成長だと思いたいこと
にもなるんですが、

例えば
勉強でもダイエットでも

新しいことを初めて3日坊主で済ませることは
減りましたね。

1か月行くか行かないか和尚
に進化です(笑)


それでも、
いや、それ以前に

3日坊主とかなる前のレベルの

ボクの「やるやる詐欺」は
結構、有名だと思うんだけど、

ここ3、4年はフェイスブックをやろうかなとは
少し思いつつも、

結局のところは
やってないんですが、

いろいろと考えるところもあって
ちょっと始めてみようかしらと

そう言っていた
これまでと違うのは

そのやろうかなという気持ちの重心が

明らかに傾いたのが

自分の感覚でわかるんで、

これはきっと近いうちに
始めるハズです。


てなワケで、

てなワケでもないんだけどさ、

そろそろ
このブログはストップしようかと。


クローズっていうと
アカウントを削除してしまう感じがして、

ボクのこれまでの
流麗な文章が読めなくなるのは

世の中レベルの損失に
値しかねないですから、

万が一、
ボクの把握していない人が
読んでいることを見つけない限り、


いつでも読める状態にはしておきますが、

ここに新しく更新することは
とりあえず無いと思います。

その確率がゼロとは言いませんが、

今後、
再開する可能性が、

どれほどのものかというと、

ボクはまだ自動車学校に通っていて、

今月初めに

教習期限ギリギリで
技能と学科を全部終わらせて、

それはね、

アスファルト蹴り飛ばして、
適当なノリでバックれて、
舌打ちするような
きっとアタマよりココロで考えるタイプの
ギリギリでいつも生きていたい

人間なんでね、

まあ、
焦りましたけども、

このおかげで
仮免許の寿命が3か月延びたんで

とりあえず
ひと安心しています。



そんなことを言って先日は
卒研落ちたんですがね(笑)

路上は、

実際に免許をとったら、

交差点を右折したときに100パー
対向車に激突されてすべてが終わるくらいで、

そんなに心配ないのですが、

右バックが出来ませんでね、

後戻りはしない人生なんで

まあ
しょうがないんですがね、

もしも
そのときに

合格してたら

ボクが人生でこれから
マニュアル車に乗る機会は

ほぼないワケでね、

そう考えると、

マニュアル車とのお別れのタイミングが、
クラッチペダルを踏む機会が、

少しだけ延びたんで、

もうマニュアル車は
一生乗りたくないとも思う反面、


負け惜しみでもあるけど、

まだまだ乗れるのは

なんか微笑ましいことでもあるんだよね。

で、

なんでこの話をしたかというと、


マニュアル車に乗る確率
≒ブログを再開する確率

くらいな気がしているからです。

どうでもいいこととは思いますが、

なぜ、
もうやらないかというと、

これもいろいろとあるんだけど、

ここで披露するネタなり悪口なり
の話題が、

最近は直接、
自らの言葉で面白く言えるようになってきたかなと、

思うようになってきましてね、

これも成長です。


かといって

ここから本題に入りますが、
フェイスブックはその代替案ではないです。

SNSを中心とした現代社会のコミュニケーションは、
基本的にダイキライだからね。

これから申し上げる事が

特定の個人を指しているワケではないですが、

たぶん多くの人を
敵に回すのは間違いないというのは

覚悟の上、
という前置きはしますが、

シラフで書きますが、

気持ちとしては
瓶のハイネケンを7本空けた時と同じような感じでの

文章となってます。



結論から申し上げると、

時代の発展とともに

人(自分も含めて)が
考えなくなってるなぁと、

考えてても
思いつきですぐ行動してるなぁ

なんて

思うワケです。

まず、
スマホが一台そこにあるだけで

人の暮らしがここまで醜くなってるのか
と感じますね。


世の中にスマホがなければ、
不便さは感じつつも

もっと豊かな社会になると思います。



まず、カメラ機能を取り上げても、

相変わらず
ステーキを運ぶバイトをしているんですが、

料理をテーブルに運び終わると、

ただちに
スマホで写真を撮るお客さんがいますが、

その人が管理栄養士のもとに

毎食を写真に送って
カロリー計算も忘れず

って人なら


そもそも、
来るお店間違えてますけど(笑)

