「心に満ちている善が体にあふれ出て光り輝くことを大といい」


「大に達することで人々を善に向うように教え導くことを聖というのである」


「その聖に達して測り知れないはたらきをする人を、これを神というのである」


吉田松陰は、富士山を見たときの感想として、孟子のこの言葉を引き合いに出している。


松陰自身、おそらく善が心に満ちあふれていたと思うが、ちと、性格が激烈だったのが禍した?のかもしれません…。


惜しい。