昨日お伝えしたように、
今回の件で僕なりに感じたこと、思うこと、
そしてキミさんへの想いを綴らせていただきます。
突然の訃報を知らされたとき、驚きと哀しみと混乱と、たくさんの感情が入り混じって、
とてつもない衝撃を受けました。
それはもうこれまでに体験したことのない感情でした。
車を運転して帰宅するはずが、
なんか帰りたくなくなってそのまま1時間程遠回りして走った。
なんとか心を落ち着かせようと咄嗟にそうしたのかもしれないけど、
落ち着くどころか色んなものが涙となって溢れ出てきて、
止めようがない。
ようやく止まりかけても、
実はさっきの知らせの文章は嘘なんぢゃなぃか、見間違えなんぢゃなぃかって、
もう一度ゆっくり読んでみても…変わらなかった。
それが現実だった。
キミさんの顔を思い出し、
たくさんの想い出を思い出し、
また爆発的に涙が出る。
しばらく何度も何度もそれの繰り返しだった。
こんなに哀しいことが起こるものなんだ…
人ってこんなにも無限に泣けるものなんだと知った。
『この世の中、何が起こるかわからない』
僕なりに歩んできた人生でときに驚くような出来事を経験して思った教訓。
だからある程度の事が起きても冷静でいられる…はずだった。
でもこんなの無理だよ。
2015年3月30日、僕はこの日を一生忘れられません。
今までで生きてきた中で最も哀しい思いをした日。
何日か経った今でも心の整理はまったくできてないし、きっとまだまだ時間が必要です。
メンバーたちのブログを読んで泣いて。
キミさんがどんな思いで誰にも言わずに闘病してたかを思っては泣いて。
ふと気が付くとキミさんとの想い出に浸り、
目を閉じたらキミさんの顔が出てくる。
いてもたってもいられず、
レオマで共に過ごしたときの稽古風景や演目の映像を観たり、
一緒に撮った写メを見て、
また色んなキミさんを思い出す。
2010年2月
僕や、のちの二期生たちがHIROZの卵として入ったときに東京でダンスや芝居などを教えてくださった何名かの先輩の1人がキミさんで、
正式にHIROZとなって石川県に行って、
慣れるまでずっと面倒を見てくださったのがキミさんで、
石川から香川県のレオマに異動になって、
先頭に立って引っ張ってくれたのがキミさんで、
二代目のレオマHIROZリーダーとして盛り上げてくださり、
2011年8月にHIROZ SEVEN+のメンバーとなってキミさんがレオマを離れるまで、
約1年半毎日共に過ごさせてもらいました。
その後も石川やレオマで何度も会う機会があり、
久々に顔を合わす度にキミさんは弾けるような笑顔で『おかちゃ~~~ん』って駆け寄ってきて抱きついてくれました。
そんなキミさんの愛が本当に嬉しかった。
キミさんにもらった中で1番嬉しかった言葉。
まだレオマHIROZだった頃、キミさんが仕事で当時の全拠点(石川・東京・静岡)をまわってレオマに帰って来たとき。
僕『キミさん、おかえりなさーい。』
キ「ただいまーおかちゃん」
(僕の顔を見てすごくホッとした顔をして)
キ「あぁーおかちゃんの顔見ると安心するわー、帰って来たなぁって感じ」
僕『そうですかぁ?』
(↑ちょっと照れながら半信半疑な感じで)
キミ「うん!おかちゃんはねぇ、俺の癒しなんだよね。」
すごく嬉しかった。
キミさんに褒められたことも、少しでもキミさんの役に立ててたことも。
僕には僕なりの持論があります。
『年齢は関係ない、どんな人でも尊敬すべし』
年上の人でも年下の人でも、必ず自分とは違う経験を積んで人生を歩んでいる。
だからどんな人も自分には無いものを持っている。
自分に無い経験や考えは勉強になる。
敬うべし。
だから僕はどんな人に対しても初対面は必ず敬語で話すよう意識しています。
なんですが、キミさんはそういうの関係なく凄い人で、
いつでも真面目で熱くて元気で真っ直ぐで努力家で、
それでいて優しさや思いやりや包容力もあって頼りがいもあって冗談も大好きで…
僕は今まであんなにも誰かのことを尊敬したことはありません。
本当に、本当に凄い人でした。
大好きでした。
よくテレビのドラマやニュースで耳にする、
「なんであの人が…」
とか
「あんなに良い人だったのに」
という言葉。
自分がそんな言葉を使う機会なんてないと思ってた。
けどすごく思います。
『なんでキミさんが…』
『あんなに良い人だったのに…』
って。
哀しすぎる。残酷すぎる。
いつかこういうときがくるのはわかってたけど、
あまりに早すぎるでしょ。
まだ20代だよ?
