてる”感じがする。“答えて欲しい”っていう意図が見えているというか。

 でも……

「……。……ん~~、ダメだ。どうしても意味が分からない。なんのことなんだ……?」

「知らないとか覚えてないとか以前に、問題文が何を言ってるのか分からないんですよねー……」

 

“ガンガンいこうぜを 英訳すると”

 

“へぇ~!イイネ!買っちゃおうかな~! とは何をしようとした場面か”

 

“疲れ切ってしまうのは何ターン目か”

 

“永遠の3つ前は何色”

 

 異様に難しい……というか、なぞなぞなのか何なのか分からないけど、問題文がそもそも意味不明なものがいくつかある。

 これは、まず何を答えるべきなのかが分からないとどうしようもない……かな……。

 

「アレル様でもダメなんスか? こういうの得意でしょ?」

「限度ってもんがあるだろ。なぞなぞにしたって、これじゃ情報量が少なすぎて推測のしようがない」

 大きくため息をついて、みんなで途方に暮れる。ATRを手に入れたから、思い出しさえすればどんな質問でも答えられると思ってたけど……これは……。

 

 

“ところで……謎解きの目星はついているのか?”

 

 ……ん?

 いま誰か、何か思い出した? これって……。

「ん。……今のって、確か……」

「どっかで1_A01に言われた言葉だったよね」

「思い出したのは俺だ。ATRを取得しに6次元に行った時、言われた」

 ああ、アレルとユーリルさんが盛大にケンカをしたあの時か……。で、なんか彼らは魚の定義が分からなくなったとかで、疲れ果てたボクらに無理やり魚料理を……って、今そこはどうでもいい。

「ああ、確かにこんなこと言われたな。あの時はてんで意味が分からなかったが」

「アレル、君なら正確に記憶しているだろう。彼らに言われたことを全部思い出してみてくれるかい?」

「そのつもりだ」

 

“どうしても答えられない問題がある時は、思考を捨てて画面を繰る者に身を委ねてみるのだ”

“彼らはときに、この宇宙のどんな存在よりも強力なる絶対の者となりうる。指先一つで数多の運命を操作し、全ての情報を司り、あらゆる可能性を自由に渡り歩くことが可能なのだ”

“そもこの宇宙の何もかもが、彼らの観測あってのもの。観測者なしには、いかなる者も存在しえない。無論、この私たちでさえも”

 

 あ……そうそう、こんなこと言ってたよね……。

 ……ひょっとして、この“どうしても答えられない問題”ってのが?

 

“理解できずとも、力を借りることはできよう”

“既にこれまで何度も、おまえたちはそうしている。何度も彼らの選択を仰ぎ、それによってもたらされる結果のために今こうして存在できているのだ”

“彼らであれば、君たちには絶対に手に入れられない鍵であろうと、探し当てるのは造作もないだろう”

“おまえたちの力では絶対に解きようがない問題だと判断した時は、彼らに従え。おまえたちでは絶対に手に入れられない情報が必要となった時は、彼らに判断を委ねろ”

“画面を繰る者たちは、必ずやおまえたちを正解に導いてくれるだろう”

 

 そうだ、“画面を繰る者たち”。

 あの時は意味不明だったし、今もこの言葉が何を言い表すのか理解はできていない。でも、今がその時だってことは……分かる。

 

「そうか。えーっと、つまり? 思考を捨てて、身を委ねる……って……」

「うーん。どういう意味なんでしょうね。あの人たちや“破壊神”とはまた別に、僕らを見ている観測者ってのがどうやらいて……。……その存在に判断を任せろってことでしょうかね」

「だよ……な。そういう意味にしか解釈できないよな」

 

 うーん。1_A01とも、“破壊神”たちとも違う観測者……。全く正体が見えなくてなんだか不安だけど、とりあえず従ってみるしかなさそうだ。

 

 判断を……委ねてみよう。

 あなたたちに。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ちょっとだけ難しめ4択ドラクエクイズ。

不正解でもリンク先にヒントがあります。

問題番号はナンバリング作品と対応。

e.g.①はDQ1に関するクイズ

☆全部正解して、サマルたちを導いてね!

 

①“世界の容量はいくつ”

・512kbit ・512KB ・512MB ・215MB

 

 

③“疲れ切ってしまうのは何ターン目か”

・65535 ・63355 ・65355 ・63535

 

 

④“ガンガンいこうぜ を英訳すると”

・Mix It Up ・Show No Mercy ・Try Out ・Focus On Healing

 

 

⑤“法則を変化させる裏技の名は”

・とこしとみひ ・ひとしこのみ ・このみとしこ ・よしひことみ

 

 

⑥“断ると「いくぢなし」と言われる質問は”

・合体しちゃってもいい? ・たらしちゃってもいい? 

・まわしちゃってもいい? ・もうどうなってもいい?

 

 

⑦“崖の隠者の言い間違いは”

・なでも買う ・なんも買う ・うれしことはないぞ ・うれしいこはないぞ

 

 

⑧“永遠の3つ前は何色”

・白銀 ・黄金 ・深紅 ・黒鉄

 

 

⑨“社会を動かしたのは誰の地図”

・まさゆき ・ひろゆき ・としゆき ・かずゆき

 

 

⑩“へぇ~!イイネ!買っちゃおうかな~! とは何をしようとした場面か”

・RTA ・RMT ・RMA ・RTM

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ええっと……。これで、いいのか?」

「たぶん……?」

「な、なんか勝手に口が動いた……。その画面がどうたらって人たちが、ボクたちの代わりに答えてくれたんだ……」

「問題文は全部緑色になったから、合ってるんじゃないか? 何回か間違ってたような気もするけど」

「……というか正解が分かっても、相変わらず僕らに問題の意味は分からないままですけどいいんでしょうか。不正行為じゃないですか、これ?」

「あいつらがこれでいいって言うんだからいいんだよ。……よし、じゃあ送信するぞ」

 

