こんにちは!
成城書道教室の徳田春苑です。
さて、漢詩の話題はだいぶ久々です。
前回、閑適詩人・白居易としてブログを書いたのですが、途中で終わってしまっていたので、ここからまた新たに、詩人白居易(白楽天)について迫っていこうと思います。
白楽天の人生は、官職について政治を批判する詩、諷諭詩をたくさん作った前期と、左遷されながらも、その中に人生を謳歌する詩をたくさん作った後期にわかれます。
「閑適」を見出すにいたるまで、どのような人生の変遷があったのか。
まずは簡単に生い立ちですが、家系的にはさほど上流階級では無かったので、若く才能のあった白楽天は、周囲からかなり期待され育ったようです。中国では官僚になるために受ける試験があり(科挙試験)、かなりの難関なのですが、白楽天はこの試験に一発でパスします。
といっても、勉学に励む途中で過労から病気になったり、父の死があったりと、精神的に、家計的にもキツイ時代を若くして経験しているようです。一家離散の経験もしており、この時の辛い体験は、後の詩作に深く影響しているようです。
それを伺いしることの出来る詩の一部です。
生者不遠別 生ける者は遠く別れず
嫁娶先近隣 嫁娶は先ず隣に近うす
死者不遠葬 死にたる者は遠く葬らず
墳墓多遶村 墳墓は多く村に遶る
既安生與死 既に生と死とに安んじ
不苦形與神 形と神とを苦しましめず
所以多壽考 所以に寿考多くして
往往見曾孫 往往に曾孫を見る
生まれた郷を離れ、家族も親戚を頼ってバラバラにならなければならなかった時、白楽天は、どこの村にでもある風習をとても羨ましく思ったのではないでしょうか。
まぁ、これに関して言えば、
私も生まれた故郷を離れ、親類のいない地で子育てをし心細かった時もあったので、地元で結婚していれば…なんて思わない時も無かったとは言いません(笑)
家族が近くにいる、という事は、普通の事のようでいて凄い事なんだなと思います。
(まぁ干渉されず好き勝手できるのが離れている唯一の利点でしょうか)
そして次回からは、官職についてからの華々しい活躍と、詩人としても頭角をあらわす前期に迫りたいと思います。