今、書店でレジ近くに並んでいたある本を読んでいます。




「間抜けの構造」




著者はビートたけし氏。





これがまた面白いです。



私、たけしさんの本はこの本以外では1冊しか読んだ事がありません・・・



それでも、テレビ等で拝見してとても好きな方です。

また、これも失敬な事に、映画は一本も見た事ないんですよね・・・







そんな私が、この本を手に取ったのはまぎれもなく書店の策略に乗ってしまったからでありますが・・・
レジ際に積まれて宣伝されている本を、吟味する事なくサッと手にとって買ってしまったわけです




それでも、タイトルにある「間」というのに惹かれたワケであります


書道にも「間」があります。

墨で書かれた際に出来る「白の余白」の事です。

色紙に一文字だけを書いて作品にする時、条幅に漢字かな交じり文を書く時、どんなサイズの紙に書くにしても、作品の出来を左右するのは「間」「余白」です。

前の記事に、近くで文字を書いていていい具合だ、と思ってさぁ字を飾って遠くから見てみると「ん?」と思う事が多々あると書きました。

まさに余白がおかしい、「間」に違和感があるからなんですね。

著書の中では、芸人さんの間、役者の間、スポーツの間、映画の間とたけし論が展開されています。

特にたけしさんは、「世界のキタノ」と呼ばれる程、映画に定評がありますよね。

映画の間についても、なるほどと思われる事が書かれています。


私は最近、フランス映画の巨匠、ジャン・リュック・ゴダール作品が好きで見ています。
最近はVHSからDVDになって続々ゴダール映画が出てきているので、もっともっと出てきてくれないかな~と思っているのですが


今までは、本当にハリウッド映画一辺倒で、流行モノを流し見するような感覚で映画を見ていたのですが、このゴダール作品にはえも言われぬ魅力があるように思われます。

最近見た映画で「WEEK END」という作品があるのですが、これの「間」がまた長いこと長いこと(;´▽`A``


それで、ハリウッド映画に染まりきっていた私は、「長い!!!」と思って、ある場面を早送りしてしまったんです。


そしたら、バッとビックリするような「オチ」が映し出されたんです。


でも私は早送りしてるもんだから「あわわわわっ(@Д@;」ってなって早送りを止めるも時既に遅し・・・


結局「間抜け」な事に、オチの前まで「巻き戻し」をして、分かりきったオチを見るはめになったのです


映画の「間」って不思議だなーと思います。

正直、何を言いたいのかさっぱりわからない映画なのに「また見たい」って思ってしまうんですよね。ゴダール映画、スゴイ・・・

でもきっとそれって、見ている側が「これは一体どういう事?」「この映画は結局何が言いたいんだろう??」って言う疑問を持つ事と、やっぱり映像の「美しさ」に尽きるんではないかと・・・

映画の評論家でもなんでもないのですが、素人ながらゴダール映画に惹き付けられる理由は「間」と「映像美」のせいではないかと思っています。


「間」ならぬ「余白」については、つくづく悩まされ、考えされられます。ほとほと困っている課題です(・Θ・;)


均整のとれた楷書や、くずしが難しい草書、流麗なかな文字をいくら会得したところで、
作品にするための「間」ならぬ「余白」を制しなければ、せっかくの技も生かされません



しかし、たけしさんも言っている通り、「間」を制するには「場数を踏む」しかありません。

練習を積み、世間の目にさらされ批評されてこそ身に付くものなのですね。


練習量も発表の場もかなり少ない私。


残されている課題は多いです(・_・;)



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