やりたいことだって行きたいとこだってたくさんあったし、
会いたい人も絶対たくさんいたはず。
こんなに突然なんて。
いつも
「おっさんおっさーん」てからかわれて、
『あんまり変わんないぢゃないですか!』
(僕1985年1月5日生、キミさん1985年7月5日生)
って言い返すと、
「俺の方が年下だもーん♪」
って憎たらしい顔してた。笑
考えてみたら唯一、年下らしい瞬間だったな。
キミさんが7月に30歳になったら
『あんたもおっさんの仲間入りだよー♪』
って憎たらしい顔して言ってやりたかった。
話したいこと聞きたいこといっぱいいっぱいあったのに。
必ずまた会えるって疑いもせず信じてたのに。
ねぇキミさん。
もう一度、ニヤニヤ悪い顔して
「おかむらぁ!」
って言ってよ。
全力で
『おかむらぢゃねぇし!!』
って言うから。
んで、みんなと一緒に笑ってよ。
また太陽のような笑顔で駆け寄ってきてよ。
一度くらい、僕の方から抱きつきたかったよ。
2010年4月8日 石川県
キミさんと初写メ☆
2010年6月3日 石川県
キミさんとの初めてのツーショ☆
2010年7月末 レオマ
僕が人生初のサーターアンダギーで、
『美味しい!』って言ったら、
「でしょ!?」ってキミさん嬉しそうにドヤ顔してたな☆
2011年5月中旬 レオマ
当時のレオマHIROZ集合写真☆
2011年7月5日 レオマ
キミさん26歳のバースデー。
みんなでサプライズしたら本当に喜んでくれて、「幸せ」って言ってくれたね☆
2011年8月7日 レオマ
キミさんのレオマ千秋楽。
離れるのがとっても寂しかったです☆
2011年8月7日 レオマ
キミさんレオマの最後の夜。
僕がチョコレートパフェとチョコレートケーキとココア7杯たいらげたら、
「バカなんぢゃない」って呆れてたね☆
2011年9月17日 レオマ
HIROZ SEVEN+のメンバーとして、レオマライブ後の焼き肉打ち上げ。
キミさんにまた酔っ払って「おかちゃん大好きー」って言われたい☆
2012年8月22日 レオマ
SEVEN+がライブの為レオマへ。
キミさんはこうやってレオマに来る機会があったら必ず僕の部屋に顔出してくれました。どんなに夜中でも☆(ちょっと迷惑。笑)
2012年12月27日 レオマ
レオマHIROZが人員不足になって、石川から助っ人として来てくれました。
夜に行った餃子の美味しいお店☆
2013年1月14日 石川県
石川県日本元気劇場最後の日。そしてキミさんたちの千秋楽。
これがキミさんと撮った最後のショット。
そしてこれがキミさんと会った最後の日☆
制限があるので厳選しましたが、
キミさんとの大切な大切な想い出たち。
一生の宝物です。
もう二度と会えないのは辛すぎるし哀しすぎる。
けどキミさんはまたたくさんのことを教えてくれました。
キミさんが迎えられなかった今日の日を生きられること。
ただそれだけでどんなに幸せなことか。
今生きてくれている自分にとって大切な人たちに感謝しなければいけないということ。
どんなに頑張ってもキミさんのようにはなれないけど、
自分なりに日々を精一杯過ごさなければ申し訳ない。
正直立ち直るのにもう少し時間が必要だけど、自分のペースで、キミさんの分まで思いっきり泣いて笑って、生きていきます。
キミさん。
色々教えてくれてありがとう。
一緒に過ごしてくれてありがとう。
一緒に歌ってくれてありがとう。
一緒に踊ってくれてありがとう。
一緒に戦ってくれてありがとう。
一緒に演じてくれてありがとう。
一緒に笑ってくれてありがとう。
感謝してもしきれないくらいのありがとうです。
大城公人という素晴らしい人間に出会えたこと。
大城公人の人生の登場人物になれたこと。
そして仲間になれたこと。
本当に
本当に幸せでした。
決して忘れられません。
今までお疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
離れてしまっても心の手は繋いだまんま☆
今日より明日、
あなたが心から笑えますように☆☆
元HIROZ 岡本敏男
今回の件で僕なりに感じたこと、思うこと、
そしてキミさんへの想いを綴らせていただきます。
突然の訃報を知らされたとき、驚きと哀しみと混乱と、たくさんの感情が入り混じって、
