以前木曽郡王滝村の人里離れた山中に、「濁川温泉」という一軒宿が存在しました。
アプローチは上松から三浦(みうら)ダムまで走ってた王滝森林鉄道本線と濁川支線に便乗させてもらう形でしたが、王滝村から滝越村まで林道が開通して鉄道の濁川支線は廃線となり、王滝村から林道を車で30分mそこから谷底へ20分山道を下って行くのが一般的なルートとなりました。

宿には昭和後期でも電機は通じてておらず、夜はランプを灯し調理は囲炉裏とかまどで行っていました。
木造二階の建物は明治初期創業時のまま、浴槽は母屋から階段を下りた河原の湯小屋に一つだけ。
当時としては木曽唯一の高温泉(と言っても38,9度くらいだったか)で、砂利が敷かれた湯舟の足元と、錆びたパイプから鉄鉱泉が湧出していました。
もちろん混浴で洗い場もなく、川のせせらぎを聴きながらぬる湯に浸るひと時はまさに至福の時間でした。

私が訪問した当時(1973,5年)は王滝村の半場千秋さんという老人がお一人で管理され、料理は川魚と山菜中心の素朴な、しかし味わい深いものでした。
私の訪問は二度でしたが、一度は一週間滞在して仙境の湯を堪能しました。
その後、私も何度かお会いした息子さんが経営を任され、一家四人で谷底の宿を守っておられました。
しかしある日突然悲劇が起こります。
1984年9月14日長野県西部地震により伝上川上流の御岳山8合目付近から「御嶽崩れ」と呼ばれる山体崩壊が発生し、土石流が伝上川から濁川へ流れ込み、押し寄せた大量の土砂は息子さん一家4人もろとも温泉施設を飲み込み、濁川温泉は深さ50mの土中に埋没して消滅してしまったのです。
TVでそのニュースを見たときは大きなショックを受け、滞在した日々を想起して感慨にふけりました。

かなりの画像があるはずですが、何しろ50年前のことなので多くが紛失して宿の雰囲気をお伝え出来ないのが残念です。
こちらのお若いメンバーの生まれる前の話かもしれませんが、こんな宿があったということを記憶の片隅に留めていただければ幸甚です。

 

森林鉄道に乗って

 

濁川温泉旅館

 

濁川温泉旅館

 

浴槽にて(1975年)