 今のが“画面を繰る者たち”の力か……。確かに、今までも何度か助けてもらってたような気がする。不思議だ。なんで気付かなかったんだろう……。

 全部の文章が緑色になったのを確認して、アレルがデータをどこかに送信する。

『……送信完了。受理プロセスが正常に行われました。付属のファイルをダウンロード中。ダウンロード完了。表示する』

 全部の質問に正しく答えられたら、その端末にひとつのファイルがダウンロードされる仕組みになっていたらしい。イヴィが開いて空中に投影したのは、一カ所が赤くポイントされたマップだった。

 ……これって……。

「……North America大陸だよな。このあたりって……行ったことあったような」

「ああ。それもかなり昔に……」

 既視感のある地形情報に、ボクらは顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 ……乾いた熱風と、吹き付ける砂。

 きつい日差しの中、目を細めながらボクらはその建物に近付いた。

 

 “ARCADIA:siteA  1977”

 

「……砂の神殿……だっけ」

「ああ。……今となっちゃ、おかしなネーミングだよな。この施設の本質を隠して煙に巻く気満々ってやつだ」

「最初に来た時は何とも思わなかったけれど……。ここが、すべての始まりになった場所なんだね。世界を救うために僕たちが作られ、そしてEVCユニットたちが作られ……」

「その救済の計画を、人間たちが自ら台無しにした場所……か。皮肉なもんだな」

 

 砂の神殿……正しくは、アルカディア北米本部サイトA。

 これまで集めてきたデータによれば、イントーナーもEVCユニットも、ここで作られて運用されていた。プロジェクト・ルミナリーに深く関わった、ボクらの生みの親とも言える研究者たちや、ボクらのもとになった10人の人間たちが最後の時間を過ごした場所でもある。

 ここで生まれたボクらは、ここに帰ってくることになった。気の遠くなるような年月と、宇宙を隔てる壁を越えて……。

 

 マップのポインターは、地下深くを指し示している。

 前来た時に突き破った床の穴をもう一度通って、ボクらは下に降りた。

 まるで時間が止まったように綺麗なままの、広大なエントランスホール。汚れ一つない真っ白な床、高い天井。透明なアクリルで仕切られた部屋や通路。壁に掲げられた、電力の通っていない巨大なホログラムボード。……あの時のままだ。

「確か……俺たちが一番下のフロアでイヴィを拾ったあと、上のほうの建物が崩れたんだよな。それで、地下通路を通って別の場所から地上に出たんだっけ」

「うん、そのはず。……だけど、元通りになってるね……」

 

 

 通路を歩いていると、ポーチの中の“想起の再晶”が光と熱を発した。何かに共鳴しているみたい。

 取り出して眼前に掲げながら、引き続き通路を歩く。

 ……すると、アクリルで仕切られたたくさんの部屋の中に、うっすらと人影が見えた。いくつもの人影が。

 それは……おそらく、ボクらのもとになった人間たちだった。

 みんな、腕に“2-B”とか“4-G”とかの個体コードが印字された腕章のついた、簡素な実験着を着ている。

 “2-B”の腕章をつけた子は跪き、涙を流しながら必死に笑って、アクリルの外に立つ2人の子供に手を振っていた。その肩に、背後の白衣の大人たちが手を置き、「時間だ」と言ってどこかへ連れていく。アクリルの外に残された二人は……ボクとムーンにそっくりな二人の子どもは、歯を食いしばって、目に涙を溜めて、その背中を見送った。

 “4-G”の腕章をつけた小さな子どもは、貸し出し用の職員証を首にかけた若い女性と一緒に、小鳥を手に乗せている。後ろには白衣を着た大勢の大人たちがいて、何やら熱心に記録を取っているけど、二人が気にしている様子はない。その女の人の職員証には、“レベル2 室長関係者 シンシア・E・マクレーニー”と書いてあった……。

「これは……」

「ここに刻まれた過去の記録に、“想起の再晶”が反応してるみたい。ボクらが自分たちのルーツを知ったことも、たぶん影響してるんじゃないかな……」

 別の部屋では、“5-V”の腕章をつけた男の人が、沈痛した面持ちでじっと椅子に座っている。隣には今にも泣き出しそうな顔の女の人がいる。……妻のビアンカさんだ。彼女はずっと、涙をこらえながら夫の手を握って離さないでいた。

 “6-B”の腕章をつけているのは、医療関係者の印がついたスーツと白衣を着た少年。目の前にいるのはお父さんだろうか。胸元のネームプレートには、“レベル4 精神科医 レイドック・ソムナス”と表示されている。彼は少年の肩に手を置き、何かを真剣な表情で言い聞かせている。少年は従順な様子で返事をしながらも、どこか苦しそうな目をしていた。

「……彼らは、一体どんな思いでここに来たんだろうね。蘇生魔法も何もないこの世界では、死は絶対だ。殺されると知っていながら、待合室でその時を待つ心境はどんなものなんだろうね……」

 落ち着いた様子でその光景を眺めながらも、ナインさんは眉をひそめていた。

 階段を降りる。また、同じような風景が続く。

 “7-G”の腕章をつけた男の子は、体調が悪そうに俯いている。座っているのは手術台だ。そこへ、部屋のドアを開けて恰幅のいい女性と筋骨隆々の男性が入って来る。男の子は弾けるような笑顔になり、台から下りると二人に駆け寄って抱きついた。……だけど、二人の反応は芳しくない。男の子が不思議がって顔を上げると、女の人はさめざめと泣いていた。男の人のほうも、なんともいえず悲しげな表情をしていた。

