今、杜甫先生にはまっております
そもそも、漢詩を勉強しだしてからなのですが、歴代の中国詩人の中でも最重要人物となるのが「詩聖・杜甫」です。
杜甫と並んで中国文学最重要人物が「詩仙・李白」先生です。この二人はもう何かといっちゃ~漢詩の世界・書の世界にひっきりなしに登場する人物であります
(ちなみにこの二人は同時代に生き、交流しています。李白が十歳以上年上)
まず、漢詩についてですが、漢詩の形式は大きく分けて「古体詩」と「近体詩」があり、古体詩は中国史上、というかおそらく世界で最も古い詩の形式ではないかと言われているもので、基本句数は自由で、五言(五つの語で作成)、七言(七つの語で作成)、雑言(自由数の語で作成)があります。そこからだんだんと改良が加わり、近体詩という規則・約束事が厳密になった定型詩に発展します。近体詩には絶句・律詩・排律と型が3種類あり、絶句は四句、律詩は八句、排律は十句以上になります。そしてそれぞれ五言・七言を当てはめて(排律は主に五言)、五言or七言絶句、五言or七言律詩が出来ます。
その中で、最も約束事が多いのが「律詩」で、その中でも七言律詩が一番難しいのです。
そしてそれを大得意としたのが我らが杜甫先生なのであります
杜甫は民衆を詠み、政治を詠み、家族を詠み、世の無常を詠み、自分自身を詠みました。なので、世間一般には杜甫は堅苦しく、ムズカシイ、とっつきにくい印象があるようです。対する李白はと言いますと、比較的取っつき易い絶句を得意とし、夢やロマンを壮大に詠った詩人です。私生活も奔放で、まさにザ・アーティスト的な、人から注目されやすい人物だったようです。
こうして相反する二大詩人、私は杜甫氏を好きになったのですが、一生を簡単に説明すると・・・ホント、恵まれませんでした
階級社会の中で、貴族の母方と宮廷詩人を祖父にもつ父方から生まれ、育ちも良く頭脳明晰の杜甫氏だったのですが、科挙(官僚登用試験)には一向に受からず。しかし自身の「世のため人の役に立ちたい」という志を死ぬまで持ち続けていました。
運が良くない杜甫氏、やっと位の高い官職についても安禄山の乱に見舞われ、避難のため各地を家族と転々とします。何度も官職に復帰して世直しをと願っていたのですが、叶う事なく故郷の長安からとお~~~く離れた南の地で没します。59歳です。
それにしても、杜甫の大志には感服させられますこれほど朝廷から必要とされなくても、自分の才能を信じ、腐る事なく誠実に努力し家族をいたわった杜甫の人柄に魅了されないワケがありません
それも杜甫の強い自負があってこそかもしれません。難しい律詩を得意とし、家柄もまずまずなのに政界に入れず詩人で生涯を終えた杜甫。
杜甫の詩は、ロマンチックさや希望というものはあまり見られません。リアリストで、ドキュメンタリーのように情景を綴っていきます。詩人なので、誇張表現は多少なりともあるのですが、夜空を見上げて織姫と彦星の溜め息のつくようなラブストーリー・・・等の表現は皆無です。
そうではなく、民衆の困窮、朝廷への政策批判、目に見える風景から自身の心象への投影など、超がつくほど現実的です。七言や雑言も多いので、ある人がこれこれで、そしてこんな事があり、こんな結末で、ああ無常・悲壮、というのが多いですね。
ヒューマニストです。人から絶対離れません。どんなに都から遠ざかろうと、内戦から逃れてへき地へ行こうと、人・世に対する関心は消えません。そして空想ではなく現実を詠んでいます。
一般的に漢詩には恋愛や愛憎をテーマにするものは少なく、社会や友情がメインテーマとなっているそうです。
そんな杜甫も、長旅に連れ添う奥さんを非常に大事にしていて、一時、安禄山の乱に巻き込まれ一年程軟禁された時期に、奥さん・子供を想った詩があります。愛妻家で、一夫多妻制だった社会でも、杜甫に第二婦人はいなく、奥さん一筋だったようです。(これは女性読者には好感度大です)
ほんと、杜甫の魅力は語ると尽きません。これからもっと杜甫に関する本を読んで、杜甫のプロになりたいと思います(笑)
とは言っても、ただっ広い漢詩の世界に重要人物はたくさんいますので、この年で勉強するのは杜甫・李白・陶淵明にしぼる事にします。陶淵明先生は杜甫李白より一昔前の偉大な詩人です。田園詩人などと言われています。
まぁ~一年では無理なので来年も引き続き、この三大詩人をおっかけていきたいと思っています