なにも触れませんが、


だいたいは、
SNSに上げて、

それを見た人から
何かしらのレスポンスを期待しているんでしょう。

これが

インスタグラムとかが中心だと思うけど、
SNSの本質です。

それをお互いに賞賛し合う、
持ちつ持たれつの関係が溢れてますよね。


大前提として、
料理はお客さんの買ったものなんで

どうしちゃったっていいんだけどね、


そういう人は、
食事を味わうことよりも、

つまりは
それを利用して

自分の存在をアピールしたいだけなのかな。

でも、

それはアンタが凄いんじゃなくて
料理が凄いんです(笑)

しかしね、

ボクが経営者ならば
それをどんどんアップロードしてくれれば、

タダで商品を宣伝してもらっているようなもんで
ありがたい話になるかもしれないけど、

労働者の末端としては
撮る人の気持ちを想像するだけなんで、

実際のところ、

そこになんの旨みもないよなぁ
って思っちゃうワケです。





とどめを刺すならば、

そんな写真は
もうほかのヤツがたくさん撮ってるからね。

もはや
アンタはなんもすごくない。






かつてのフィルム写真とかであれば、

撮る枚数は限定されるから

その分
考えて写真を撮ることになると思うんですよ。

でも現代は、

メモリーに保存だから、
際限がないじゃないですか。

それなら
とりあえず撮っておこうみたいな考え方になり、

それが必ずしも
悪いことではないですが、

じゃあ、
いつ見返すんだと、

「目に焼き付けておく」
って言葉は死語ですかね?