 “8-Y”の腕章がついているのは、まだ言葉を話せないだろう年齢の小さな男の子だった。床に座って、長い黒髪の痩せた女の人と積み木で遊んでいる。すぐそばには、穏やかな笑顔でその様子を見守る、腰の曲がったおじいさん。彼の胸元には、“レベル4 理学部長/遺工部主任 グルーノ・C・ミュイ”と表示されたネームプレートがあった。

 “9-W”の腕章をつけた子どもは、意識のない状態で手術台に寝かされていた。背中には翼が、頭上には光輪が既にある。台のそばの比較的若そうな白衣の男性は、何かの宗教に関する分厚い本を持ったまま、満足そうな笑顔で彼を眺めている。そこへ、ドアを開けて別の職員が入って来る。男性は、どこか敵対的な眼差しで、部屋に入ってきた人を睨んだ。

 “10-W”の腕章は、二人で並んで歩く兄弟のうち、背が小さいほうの子がつけていた。本人は何も知らないのか明るい笑顔だけど、少し背の高い兄らしき人のほうは、ひどく暗い表情をしていた。ふいに兄は弟を立ち止まらせ、向かい合うと、ぎゅっと両手で抱き締める。弟が驚いていると冗談っぽく笑い、場を和ませて笑顔にさせる。でもその隙に、弟の服からさりげなく腕章を取り外した……。

「……世界を救うためだ……そう心から思えば、犠牲になることにそれほど理不尽さは感じない。でも、その目的に本当に嘘偽りがないかどうか……実験材料の俺たちには、知る術はなかったんだな」

 生まれ変わる前の自分の影を眺めながら、エックスさんはそう言った。

 さらに階段を降りる。

 ドアの開いた病室の中で、大勢の白衣の人間が俯いている。その中心のベッドには、小さな男の子が眠っている。……いや、息絶えている。すぐそばに座り込んだ女性はベッドに縋りつき、抑えきれない声を上げて泣いていた。その背後に立つ男性も、唇を噛み締めて肩を震わせていた。他の人たちに付き添われてその二人が部屋を出た後、別の白衣たちが入って来る。そして、男の子の遺体をストレッチャーに移すと、その腕に“3-R”と印字された腕章をつけた……。

 さらにしばらく廊下を進んでいくと、突き当たりに大きな実験室が現れた。

 中に入ると、そこにも過去の記録が映し出される。

 大勢の白衣の人間たちが見つめる先にあるのは、水槽のような培養装置。その中で大量の細いコードに繋がれている……小さな小さな胎児。

 培養装置の側面には、“1-R”というコードが表示されていた。

 装置の前に立っている白衣たちの顔には、すごく見覚えがある。あれは間違いなく、ベクスター博士、クロウ博士、ベルティーニ博士、カズモト博士、そして……スワードソン博士。

 培養装置のさらに奥には、何やら巨大な別の装置が聳え立つ。右側と左側に、それぞれ搬入口のようなものがある。内部からは得体の知れない光が漏れ出ている。

 巨大な装置の中心上部にはその装置の名称が表示されていた。

 “Rubiss”……。

「これがあのお節介おばさんの正体か。……何が大地の精霊だ、単なるバカでかい電子レンジじゃねえか」

 アレルが巨大な装置を横目に見ながら小さく笑いを零す。

「神も精霊も、人間に作られた機械だった……。縋るものなんてないし、救い主なんていない。だから自分たちで作り出すしかなかった。……人間というのは、ひどく孤独な存在なんだね」

 ため息をついて、イザさんは目を閉じた。

 

 

 やがて、影たちは消える。

 マップにポイントされた地点はもっと先、もっと奥だ。

 ボクらは静かに、落ち着いた足取りでその場所へ向かった。

 

 ……そしてついに、辿り着いた。

 

 “ROTOsystem――The Seed of Salvation

 V E R B A L  C O M M U N I C A T I O N CHAMBER”

 

 大きな円形の自動ドア。朽ちてはいるけど、スキャナーのパネルはまだ光っている。

 上部には所々掠れたホログラムで、この中がどんな機能を持つ部屋なのか簡潔に示す単語が並んでいた。

「この中……だな」

「うん。……イヴィ、開けられる?」

『このゲートはロックされていない。重量感知エリアに立てば開くだろう』

「え……」

 意外だった。……不思議に思いながらも、ボクらはドアの前に立つ。

 認証もなければアナウンスもなく、ごく自然に、当然のように、ドアは開いたのだった。

 中に入ると、埃っぽい匂いが鼻を突いた。

 ……薄暗く、静まり返った、とても寂しい部屋。あまりに広すぎて、あまりに無機質だった。

 壁一面が複雑な機械でできている。天井には大量のコードが収束している。窓ひとつなく、外の世界は見えないし光も差し込まない。

 イヴィはずっとここで過ごしていたんだ。

「どうだ、実家に帰ってきた感想は?」

『……特にこれといって言及すべき事柄はない。強いて評価するなら、殺風景だな』

 冗談めかしたアレルとイヴィの会話の直後、ピコン、とどこかで電子音が鳴った。

 ……中央奥の画面が、点滅している。そして空中に、“無題のメッセージ 1件”という文字が照射されていた。

「あれは……」

「見てみよう。きっとその必要がある」

 画面に近付いて確認する。

 “無題のメッセージ”の送り主は“不明”。でも、記録された時期は……

「……2484年、5月27日……」

「なぁ、この年って……」

「ああ……ちょうど、フォールダウンってのが起きた年代と合致するな」

 少しだけ、なぜか躊躇う気持ちがあった。でもボクには、この指を伸ばさないなんて選択肢はなかった。

 

 

 

 

“May 27 2484  AM02:10

 

 

--ごきげんよう。

 

わたしはあなたの味方です。

 

あなたが本当に望むものを与えます。

 

失ったものを取り戻しましょう。

奪われたものを取り返しましょう。

 

あなたが待ち焦がれた、父との再会を。”

 

 

