1970~1980年代、中央線文化が花開いた時代に注目のスポットといえば「三寺」と呼ばれた高円寺、吉祥寺、国分寺でした。それらの街に共通していたのが「カウンターカルチャー」で、ディープなBARや居酒屋はもとより、ジャズ喫茶やロック喫茶、ライブハウスに小劇場等が多く開設されました。そこでは毎日毎晩、夢と挫折、希望と悔恨が繰り返し繰り返し語られ展開されていました。

 

 当時の中央線界隈には三多摩ロックというムーブメントがあって、清志郎さんを筆頭に、ルージュ/サンシャイン/バレリーナ/ズー/ロードランナー/ホワイトママ/洋燈亭・・・、と多種多様なシンガーやバンドが活動していました。あの時代にオレ達を前に向かわせてくれたのは、刺激的な音楽、映画、書籍、美術、演劇、かっちょイイ兄貴たち、お洒落でロック好きの女の子たち、喧嘩もしたけど多くの仲間でした。
 


 

ライブハウスとは

いつ、何が起こるか分からない空間

その小さな空間から肉声も含めて発せられる磁場である

さらに街の風景の中に溶け込み

息づいているのがライブハウスなのだ

 


 

 お客さんから、表現者から、スタッフから愛されて、初めて「ライブハウス」だと威張れるものなのだ。当時のライブハウスはライブも含めてロック好きが集まるコミュニケーション・スペースでした。現代のように数バンドが入れ替わり立ち代わり発表会よろしく演奏だけをするのなら、何もライブハウスでなくたっていいのではないのかな?オレは今の時代にこそ、語り合える「場」を創造したいと思いますよ。