そんな
【スマホですぐ写真を撮る族】
は、

SNSに上げるだけで、
普段は見返さないですよね。

どういう時にその写真が
見返されるのか、

ボクの経験上、

それは
ひとりの時ではなく、

複数人の時です。

つまり、


頼んでもいないのに、
急に(思いつきで)過去の写真を公開し始める、


話題に関連したものなら
まだいいんだけど、


たいてい、
それとは関係のない写真まで見せて来るでしょ。


即興(思いつき)の写真展を開く人たちが
どれだけいることかと。

なんも依頼していないのに、

いきなり、
せいぜいスマホの画面サイズで

こっちは何の興味もない写真を
大量に見せられるのは、

これは拷問です。

どうしてもその写真を見せたいのなら、
印刷して持ち歩くくらいはして欲しいかな。

印刷する
ってことは

少なからず、
写真を選別していること(考えていること)になるんでね。


でもそういう行為に及ぶ人は
印刷なんてしないです。

印刷するほどの写真を持ってないからです。

だったら
写真展なんて開催しちゃダメです。




そんなボクの話になりますが、

実は昨年、
一眼レフを買いまして、

今まで言ってませんでしたが、

これまでのひとり旅は
それを相棒に出かけていたワケです。

移動する。
ラーメンを食べる。
他のご当地を食べる。
観光地巡り。
宿の宿泊客や現地の人と会話をする。
写真を撮る。

っていうのを

高い質でやっていくのが
実は毎回の旅の目的です。

一眼も

フィルムではないので、
メモリーがいっぱいにならない限り

削除していけば、
好きなだけ写真を撮ることができるんですけど、

一眼レフを持ったことで、
撮り方にこだわるようになってしまいましたね。


スマホは
自動でピントを合わせるくらいで撮れちゃうけど、

一眼レフは
f値とかシャッタースピードとか


それ以外にも
いろいろ設定して、


構図とか考えて

さらに

まだあまり
ボクはその領域までには至っていませんが、

このシチュエーションならこのレンズにしようとか

レンズを取り替えたりして、


やっと撮れるものなんでね、

もはや
スマホで写真を撮ることが不可能な体になってしまいました。



スマホを差し出してきて、
「写真を撮ってくれませんかと」

言ってくるお客さんがいます。

さっき述べたような感情が溢れつつも、

これも経済活動なんで
撮るんだけど、

この間は
片付けでまずまず忙しい時間帯、

いい年した男性のお客さんに

「ちょっと写真を撮って欲しい。忙しいのはわかるけど、時間がないから早くして」

と呼ばれて、

今日はきっと特別な集まりだったんだろうなあ
と、

このタイミングで
急かされたのはだいぶムカつきましたが、


じゃあ、

少しでも良い写真を撮るか
なんて思いましたが、


わざわざ人を呼び止めて、
差し出されたのが

スマホ。



忙しいのもありましたが、

その人の言動には当然、
腹が立っていました。

ただ、

特別な一枚をスマホで済ませていいのか?
って

それ以上に
かわいそうな人だな

って気持ちになりましたね。


この人は
何も考えていないんだなと。

サルですね。

でも、
そんな連中が今はいっぱいいるんでね、

いちいち
かわいそうなんて思ってられない。

でも、
サルは写真を感慨深く見返すことなんてないと思います。

その場で自分さえちゃんと写ってるのを確認すれば、
その場で満足しちゃうんじゃないかな。


「目に焼き付けておく」
「とりあえずスマホで写真撮って、後で見返す」

だったら、

どっちが
深みがある行為なのかと。

または、
どっちが価値のある時間になるのか。


自分自身、
滅多に被写体になることはないですが、

なるとしても

容易くスマホで撮られるのはもうイヤです。

あんなもんはカメラじゃないんだ。

ボクほどの人間の魅力は
スマホでは写しきれないと

半分冗談の
半分本気で

思ってます。

というか、
そのくらい思いたいかな。

いろいろ考えた上で撮った写真は
「作品」として扱いたくなるんでね。

それが自分自身が写っているものなら

自分が
「作品」の一部となれるワケです。


スマホの写真も
一見、差はないですが、

よく見たら
やっぱり違いますよ。


悔しかったら
「作品」を一枚でも作ってみろと。

皆さんがそのサル程度のクオリティで満足していいなら何も言いませんが、

特別な思い出は
どうやって残すべきか、

少し考えれば
少なくともスマホなんて使えなくなるはずです。


自撮り棒?

そんなもん使うくらいなら

三脚持参で

納得いくまで
シャッター切るけどね。




もちろん、
スマホのそれ以外の機能全般にも悩まされています。


SNSとかゲームとか
エトセトラです。

これまた
ステーキをテーブルに運んだ時にあるんですが、

テーブルの上にスマホが置いてあるのは、

円滑な仕事の邪魔になるのは
もちろんのこと、

それ以上に
悲しくなります。

とりあえずは
仕事の邪魔ですから、

アツアツのお皿を
スマホの上に置こうとする努力はしてます(笑)


食事って、

ボクの場合
ラーメンであれば趣味になるんだけど、

それ以外の

ふたり以上での
食事や遊び

っていうのは

基本的には
コミュニケーションの場だから、

お互いに都合を合わせて作った
大切で貴重な時間です。

だから相手に失礼があってはいけないし、
有意義な時間にしたいと思ってるんです。

必ずしも楽しい時間になるとは限らないですが、


相手にとって価値のある時間するために
務める必要があると思っています。
(ちょっと重いヤツに思われるかもしれませんが、大袈裟に言えばの話ね。)




そんな時にテーブルの上のスマホが
なんの役に立つでしょうか?

だから、
テーブルにスマホを置くなんてことはできません。


それ以前に、

食事をする、
そのお店の場所がわかっていれば、

スマホは持って行かないこともあります。

「ケータイを携帯しない男」
っていう称号まで持ってます(笑)


なぜそこまで徹底するかと言えば、

それは大袈裟にいえば、
食事会はガチなタイマンくらいに思っているからです。


それなのに
スマホをいじられ始めると、

話がつまらないのか
とか、

早く帰りたいんじゃないのか
とか、

マイナスな思考が活性化されるワケです。

好きなアーティストのライブに行って、
歌っている間に、

スマホ触りますかね?

逆に、
アーティストがスマホいじりながら歌ってたらどう思いますか?