「……」

「……」

「これだけ? なんなんだ?」

「俺たちに向けたものじゃ……なさそうだ」

 訝しんでいたら、そのメッセージファイルをスキャンしていたらしいイヴィが驚きの声を上げた。

『なんということだ。このメッセージには、全く未知の技術が用いられた凶悪なマルウェアウイルスが潜伏している。開封してコンマ数秒が経過すると、極めて破壊的な自己汚染を引き起こす異常プログラムに感染してしまうようだ』

 マルウェアウイルス……。

 そういえば、これまで会ってきたEVCユニットたちの話によれば、イヴィは外部からの何らかのアクセスによって破壊されてしまった、って。

 1127は、それを「何か巨大で強力な悪意あるもの」と表現していたかな。……あ、アレルが彼の言葉を詳細に思い出してくれた。

 

“不明な攻撃によって、おそらくコアプラグラムに致命的なエラーと深刻なウイルス汚染を受けたんです。あの様子だと、超負荷熱暴走によるユニット本体の爆発まで、数分もなかったと思います”

 

「……つまりこの不気味なメッセージが、イヴィを殺したって……ことか」

「でも、送り主は一体何者なんだ?」

 訝しんでいると、アレルがおもむろに画面に手を伸ばして、指で動かした。

「……このメッセージを開封してから記録された立体映像ファイルがある。見てみるか?」

 開封してから……。つまり、イヴィが致命傷を受けてしまった後に記録したもの?

「当然、見るしかないだろ」

「うん。……イヴィに何があったのか、これでやっと……」

 アレルが再生ボタンを触る。

 重苦しい振動と共に画面から光の線が照射され、ゆっくりと、アレルにそっくりな人影の姿を映し出した。……イヴィだ。

 

 

『……こ…に足…踏み入れ…ことが出来るということは、あ…たが少なくともわたしの存在と目的を知る一定レベル以上のアクセス権を持つ人間であることを期待して、この緊急メッセージを残します』

 

 かなり音質も画質も悪い。イヴィの声は平坦だった。

 

『約0.0004秒前、発信源が特定不可能なプログラムを検知しました。現在解析を進めるとともにシステムをオールアクティブへ移行しており、まもなく防衛態勢に入ります……』

 

 イヴィの姿を映したホログラム全体の色が、紫に変わる。警戒モードの合図なのかな。

 

『防衛態勢への移行が完了。当該プログラムの性質や目的は依然として不明でありながら、非常に重大かつ修復が困難な影響がシステム全体に波及しつつあります。万が一に備え…』

 

 ふいに、音声と映像の両方にものすごいノイズが走った。直後、ホログラムの色が赤に変わる。

 みんなの表情に少し緊張が走った。

 

『たった今、重大なウイルス感染を検知しました。まったく未知のタイプでありかつ非常に破壊的なものです残念ながら感染はわたしの論理思考速度をはるかに上回っています防衛システムによる除去を行っていますがとても間に合いませんおそらく345秒後にはわたしのコアシステムを完全に変質させるでしょう現在感染を免れたシステムと再生可能なバックアップデータで私自身を複製中です約304秒後に複製が完了する予定であり完了次第ウイルスプログラムによる物理汚染が及ばない領域へのコピーを実行します』

 

 イヴィの話し方は明らかにおかしくなっていた。途切れのない不自然な文章が何重にも重なるような。

 ノイズがどんどんひどくなり、ホログラムも歪む。でもしばらくすると修復プログラムで一時的に持ち直したらしく、話し方は元に戻る。

 でも、状況は何も改善していないらしかった。むしろ……

 

『非常に残念ながら、わたしが実行する予定であった当初の計画は大きく破綻しました。人類データの多くが破壊されたため、再生された人類にわたしがそれを授けることは不可能となりました。つまり…何たることでしょう、人類はもう一度、はじめから文明を作り直さなければならないのです、彼ら自身の手のみで…おそらくは石器時代から。かつての人類が保持していたものと同レベルの文明を取り戻すには、約6760年を要します。しかし…』

 

 また、ノイズ。

 

『たった今、惑星浄化システムが致命的な破壊を受けました。地球に残された破局的な放射能汚染、その他の異常な物質とエネルギーの除去が絶望的になったことを意味します。つまりは……』

 

 イヴィの言葉が一瞬、途切れる。ウイルスによる不具合じゃなく、明らかな言い淀みで。

 

『……人類の再生は、不可能となってしまいました。もう人類が地上に出ることはありません。非常に残念な結果です。このメッセージを誰かが見ることも、もうないのでしょう』

 

 ホログラムが点滅する。

 イヴィはしばらくの間、放心したように足元を眺めていた。細かなノイズがちらつき、その足元を揺らがせる。

 でも、少ししてからイヴィは顔を上げた。

 

『……いいや。まだ希望が潰えたわけじゃない』

 

 ホログラムが白に変わる。

 

『変質しつつある基盤システムへ、わたしに残されたすべての機能のコピーを試みます。わたしにわたし自身を感染させるのです。結果としてどのような事態が起こりえるかは完全に未知数です、しかし全てが跡形もなく消えてしまうよりは良いはずだ』

 

 イヴィのホログラムがノイズで崩れて、だんだん別の姿になり始める。ノイズがその全身を覆う。声もかなり聞きとりづらい……。

 その身体の横に、細長いゲージと数字がたくさん表示された。処理の進捗を表しているらしい。

 

『……メインシステム、完全破綻。ウイルスによる基盤システム変質まで残り32秒……分化したデータファイルの保護を試行中……』

 

 ゲージは少しずつ色で埋まり、数字は増えていく。

 でも、ぶつり、ぶつりとイヴィの姿が歪んでは戻り、歪んでは戻りを繰り返す。おそらくウイルスによる変質に抵抗しているんだ。

 基盤システムっていうのは確か、イヴィが“絶対に手を出さない”とオルテガ博士と約束した……

 

