*住友金属鉱山別子銅山専用鉄道下部軌道


愛媛の住友別子鉱山鉄道は、私が訪問した鉱山鉄道中でも最もお気に入りだった施設の一つです。
鉱山はもちろん沿線や周辺施設に鉱山独特のムードが横溢して、見飽きることがありませんでした。
 

 

別子鉱山は1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までの282年間に約70万トンの銅を産出した日本有数の銅山として日本の貿易や近代化に寄与しました。

住友別子鉱山鉄道は愛媛県で2番目の鉄道(山岳鉱山鉄道としては日本初)として1893年(明治26年)に開業、主に別子銅山から採掘された銅鉱石を製錬所や港湾へと輸送する役割を担いました。

 

全盛期は上部軌道(5.5km、明治44年廃止)、下部軌道の端出場(はでば)本線:新居浜港-星越(ほしごえ)-端出場間 10.3kmほか三路線4.6kmの路線を有していました。

軌間は762mmと、一般の鉱山鉄道で使用される508mmや610mmよりは高規格でした。

1973年(昭和48年)の別子銅山閉山に伴い、残務整理のあと1977年(昭和52年)1月31日限りで廃止されました。

 

訪問時の1973年は銅山閉山寸前でしたが、まだ運炭列車や客車列車の運行を撮影することができました。

 

端出場(はでば)を出発する運石列車

 

神社とEL

 

客車列車

 

運石列車

 

トンネルを出る客車列車

 

端出場(はでば)に戻る運石列車

 

住友別子鉱山

 

住友別子鉱山端出場(はでば)

 

客車

 

全線10km余りを徒歩で撮影、特に路線なかほどにあった山根収銅所は、模型のジオラマのような施設に508mmのレールが敷かれ、鄙びた精錬施設がいかにも山間の鉱山というイメージ通りのお気に入りの場所でした。

 

模型のジオラマのような山根収銅所

 

山根収銅所

 

山根収銅所

 

山根収銅所

 

山根収銅所にあった銘版

 

当時の起点であった星越は鉱石が積まれ、かつての新居浜港までの廃線跡は草が生えて荒涼とした光景でした。

新居浜にあった小学校(惣開小学校?)には鉱山の資料館があり、その歴史を学ぶことができました。

 

起点(港側)星越(ほしごえ)の荒涼とした光景

 

)星越

 

星越(ほしごえ)のナベトロ

 

星越(ほしごえ)の廃線跡と煙突

 

星越(ほしごえ)の廃線跡に残るクロスレール

 

かつて新居浜港まで伸びていたレール