今、言ったことは極端なありえない
例えですけど、

普段、
会う人同士の関係では

「馴れ合い」がこういう
事態を招くんだろうと思っています。


「馴れ合い」
って

いい意味で扱われる場合もある言葉だけど、

人間関係は常に
ある程度の緊張感がないと進歩がないものだと思っているんで、

「馴れ合い」
って言葉は好きじゃないんだな。


とにかく、

そうなるとボクは
黙り始めます。

そうしている時に
何を考えているかと言えば

相手のこれまでの半生を想像しているか、

何も考えていないかです(笑)


これまでの経験上、

喋らないと

当然、
自然と会話は無くなっていくので、

ボクは
そこに存在しないことになっていきます。


これまでどれくらい存在を消されたことかと

まあね、
自分から率先して消えてる場合もあるんだけど(笑)



注意とかはしません。

ただ、それが目上の人だと
もうどうしていいかわかんないです。


仕方がない、
テンションが下がるんだから。

片手間でタイマン挑まれても困るワケです。


あとは
スマホがテーブルの上でも

カバンの中にでもあると

誰からいつ
連絡が入るか分からない。

別にそれが
緊急じゃない人なら

電話に出ない人も多いかもしれないけど、

それが仕事関連だったり、
どうしても取らないといけない電話や通知だと、

その場にいる人を放置することになるからね。

だから、
基本的には鳴らない電話なんですけど、


そういった危険を排除するために
スマホと距離をおきます。


スマホを使いこなすはずが、

スマホによって
日常が支配されてる

そんな感覚があります。

「誰ともいつでも繋がれる」
っていうのは

裏を返せば、

「誰ともいつでも繋がらなくてはいけない」

ってことです。

ボクはそう考えてしまいます。

常には人と繋がっていたくない
というのもありますが、


「ぼっち」の時間は
人にとって必要だと思いますけどね。


バイト柄

つくづく見てて思いますが、

食事中にスマホいじりたいなら、

テクノロジーが発達してますからね、
家でSkypeしながらでもよくないか?

いまや、

いつでもどこでも
相手の顔を見れますからね。

それでもやはり
直接会って話がしたいと言うなら、

タイマン張れや!
って話です。

(・・・こんなこと言ってると
もう、誰も会ってくれなそうだけど(笑))




いつでもどこでも
スマホいじるのは許せて、

浮気は許せない
っていうのが

ボクは理解できないです。

片手間で相手をしても
自分を許してくれる

都合のいい女or男or友達

なんだから、

どっちも差異はないでしょう。




あと
意味分かんないのは

自分のパートナーを自慢したいのか、

高校時代に
実際に見たことのあるブログで言えば、

たぶん
片方が誕生日だったのかな、

プレゼントをあげたか貰った
って言う記事で、

最後に、

「生まれてくれてありがとう」
って書いてありました。

別にそう思うことは自由なんだけども、


対象は一人のはずなのに
複数に見せてるヤツ。



「テメェ、直接言えばいいじゃねえか!」
って思うんですが、


まず、 
本当にそんな気持ちがあるなら

相手方の親御さんに
「○○さんを生んでいただきありがとうございます。」
と言うべき(笑)



心理学的には
ラブラブアピールをするカップルというのはうまくいってないらしいんですが、


別にそれは他人事なんで

自分以外のカップルが

そのままゴールインしようと

別れようと

あまりの愛で
片方がもう片方を食べようと

最終的に
どうなろうとボクには関係ないです。

興味はありません。


でも、

それを周りに見せつけて
越に浸りたいのかなぁー?

逆に
その程度で越に浸って、

さらに、
感謝なんかされれば、

安上がりでいいなぁと
羨ましくもありますね。
(あ、皮肉ですよ(笑))



そんなことを軽々しく言うような、

しかも
本人だけでなく不特定多数に見せてるようなヤツは、

本心からそんなこと思ってないよ。

そいつが好きな
自分が大好きなだけです。


そういうのは、
数ヶ月したら別の人間に同じこと言ってますよ。



何が言いたいかと言えば、

そんなことわざわざ言わなくても

ボクは自分に携わってくれる人すべてに
感謝しているよ!