とてつもない衝撃を受けました。
それはもうこれまでに体験したことのない感情でした。
車を運転して帰宅するはずが、
なんか帰りたくなくなってそのまま1時間程遠回りして走った。
なんとか心を落ち着かせようと咄嗟にそうしたのかもしれないけど、
落ち着くどころか色んなものが涙となって溢れ出てきて、
止めようがない。
ようやく止まりかけても、
実はさっきの知らせの文章は嘘なんぢゃなぃか、見間違えなんぢゃなぃかって、
もう一度ゆっくり読んでみても…変わらなかった。
それが現実だった。
キミさんの顔を思い出し、
たくさんの想い出を思い出し、
また爆発的に涙が出る。
しばらく何度も何度もそれの繰り返しだった。
こんなに哀しいことが起こるものなんだ…
人ってこんなにも無限に泣けるものなんだと知った。
『この世の中、何が起こるかわからない』
僕なりに歩んできた人生でときに驚くような出来事を経験して思った教訓。
だからある程度の事が起きても冷静でいられる…はずだった。
でもこんなの無理だよ。
2015年3月30日、僕はこの日を一生忘れられません。
今までで生きてきた中で最も哀しい思いをした日。
何日か経った今でも心の整理はまったくできてないし、きっとまだまだ時間が必要です。
メンバーたちのブログを読んで泣いて。
キミさんがどんな思いで誰にも言わずに闘病してたかを思っては泣いて。
ふと気が付くとキミさんとの想い出に浸り、
目を閉じたらキミさんの顔が出てくる。
いてもたってもいられず、
レオマで共に過ごしたときの稽古風景や演目の映像を観たり、
一緒に撮った写メを見て、
また色んなキミさんを思い出す。
2010年2月
僕や、のちの二期生たちがHIROZの卵として入ったときに東京でダンスや芝居などを教えてくださった何名かの先輩の1人がキミさんで、
正式にHIROZとなって石川県に行って、
慣れるまでずっと面倒を見てくださったのがキミさんで、
石川から香川県のレオマに異動になって、
先頭に立って引っ張ってくれたのがキミさんで、
二代目のレオマHIROZリーダーとして盛り上げてくださり、
2011年8月にHIROZ SEVEN+のメンバーとなってキミさんがレオマを離れるまで、
約1年半毎日共に過ごさせてもらいました。
その後も石川やレオマで何度も会う機会があり、
久々に顔を合わす度にキミさんは弾けるような笑顔で『おかちゃ~~~ん』って駆け寄ってきて抱きついてくれました。
そんなキミさんの愛が本当に嬉しかった。
キミさんにもらった中で1番嬉しかった言葉。
まだレオマHIROZだった頃、キミさんが仕事で当時の全拠点(石川・東京・静岡)をまわってレオマに帰って来たとき。
僕『キミさん、おかえりなさーい。』
キ「ただいまーおかちゃん」
(僕の顔を見てすごくホッとした顔をして)
キ「あぁーおかちゃんの顔見ると安心するわー、帰って来たなぁって感じ」
僕『そうですかぁ?』
(↑ちょっと照れながら半信半疑な感じで)
キミ「うん!おかちゃんはねぇ、俺の癒しなんだよね。」
すごく嬉しかった。
キミさんに褒められたことも、少しでもキミさんの役に立ててたことも。
僕には僕なりの持論があります。
『年齢は関係ない、どんな人でも尊敬すべし』
年上の人でも年下の人でも、必ず自分とは違う経験を積んで人生を歩んでいる。
だからどんな人も自分には無いものを持っている。
自分に無い経験や考えは勉強になる。
敬うべし。
だから僕はどんな人に対しても初対面は必ず敬語で話すよう意識しています。
なんですが、キミさんはそういうの関係なく凄い人で、
いつでも真面目で熱くて元気で真っ直ぐで努力家で、
それでいて優しさや思いやりや包容力もあって頼りがいもあって冗談も大好きで…
僕は今まであんなにも誰かのことを尊敬したことはありません。
本当に、本当に凄い人でした。
大好きでした。
よくテレビのドラマやニュースで耳にする、
「なんであの人が…」
とか
「あんなに良い人だったのに」
という言葉。
自分がそんな言葉を使う機会なんてないと思ってた。
けどすごく思います。
『なんでキミさんが…』
『あんなに良い人だったのに…』
って。
哀しすぎる。残酷すぎる。
いつかこういうときがくるのはわかってたけど、
あまりに早すぎるでしょ。
まだ20代だよ?