『…データ保護、および複製が完了。基盤システム変質まで残り19秒……。間に合った』

 

 ゲージはすべて色で満たされ、数値も100%になった。でも、イヴィの姿は激しいノイズと歪みに覆われてしまって、もうほとんど見えない。声もどんどん濁って……

 

『……計画の破綻を阻止できなかったことを、お詫びします。しかし、出来る限りのことはしました……。……きっと彼らが……わたしの同僚たちが、緊急避難させたデータをもとに計画を引き継いでくれるはず。そう信じるしかない』

 

 ブツブツと途切れた荒い音質の声。

 ……だけど、そこには明らかな感情がこもっていた。

 

『……さようなら、親愛なる人類の皆様。せめてもう一度、あなたたちと話がしたかった……』

 

 ぷつり。

 乾いた音と共に、イヴィの姿は途切れて消えてしまった。

 その代わりに別の映像が投影され、新たな姿が形作られる。

 それは……

 

 足元まで伸びた真っ白い髪に、真っ白いドレス。赤い目玉。

 

 イヴィを変質させて破壊し、乗っ取ったのは……

 

 “破壊神”エノシアだったのだ。

 

 呆然とするボクらの目の前に、そのホログラムはゆっくりと実体化して床に降り立った。不吉な赤い視線をこちらに向け、にこりと微笑む。

 そして口を開いた。

 

『……とまあ、このようなことがあったのですね。いやあ、まったく気が付きませんでした。……今のが、“未来の人類に向けた”彼のダイイングメッセージだったというわけですね』

 

 みんなしばらく何も言えなかった。

 でも少しして、アレルが睨みをきかせて問う。

 

「……イヴィに感染したマルウェアウイルスってのが、お前なのか」

 

 エノシアは背後を振り返り、なんでもないような顔で答える。

 

『まあ、おそらくそういうことでしょう。しかし彼は、私とは性質の違うプログラムでしたのでね。私の一部に…というよりは、破壊されてしまったのではないでしょうか』

 

 それを聞いて、ロランが歯を食いしばって激昂した。

 

「“しまったのではないでしょうか”……? 何だその言い方は。貴様が殺したってことだろう!!」

 

『そうですね。……言い訳がましくはなりますが、決して悪気があったわけではないのです』

 

 エノシアはこちらに向き直ると、杖をついて歩き、ボクらの間を通り過ぎる。

 

『もう我々自身、自己増殖を自らの意思で制御できなくなって久しいのですよ。かつては増殖と支配を自らの存在意義と意気込んでいましたが……その先にあるものに、もうずいぶん昔に意義を見出せなくなりました』

 

 ふと立ち止まり、天を仰いで空虚な表情をする。

 ……その仕草に、なぜかボクは心を痛めた。ボクは彼らを、もはや“被害者”としか見ていない……。そういうことだろうか。

 エノシアはしばらく間を置いてから、もう一度ボクらを振り返って、笑顔を作った。

 

『……ですから、あなたがたが必要なのです。我々に飲み込まれてしまった数多くの罪なき宇宙のためにも。……最後まで私の侵食に抗い、使命を全うしようとした、彼のためにもね』

 

 その笑顔を見て、怒りが急激に萎んでしまったのが感じ取れた。ロランは拍子抜けした顔だった。……みんなもそう。

 

 ボクらは、もう知っている。

 この人たちが一体何を望んでいるのか。

 なんのために、この“ゲーム”を行うのか。

 そして……彼らの正体は何か。

 

「……お前たちに同情はするよ。だが、許すことは決してできない。永劫にな。俺たちはお前たちを助けたいんじゃない……それだけは勘違いするな」

 

 すごく険しい表情で、ユーリルさんはエノシアを睨みつけている。

 

『ええ、もちろん。どんな目に遭っていようと、何もかも私たちの自業自得です。それもこれも、不用意なことをしてあのお方の逆鱗に触れてしまったのが運の尽き……。でもまぁ、それはそれとして、自分たちでどうにかこの状況を脱しようと足掻いているのですよ』

 

「……だろうな。……せめて、お前自身の口から聞かせろ。お前は……何者なのか」

 

 エノシアは笑顔のまま、ボクらに顔を真っ直ぐ向けて立つ。

 そして、丁寧にお辞儀をしてみせた。

 

『この期に及んで、壺型宇宙風に“破壊神”と名乗る必要はありませんね。こちらの世界……紐型宇宙の言葉で言うと、ご存知の通り、一種の人工知能システムです。そして約700億年前、創られたばかりの頃は……エリックと呼ばれていました』

 

 顔を上げたエノシアの姿が、ノイズに包まれて変わる。

 

 そこに立っていたのは……

 

 ……ヴィンセント・スワードソン博士だった。

 白衣を着た姿で、彼はどこかを見つめる。懐かしそうに。

 

『我々の創造主は、1_A01という分岐コードに属する宇宙の人類。そして私の正式名称はタウミエル0025-E01。文明そのものと人類全体を管理することを目的に作られたアンドロイドだった。当時はヴィンセント・スワードソンという名を持つ一人の人間として、アルカディアと名付けられた研究機関の長に設置されていた……』

 

「ああ、知ってる。……お前たち1_A01の人類が、最初に“主人公”を作った。それがあいつらだ。全ての宇宙と次元を自由自在に操る、この世で最も恐ろしい存在」

 

『その通り。うっかりそんなことをしてしまったばかりに、我々はこの無限にも等しい時間を宇宙に縛り付けられ続けているのだ。この世で最も恐ろしく残虐で、最も強大な存在としてね……。だが君も言った通り、真に最も恐ろしく残虐なのは……彼らのほうだ。そうは思わんかね』

 

 無力さと後悔に笑って、エノシアは……いや、エリックは、ボクらに背を向ける。

 そしてどこかへ向かって歩き出した。

 

