そして、旅。また、いつか。

そして、旅。また、いつか。

またいつか、僕は旅するんだろうなぁ。

23歳の大学生が8ヶ月間アジアを旅していました。
僕が歩んだ旅のルートはこちらです。

より大きな地図で 旅ルート を表示

僕の旅のコンセプト2つ。
1つ目:「休学のすすめ」 記事はこちらへ。

2つ目:「記憶の記録の写真旅」 記事はこちらへ。


この2つのコンセプトに賛同して頂ける方々から、
又、僕の旅を応援しブログを楽しんで頂いている方々から、
ワンコイン500円からの協賛金を募っていました。
協賛金に関するページはこちらです。→「協賛金募集のお願い
合計で13人の方から合計42000円の協賛金を頂きました。
協賛者様の一覧ページはこちらです。→「協賛者様一覧
既に協賛金の募集は行っていません。

このブログは既に使用していないので、こちらをご覧ください。
ブログ :(H)imaginism

ホームページ:White is Black

Amebaでブログを始めよう!
ご無沙汰しております、こんにちは。

日本ギャップイヤー推進機構協会(JGAP)から文章の執筆依頼が来て、文章を執筆しました。
JGAPはギャップイヤー導入による大学生の国際競争力の向上を目的としている一般社団法人ですが、
僕が在学中の経験で国際的な競争力を手に入れたか甚だ疑問で、正直まだまだだ未熟だと思います。


僕は2年間大学を休学して、6年間という人より長い大学生活を僕は過ごしています。
今回、運良く自分の6年間の長い大学生活を振り返る機会を与えて頂き、大学生活を総括できました。
まずは、お時間がありましたら、以下のリンクにて文章が掲載されているので、一読お願い致します。


今でも記憶が鮮やかに残っているのは、志望校の大学に落ちたのをベッドの上で確認した時で、
英語の大問を1つまるまる落としていたので、落ちた、と確信していながら淡い期待を抱き、
携帯でリンク先を見て、自分自身の志望校が落ちたことを確認し、かなり絶望しました。


その志望校の合否が発表される日が今通っている大学の学費支払いの期日だったので、
僕は直ぐに銀行に急ぐ必要がありましたが、家を出る気が起きず、母が帰ってくるのを待ちました。
母は僕を連れて急いで銀行に行き、銀行が閉まる1分前に銀行に着き、入学金と学費を支払いました。


僕の志望校に落ちた記憶はとても鮮明ですが、それ以降の記憶はとても曖昧。
ただ母が大金を学校に入金し、僕の大学生活が言わば、僕の意思から離れた形で始まりました。
しかし、直ぐに気持ちを入れ替え、熱心に勉学に励み、勉強の楽しさを知れたのは不幸中の幸いで、
もしあの時、自分の学歴にコンプレックスを持ち、足踏みをしていたら、今の自分はいないでしょう。




このブログで1年間で100冊の本を読むことに決めたのは大学3年、今から3年前です。
記念すべき1冊目にトルストイの『光あるうち光の中を歩め』を選んだのは偶然のようで必然、
これを選んだことに当時の僕の心境を読み取ると、僕は光を求めてもがいていたのだと感じます。


僕が大学3年次に卒論を書いたのも、その翌年に留学をできたのも、更にその翌年に旅をできたのも、
このブログで色々な方と交流して、1年間で100冊の本を読み、書評を書いたからだと思います。
今までの感謝の意を表すると共に、引き続き、よろしくお願い致します。

なるべく早いうちに読み終えた本の書評を再開させたいと思います。それでは。

作者・作品データ

作者:寺山修司 1935年12月10日 - 1983年5月4日
作品:昭和56年

あらすじ

青年という言葉は男性的な意味を帯びているが、全く女性的な意味を帯びていない。寺山修司は言う、青女が居てもいいのではないかと、そして現代はそのような女性が求められているのではないかと。

1 結婚
古代社会では、「家」に女が従属することによって、経済的、身分的、教育的、宗教的、娯楽的、保護的、愛情的な物が保障されたかもしれないが、現在では女は自らお金を稼ぐことができるし、外で娯楽を求めることもできる。つまり、家の機能は専ら愛情的なものであるにとどまっている。
しかし、その愛情に置いても、結婚はつまり「一人を一生愛すること」つまり「他の男性を一生愛さない」ことを意味するのだから、愛情的な私有関係を制度化し、恋愛の自由を放棄していると言える。
結婚という相互私有の制度を親や世間体から求められる、その要求から自由になることが青女の条件だと寺山修司は言う。

2 性
一夫一妻制度は日本において抑制されてきた。自由に性を解放できることは、家の不必要を説くと同義であり、結婚すら無意味になってしまう。社会秩序を維持するために、日本は「性」をただの性的な興奮を満たすセックスと解さずに、重みのある言葉として理解した。青女にとって、性は「精神的な化粧品」である。楽しいセックスができるとは、つまりダンスや歌がうまいと同じように、その人の教養であり、才能であると。そして、寺山修司は「たかがセックス」と言い、それを楽しむべきだと主張する。

7 情熱
「きっと、どこかに自分の本当の人生が存在していると思い込むのは、ロマンチックなように見えますが、本当は怠け者の証拠なのです。怠け者は、いつでも自分の人生の代理人を探しています。」(P.87)
代理人とは言わば自分の理想を体現する存在であり、本来は自分の成長のための方便であったが、本末転倒し、人生の全てを代理人に任せ、愛することも、死することも、代理人次第とする風潮が強い。しかし、それでも代理人を求める傾向は強く、『代理の陶酔』と呼べるような、明日からの生活を経済的にも法律的にも性的にも変えることにはならない。