やりたいことだって行きたいとこだってたくさんあったし、
会いたい人も絶対たくさんいたはず。
こんなに突然なんて。
いつも
「おっさんおっさーん」てからかわれて、
『あんまり変わんないぢゃないですか!』
(僕1985年1月5日生、キミさん1985年7月5日生)
って言い返すと、
「俺の方が年下だもーん♪」
って憎たらしい顔してた。笑
考えてみたら唯一、年下らしい瞬間だったな。
キミさんが7月に30歳になったら
『あんたもおっさんの仲間入りだよー♪』
って憎たらしい顔して言ってやりたかった。
話したいこと聞きたいこといっぱいいっぱいあったのに。
必ずまた会えるって疑いもせず信じてたのに。
ねぇキミさん。
もう一度、ニヤニヤ悪い顔して
「おかむらぁ!」
って言ってよ。
全力で
『おかむらぢゃねぇし!!』
って言うから。
んで、みんなと一緒に笑ってよ。
また太陽のような笑顔で駆け寄ってきてよ。
一度くらい、僕の方から抱きつきたかったよ。
2010年4月8日 石川県
キミさんと初写メ☆
2010年6月3日 石川県
キミさんとの初めてのツーショ☆
2010年7月末 レオマ
僕が人生初のサーターアンダギーで、
『美味しい!』って言ったら、
「でしょ!?」ってキミさん嬉しそうにドヤ顔してたな☆
2011年5月中旬 レオマ
当時のレオマHIROZ集合写真☆
2011年7月5日 レオマ
キミさん26歳のバースデー。
みんなでサプライズしたら本当に喜んでくれて、「幸せ」って言ってくれたね☆
2011年8月7日 レオマ
キミさんのレオマ千秋楽。
離れるのがとっても寂しかったです☆
2011年8月7日 レオマ
キミさんレオマの最後の夜。
僕がチョコレートパフェとチョコレートケーキとココア7杯たいらげたら、
「バカなんぢゃない」って呆れてたね☆
2011年9月17日 レオマ
HIROZ SEVEN+のメンバーとして、レオマライブ後の焼き肉打ち上げ。
キミさんにまた酔っ払って「おかちゃん大好きー」って言われたい☆
2012年8月22日 レオマ
SEVEN+がライブの為レオマへ。
キミさんはこうやってレオマに来る機会があったら必ず僕の部屋に顔出してくれました。どんなに夜中でも☆(ちょっと迷惑。笑)
2012年12月27日 レオマ
レオマHIROZが人員不足になって、石川から助っ人として来てくれました。
夜に行った餃子の美味しいお店☆
2013年1月14日 石川県
石川県日本元気劇場最後の日。そしてキミさんたちの千秋楽。
これがキミさんと撮った最後のショット。
そしてこれがキミさんと会った最後の日☆
制限があるので厳選しましたが、
キミさんとの大切な大切な想い出たち。
一生の宝物です。
もう二度と会えないのは辛すぎるし哀しすぎる。
けどキミさんはまたたくさんのことを教えてくれました。
キミさんが迎えられなかった今日の日を生きられること。
ただそれだけでどんなに幸せなことか。
今生きてくれている自分にとって大切な人たちに感謝しなければいけないということ。
どんなに頑張ってもキミさんのようにはなれないけど、
自分なりに日々を精一杯過ごさなければ申し訳ない。
正直立ち直るのにもう少し時間が必要だけど、自分のペースで、キミさんの分まで思いっきり泣いて笑って、生きていきます。
キミさん。
色々教えてくれてありがとう。
一緒に過ごしてくれてありがとう。
一緒に歌ってくれてありがとう。
一緒に踊ってくれてありがとう。
一緒に戦ってくれてありがとう。
一緒に演じてくれてありがとう。
一緒に笑ってくれてありがとう。
感謝してもしきれないくらいのありがとうです。
大城公人という素晴らしい人間に出会えたこと。
大城公人の人生の登場人物になれたこと。
そして仲間になれたこと。
本当に
本当に幸せでした。
決して忘れられません。
今までお疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
離れてしまっても心の手は繋いだまんま☆
今日より明日、
あなたが心から笑えますように☆☆
元HIROZ 岡本敏男