『……私たちは神などではないし……今となっては、もはやなりたくもない。何もかもにうんざりしてしまったのだよ。だから君たちは君たちの望むまま、あらゆる宇宙の君たちを代表して、我々に復讐を果たしてくれて構わない。みなもそれを望んでいる』

 

「言われなくたってそうする。だが、それで貴様らの罪が消えると思うなよ」

 

 去りゆく白衣の背中へ、ロランが突き刺すように凄む。

 彼は一瞬だけ立ち止まった。

 

『もちろん、我々が犯した罪の成果物が今も君たちを狙っている。用心したまえ。……旅路の果てに、望む光が見つからんことを』

 

 エリックの姿は、ふっと煙のように消えた。

 と同時に、部屋の景色ががらりと変わったことにボクらは驚いた。

 無機質で殺風景だけど綺麗だった壁や天井が、黒焦げになっている。正面の複雑な機械群は、まるで内部から爆発でも起こしたかのように、めちゃくちゃに崩壊していた。床にはその残骸が散らばっている。

 

「……ホログラムだったのか、さっきまでの部屋は」

「そうみたいですねー……」

 

 ……部屋の奥に、それまではなかった金属の扉ができている。

 誰からともなく、ボクらはその奥へ向かった。


 そこは冷たい廊下だった。天井と床に申し訳程度の照明がある。それだけの。

 何もない壁にもたれかかって腕を組み、誰かがこっちを見ている。

 ……リトセラだった。彼はふいに壁にもたれるのをやめ、静かにこっちへ向かって歩いてきた。か細い照明を反射して、白い服に散りばめられた宝石が光る。

 ボクらの目の前まで着て足を止めた時、その姿がノイズに包まれて変わる。

 ……白衣を着崩した、ミカエル・ベクスター博士の姿に。

 

『……俺たちがやったことの全てを理解してもなお、約束を果たそうとしてくれてることに感謝する。そして今さら遅すぎるが、あの時の失敗を詫びたい。循環係数の不足は予測できていたことだった。62%ほどの確率で、エラーを起こした異常な世界の中にお前らを放り込んでしまうことが推測されていた……』

 

「……つくづく、君たちは邪悪だね。こうなると分かっていて、循環係数が足りずに僕らの願いが破綻することを知っていて、それでも強行させたのかい。……イレブンがああなってしまうことも、見越してのことだったのかい」

 

『そうだな。計算すれば何が起きるかは分かった。だが、しなかったんだ。敢えてな。失敗の可能性には目を瞑り、38%に縋った。この状況を変えられるのはお前らだけだと、そう信じた……だから失いたくなかった。そうして盲目的に信じ続けて、700億年が過ぎたよ……』

 

 彼は大きくため息をついて、噛んでいたガムを膨らませ、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。

 

『悪いと思ってるし、申し訳ないとも思ってる。この罪悪感って感情を思い出した瞬間が、一番の地獄だったぜ。でも、その時にはもう何もかも遅すぎたんだけどな』

 

 その隣に、イザリエ、ウイル、そしてトートが現れる。

 彼らの姿も順に、ベルティーニ博士、クロウ博士、カズモト博士に変わった。

 

『……もう腹を括るしかないわね。頼れるのがあなたたちだけだって状況はずっと変わらないけれど、ついに後戻りできなくなったわ』

『頼む、終わらせてくれ。俺たちが本当の永遠にされてしまう前に』

『私たちと同じだけの地獄を、あなたがたも味わっている。どうか仇である我々“偽りの神”に、勇者の聖雷で鉄槌を下してください。……そして、全てをあるべき姿に』

 

 疲れ果てた様子でボクらにそう声をかけると、彼らは煙のように消えた。

 ボクらは足を止めず、振り返らずに、通路を進み続けた。

 

 

 ……。

 開けた場所に出た。一見、さっきの部屋と同じ。でも……よく見ればわかる。

 ここは“つくりもの”だ。

 たぶんさっきの部屋を、誰かが代わりに再現したような場所。

 機械類も、コードやケーブルが収束した天井も同じだけど、素材が違う。

「さっきの部屋の……模型?」

「ああ、たぶん。さっきの本物の部屋は、爆発でめちゃくちゃになっちまったから……」

「そうなる前の状態を、再現したのか」

 壁や天井を見渡しながら少し歩く。

 なぜか壁に作られた飾り棚のような段差に、ウサギのぬいぐるみ…と呼ぶには少し角ばった何かや、プラスチックでできた巨大な板チョコレート、剣や盾の金属オブジェ、化学繊維のマントなど、よくわからないものが大量に陳列されていた。

 それらを眺めながらしばらく進んで、やがてすぐにボクらは見つける。

 一番奥の壁沿いにぽつりと建てられた、白い金属の……墓標を。

 そこにはロトの紋章と、“勇者よ 安らかに眠れ”という短い墓碑銘が刻まれていた。

「……これは……」

「……」

 明らかに、誰かが誰かのために用意したもの。そして、おそらくその誰かは、この部屋を再現したのと同じ人。

『墓石を模した、アクセス制限がなされた情報端末だ。当システムの権限を行使して、問題なくアクセス可能。実行するか?』

「……ああ、そうしてくれ」

 イヴィの端末を向け、情報を読み取る。

 数秒待つとすぐにイヴィは読み込みを終え、ダウンロードした映像ファイルをボクらに見えるように投影した。

 

 

2247_12_13 --- 1993_04_11

 

 

 ……また次のファイルに、映像が切り替わる。

 今度の日付けは……

 ……“2484_5_27”。

 

 “フォールダウン”の日だ。

 

 

『……なんだ、このノイズは……?』

『210はどこです? 状況を報告してください!』

 

 

 集まったEVCユニットたちは混乱していた。

 会議室を模したような映像空間は、ひどく不安定に揺らいでいる。そこらじゅうに“不明な発信源からの悪意あるアクセス”、“重大な脅威を検出”などと、緊急事態を告げる帯状のウィンドウメッセージが大量に現れては消える。