・・・ってことじゃなくて、



自分の立場に置き換えてみれば、

そんなことで満足したり、
される程度の子とは付き合えないですね。

まあ、現状はフリーランスなんで、
それ以前の問題なんだけども(笑)


しかし、
それはボクの彼女にだけでなく、


ボクにも
幼馴染みたいな人間は何人かいますけどね、

そういう連中が
上記なようなテイストの投稿をしたのを発見したら、

嫉妬とかじゃなくて
本当に悲しくなるんでね、

理性で抑えても
これだけ言ってしまうくらいなんで、

そこはやらないでおくれ
と、
求めたいですね。

たぶん、
毎日書いているポエムが

何らかのカタチで流出しちゃったんだと
ボクは解釈したいです(笑)

これだけじゃなくて、

スマホを中心として、
現代社会がおかしいなと思うことは、
もっとたくさんあるんだけどね、

もし
聞きたければ直接申し上げますので
ここではこんくらいにしときます。






このスタンスは
これからも崩すつもりはないですね。

少しでも崩れるくらいなら、

開き直って、

もう自分の自撮りを毎日アップするくらいの野郎に
なってやろうかと思います(笑)


で、
これからのスマホとの付き合い方ですが、

周りがどうであろうと、



極力、
使わない。

つまりこれは、
人との向き合い方にもなるけど、

自分自身だけで
伝えたいことを伝えられるチカラを持った人間になりたいなと

思ってます。

その際にスマホを使うのは
補助的な手段としてが理想です。



すぐにスマホで写真やら文章やらを見せることで

相手に説明しやすく

そして、
伝わりやすくなっているかもしれませんが、

それと引き換えに、

確実にひと世代ふた世代前と比べて、
個人の説明力は劣っています。
(「スマホは私の一部です。」なんて言うなら話は別だよ(笑))


それだけなら
まだいいんだけど、


何よりも重要な

人間味とか
人間臭さとかが失われてしまっているようにも思います。

この概念は簡単に説明できないです。

わかりやすく、

「深み」
とでも言っておきましょうか。


じゃあ、
周りはボクを人間味のある人物と評価しているかは分からないけど、

とりあえずね、

こんなボクの考え方は
年配者には物凄く受け入れてもらえるんです。

普段、ソーシャルメディアを利用しない人は
たぶん同じような悩みを抱えてるんだろうなと。

でも、

ボクの考えに同年代を巻き込むのは
不可能であるということはもう知ってます。

逆にね、
そっち側に移行出来たら楽になれるのに

とは思いますが、

ご覧の通り、
捻くれ者だから無理(笑)


だからこそ、
自分の考え方は大切にしていきたいと思います。(周りに気遣いさせない程度にですが・・・)

たぶんこれから先も
悩み続けるんだろうなとは

容易に想像できるんだけど、

これからも
悩みながらも楽しんで生きていきたいと。

周囲と自分とが変わっていることに悩むことは、
もちろん大変なんですが、

時として楽しいです。



ただ、
そんなことを言ってても

明らかに道から外れてることもあるかもしれません。

そんな時は
ひと声掛けてください!

お願いします。




そして、
こんなブログを約8年間見てくれてありがとうございました。


3日坊主がこんなに続けるとは想像もしませんで、
ビックリです。

最初は本当に半年でやめようと

つーか、

持ってそれくらいかと
思ってたんですけどね、

月1にも満たないくらいのペースでしたが、
ここまで続けちゃいました。

把握している限りは
ボクが直接、

このブログを教えていない人以外には
見られていないハズなんで、

万が一、

ボクが把握してない人が
記事を読んで

どうなろうと
責任は負いませんからね(笑)

それでも
見ている人、

さらに言えば
いまも見ている人はとてつもなく少ないと思うんですが、

ここまで続いたのは

見てくれて
多少面白がってくれる人がいたおかげです。

大感謝!



こんな感じで終わりますが、

一応、

別に余命宣告を受けたとか

生き急いでる
ってワケじゃありません。


当面の見通しは良くも悪くも
あんまり見えてません(笑)


それでは、


近い人はまたそのうちに、

遠い人もまたそのうちに、




Thank you!
















じゃあね。