自己完結(感想と考察)


「代理人」に対して

7章の「情熱」で「代理人」という言葉を寺山修司は多用しているが、代理人とは自分の理想を体現する存在であり、自己を投影する存在、つまり日常的に言えば、代理人は映画スターであったり漫画のヒーローなどで現れるのだけど、それをどう自分と区切りを付けるのか、その区切りが現代人は出来ていないのではないかと感じた。

好きな音楽を聴いていると、僕はギターを弾ける気分になる。その音楽のギタリスト、ボーカルは僕の代理人であり、理想の体現者である。しかし、やはり代理人である、僕ではない、僕はギターが弾けない。代理人に人生を委ねて、あたかもギタリストになった気分で、その音楽を聴き続けるのもこれ又一興だろうが、駄目だよなぁ。

やはり区切りをつけなければならない。それは音楽を聴くのをやめ、ギタリストになろうとするのではなく、僕は飽くまで聞く側として彼らに自分の理想を体現してもらっている、ときちんと自覚することであり、彼らは自分ではないと知る必要がある。そうでないと、僕ら永遠にアニメばかり見てしまう。アニメの中のヒーローや主人公に自分自身の人生を委ねたら、確かに現実世界よりもハッピーだろう、女の子に囲まれるだろう。でも、そんなの空しい、虚構に生きて、俗世に還る道を自ら閉じているだけだ。

まぁ、こういうことになるのだろう、彼の言葉では。
「一体、どこからどこまでを代理人に任せ、どこからどこまでを自分の手に奪還すべきかーーということを決めることが『情熱』の尺度になるのです。」(P.95)

「性」に対して

寺山修司がまだ生きていたとして、「性」に対する解釈をテレビ上で言ったとしよう。想像に容易いと思うが、クレームの嵐ではないだろうか。「女は子供を産まなければならない」という言葉でさえ現代では非難の対象になるが、それはつまり女を出産するための手段=道具化していると思えるからだろう。しかしながら、「女は子供を産むべきではない」という主張も非難の対象となる。女の保護とその社会的な地位の向上を目指すべき人間にとってその言葉は、子供を産んだ女性を蔑ろにしているように聞こえるのだろう。だったら、どう言えば彼らの賛同を得られるのか、と思うが、アイデアがまるでない。

ただ言えるのは寺山修司の「性」に対する解釈は随分と過激に思えるが、その背景にある、こう生きるべきだ、女はこう生きるべきだ、という主張は十二分に酌量の余地があるように思える。ただ、一部のフェミニストが都合の良い時に「女」を主張し、男がそれにイライラを感じつつも、それに逆らえない、という構図が蔓延しているが、寺山修司の主張は男性的な女性論であるからこそ、僕のような男性を惹き付けるのだが、これを読んだ女性の何人かもそれに感銘を受けるに違いない。

感銘を受けたには、それを体現しようと試みるのが筋であるが、やはり女性は都合の良い時に「女」を主張するし、男も男で女性が「女」を主張した時に、どう対応すれば良いか、どうすれば好感を持たれるか心得ているから、そう対応する、事態はまるで変わらないんだな。

作者・作品データ

作者:開高 健 1930年12月30日 - 1989年12月9日
作品:1972年

あらすじ

主人公の特派員記者は学生下宿は食っちゃ寝ての生活を送る。ベットには彼の寝る形が食い込み、カーテンはいつも閉められたまま。彼は10年ぶりに恋人とパリで再会する。彼女は修士論文を書きつつ、彼と一緒に生活を送る。彼女は能動的に生きる。彼は退廃的に生きる。彼は彼女と生活しながら、気づかずに何かを待っていた。それは戦争だった。彼はベトナム軍のサイゴンへの大規模攻勢を聞き、女を捨てて戦場へと向かうのだった。

自己完結(感想と考察)


旅をしながら本書を読んだ僕にとって、『夏の闇』は頭以上に心に訴える何かがあった。主人公の「私」は振り返りたくない経験を持ち、非生産的で退廃的な生活を送る。食っては寝て、食っては寝て、体と脳みそ溶けるような日々を送る。

僕は旅をしていたが、僕の気まぐれでそれを止めることができた。とある街の安宿で1ヶ月ぼーっとすることもできた。「私」のように食っちゃ寝ての生活もできた。日本と比べればどこの国も物価がありえないほど安かった。宿代と食費で1日1000円以内で生活するのは十分に可能なことだった。

しかし、僕にはそれができなかった。僕には脳みそが溶けるようなダラけ切った生活を送ることができなかった。それは僕が不幸な人間ではなかったからだと思う。「私」は戦場で多くの悲劇を目にした。そして、世俗的な快楽の空虚さを肌で感じてしまったのだろう。それ故に、1日中ベットにうずくまった生活を送ることができた。

話は変わるし、本書の本筋とも乖離することをあえて述べるのだけど、時々、「私」のような退廃的な生活を送る人を罵る人が居る。近年では「ニート」って言葉が極めて暴力的に使われるから、随分そういうふうに罵られる人も居ると思う。しかし、僕は彼らが彼ら自身にそれをしてしまう理由を持っているというより、外部においてもも十分に理由をもっているように思えてならない。

「私」が退廃的な生活を送る理由は確かに最終的には内部にあるが、それを導いたものは紛れも無く外的な「何か」で、各個人その「何か」が今の世の中には溢れているのだと思う。