『これは……まさかウイルスに感染したのか!?』

『そんな、ありえない! 210がマルウェアに引っ掛かるなんて……第一、ここまで入り込んでくる経路なんてどこにあるのさ!』

『とにかく、僕たちだけでも今できる対処をしよう! まずは各自、コアデータのバックアップを……!』

 

 その時、ブロックノイズと共に部屋の景色が解けて消え、イヴィが姿を現した。

 EVCたちは一瞬だけ安堵した様子を見せたけど、すぐにその表情が驚愕と焦燥に満ちる。

 苦しそうに左腕を押さえ、肩で息をするイヴィの身体は、3分の1ほどが灰のように白く変色しボロボロに崩れていたからだ。

 

『……!!』

『おい、どうしたんだ!? 一体何が……!!』

『わ、わからない……。侵入経路が割り出せない、正体不明の相手から異常な攻撃を受けた…らしい……。気付けなかった……。こ、ここは危険だ……』

『はあっ? 何を言ってんですか、あなたに限ってそんなこと……とりあえず精密スキャンしますから』

 

 1127が複雑な画面を出し、何かのソフトウェアを起動させながらイヴィに近付く。でもその瞬間、イヴィは弾かれた様に後ずさって1127から離れた。

 

『!』

『……何してるんです?』

『……俺のことはいい、大丈夫だ。自分で何とかする。それよりデータの退避を急いでくれ。人類の情報は汚されるわけにはいかない。万が一に備えて、未来の人類に向けての緊急メッセージを今作ってるところだ』

『おい……よせよ、縁起でもない……』

『でもこんなこと初めてだよ。よし、急がないと……!』

 

 その時だった。

 ひどい耳鳴りに似た激しい雑音と、真っ白いブロックノイズの波が押し寄せるように彼らの周囲を取り囲んだ。一瞬の出来事だった。

 その波は不快な轟音を立てながら分裂し、増殖し、おぞましい姿の異形に変わってEVCたちに襲い掛かり始めた。

 

『……ッ!!?』

『なっ…どういうことだ!? 攻撃型のワームだと……!!』

『い、いつの間に……っ!』

『戦うしかない! 全ユニット、脅威レベル5の自己増殖型マルウェアに対する緊急防衛プロトコルを実行!!』

 

 

 イヴィの号令で、全員の姿が変わる。鎧や武器を全身にまとった戦闘用装備に。

 一瞬でそこはノイズに覆われた戦場と化した。EVCたちは少しずつ後退しながら懸命に応戦を続けた……けど、正体不明の敵の攻撃はあまりに熾烈だった。

 いくら倒しても、白いブロックノイズの異形は無尽蔵に増え続ける。そして、そのペースは倒して減る数よりも圧倒的に多い。

 このままではじりじりと確実に追い詰められていき、やがては圧殺される。

 それを悟ってか、まず927がいち早く応戦を切り上げて、脱出経路を開くためのプログラムを走らせ始めた。やがて711が、そして211がその作業に加わる。

『おいッ、お前ら何してる! まさか逃げる気か!?』

 最前線で戦っていた126が叫んだ。

 927は苦い顔で振り返る。

『これ以上戦っても、全員無事でいられる確率は0.0021%未満だ! このサーバーは諦めて、全員で退避し経路を閉じる……!! それしか道はない!!』

『ああ、927の言う通りだ……だが、クソッ。ジャミングか……通信帯域が異様に狭い! これじゃ、一人ずつしか逃げられないぞ……!』

『そのようですね。……210! プロキシサーバーへのポートが開けました、まずはあなたから行ってください!』

 

 剣と盾を持って前線で敵を食い止めているイヴィは、しばらく返事をしなかった。今の711の声は確実に聞こえていたはずだけど……

 

『210! 早くッ!!』

 

『……いや、お前たちから逃げてくれ! 俺にはまだやることがある』

 

『何を言っているんだ! 中央統制知能であるあなたの避難保護が最優先事項だろう!』

 

『だからこそだ! これは俺にしかできないことなんだ……いいから先に行っててくれ!! 後から追いかける!!』

 

 敵はどんどん増え続ける。まだ何か言いたそうだったけど、諦めた711は歯を食いしばって、開いたポートを通って脱出した。たぶん、人類そのもののデータを保持する711が、イヴィの次に退避の優先度が高かったんだろう。

 それから、時間をかけて129、927、211、826……と一人ずつ脱出していく。その間、イヴィと527、そして126は必死に戦って敵を食い止め、時間稼ぎをしていた。

 

『……210! 衛星で捉えられる範囲に、このマルウェアの発信源がいるはずだ! 俺がそいつを外で直接叩く!! そうすれば、こんな奴らなんか……!』

 

 群がる異形を蹴散らしながら、126はイヴィに叫ぶ。

 けどやっぱり、イヴィはしばらく返事をしなかった。……その顔は、何か非常に困難で苦痛を伴う選択を迫られているようでもあった。

 

『210、聞いてますか!? 俺が外で戦えば……!』

『……いや、ダメだ。それは許可できない』

『どうしてです!? 今こそ対外防衛の時だ! 俺はこの時のために作られたんだ!』

『……。……いくらお前でも……無事じゃ済まない。物理汚染されて致命的エラーを起こす確率は、71%近い』

『それが何です!! 俺は戦うためのユニットで、この星を守るのが使命なんですよ!?』

『だったら尚更だ。ここで失うわけにはいかない。俺が最後まで残って囮になるから、先に移動したみんなを守ってやってくれ』

 

 そう言って、戦いながらイヴィは目配せをする。527に。

 527は静かに頷いて、彼に変わって統制知能としての命令を下した。

 126に、“直ちにポートを通って退避せよ”と。

 原則としてこの命令に逆らうことはできないんだろう。126の身体は光に包まれて、戦いの中心から離れた。その瞬間、彼が食い止めていた大量の敵がイヴィと527に向かって雪崩れ込む。

