ゴール=スタートライン
ある物語を綴るとき、それには必ずフィナーレが訪れる。
自分という名の歴史において、それは繰り返され、その度に人は強くなる。
ここでは、そんな私の物語のエピローグを記すことにする。
私は、過去の自分に別れを告げた。
もっと、あの場所にいたかった。でも、いちゃいけなかった。
私が1月24日で21歳になるまで、そう20歳と11ヶ月まで、私の自我と歴史にはある一人の大きな存在があった。
それが、「島谷ひとみ」である。
思い起こせば、自分が中学2年の時から好きだった。
自分でも、こんなに一人の人を応援し続けるなんて夢にも思ってなかった。
しかし、私は別れを告げた。
ここでの別れを告げるとは、どういうことか。
物理的に関係を断ち切るであるとか、全く遮断するとかそういった意味合いではない。
あくまで、私のマインド、すなわち心の問題である。
薄々と自分の奥深くでは気がついていた、「ズレ」。
でも、気づかぬフリをしていた。
壊れることを恐れていたからだ。
しかし、もう嘘はつけなかった。
偽った自分を演じることは、辛い。本当に辛い。
そうして、21度目の誕生日を迎えた24日、私は決意したのだ。
しかしいざ決意してみると、不思議な解放感にも包まれている。
別に気持ちがよいわけではない、でも心の重荷がスッと抜けたような、浮遊感。
例えは悪いが、全身麻酔から覚めた後のような感じである。
しかしなんとも、言葉では言い表せられない感覚だ。
自分の脳が足りてないせいもあるが、少なくとも今持ち合わせている語彙では表現しきれない。
この決意は、果たして正解だったのだろうか。
自分は正解だったと思っているが、真相の程はわからない。
同時に、もう一つ別れを告げたものがある。
この「島谷ひとみ」という共通項を通じて知り得た、最愛の人である。
正直なところ、最近の自分は甘えていた。
忙しいことをいい理由に、何もしていなかった。
逃げていた。
でも、これも先に同じく、薄々感じていたものがあった。
まさしく、「ズレ」である。
似てる価値観。性格。
でも、「似てる」は「=」ではなく、あくまで「≒」。
その意味のジレンマを、痛感させられた形となってしまった。
そして、やはりここでも同じことを感じた。
ここに居座るのは容易いし、苦もさほど知らなくて済む。でも、ここにいてはいけない。
決断をするのに、今の私には決して多くの時間は必要ではなかった。
確かに、私は今大変気を落としている。
でも、決して傷ついているわけではない。
むしろ、「俺、強くなったな」、と関心してる部分すらある。
同時に、本当に良い経験をさせていただけたなと思った。
何にも代わることはできない、幾千の星よりも、たったひとつのmemories。
君と過ごした日々は、決して薄れることのないものだと、今堂々と言える。
5年後、いや10年後、また語り合いたい。
「あの日の君に、出会えてよかった」と。