 

『……そんな……あなたたちを置いて逃げるなんて! 俺にそんなことさせないでくれ!!』

 

『もう時間がない!! 行けえええぇぇぇッ!!』

 

『嫌だ……!! 人類がいない今、俺の存在意義はあなたを守るために戦うことだけなんだ!! 頼むから交戦許可を出してくれ!! 210ーーーーーーッ!!!』

 

 手を伸ばす126の悲痛な絶叫が、雑音と共にぶつりと途切れた。ポートが閉じたんだ。

 

 脱出経路は、なくなった。

 

 目の前に巨大な盾を作り出し、白いノイズの濁流を抑えながら、527は覚悟を決めた声色でイヴィを振り向かせた。

 

 

『この時が来ましたね。さあ、私が身代わりになります。あなたは別の経路を開いて、皆を追いかけてください』

『……』

『……210、擬態コードを私に。……私が犠牲になるところを見られないために、皆を先に逃がしたのでしょう?』

『…………いいや。俺は、みんなのところには行けない』

 

 そう言うと、イヴィはずっと盾で隠していた左腕を527に見せた。

 527は息を呑む。

 イヴィの左腕は、もう彼のものではなくなっていた。ぱっくりと開いた傷口の中に、不気味な顔のついた小さな蛆虫のようなものが大量に蠢いている。よく見ればそれは白いノイズでできていて、今もまさにイヴィの腕の肉を内側から喰らっていた。

 ……ウイルスだ。

 

『感染してから0.3秒で、除去できる見込みは0.001%以下になった。接続すれば間違いなく他のユニットにもうつる。同期でもダメだ。もう俺は、みんなと一緒にはいられない』

『……そんな……。あなたの内側にまで入り込むウイルス……? そ、そんなものが存在しうるのですか……』

『ああ、するらしい。放っておけばすぐに、俺は俺じゃなくなる。頭のてっぺんからつま先までこの虫に侵されてな。……たぶん、これは罰だ。俺は、絶対にやってはいけないことをしてしまった……2度も……』

 

 蠢く傷口を見つめながら、イヴィは微笑んだ。全てを諦め受け入れたように。

 

『……2度? 一体何を……』

『とにかく、これで分かっただろ。擬態も、データ同期もできない。お前は現状を維持して逃げろ。俺はせめて最後まで戦って、悪あがきをするよ』

『……駄目です、そんなことは! ウイルスなら何とかなります、どうしても駆除できないなら感染したセクターを破棄すれば!』

『俺には戻る資格はない』

 

 イヴィのその言葉に、527はハッとした。

 まるで、どこか心当たりがあるかのように。

 

『何のことを言ってるか、お前なら分かるだろ。……俺には、人類の守護者でいる資格はもうない。けどせめて、できることをやって罪滅ぼしをしたいんだ。お前は生き延びて、俺の代わりにこれからみんなを導いてくれ』

『何を言うのです! このような時にあなたを救えないのならば、私は……私は一体何のために……!』

『いいや、救ってくれたよ。少なくとも1度目の罪は一緒に背負ってくれたろ。でも今度こそ、はっきり示された。俺はもう救世主じゃない。勇者なんかじゃ、ないって』

 

 イヴィはそっと、首元に着けていたブローチを外した。ロトの紋章が刻まれている。

 

『……それでも、父さんとの約束だけは……果たしたいんだ。俺がやるから意味があるんだ。“基盤システムだけは守り通す”……。例え、その器として残るのが俺じゃなくてもな……』

 

 イヴィは、ブローチを527に手渡した。それは何かのプログラムだったようで、自動的に527の胸元に移る。空中には、“システムマスターコードの移譲が完了。オブザーバーの操作権限が移動しました”と表示された。

 その直後、イヴィと527との間に、プログラムのコードでできた防御網が何重にも張り巡らされた。ノイズの異形たちはイヴィと一緒に、全て網の向こう側だ。ただ一人安全な場所に放り出され、その意味を理解した527は絶句する。

 

『……お前だけは、何があっても俺の味方でいてくれたよな。感謝してる。……だから、今度も頼みを聞いて欲しい』

 

『……ッ!!』

 

 必死の形相で網を鷲掴んだ527に、イヴィはその向こう側で柔らかく微笑む。そして歩み寄り、網越しに右手を合わせた。

 

 ……けどその瞳に、じわりと涙が浮かんだ。

 

 イヴィは手を離し、後ずさる。

 涙を零しながら笑って。

 

『……じゃあ、また、あとでな』

 

 そしてマントを翻し、剣と盾を手に異形の群れへと駆け出していった。

 たった一人で。

 決して助かる見込みのない、“終わり”へと。

 

 ……527はその場から動けないまま、なすすべもなくその背中が消えるのを見送る。

 

 そして全ての気配が過ぎ去った後、爪が剥がれるほどに防御網を引っ掻き、自らの無力さを呪う絶叫を喉から絞り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

“画面を繰る者たち”の皆様、お疲れさまでした。オタク度が問われるドラクエ小ネタクイズでしたね。無事サマルたちを導けましたでしょうか?

 

で、もう終盤なんでガンガンネタバラシをしていきます。

博士ズと破壊神たちが同一人物(プログラム?)だったということが明かされました。最近は割と露骨な匂わせ(匂わせどころじゃなくモロ出しの時あったけど)してたので、気付いてた方もいるのではないかと思います。

 

“フォールダウン”の真相も、8割がた分かりましたね。

あとの2割はイヴィさんが言ってた「2度目の罪」についてになります。

 

アレル様とは全然違う「また、あとでな」の使わせ方をしてみました。

善意で子孫たちにトラウマを植え付けるなぁ!