「幸い、現治療での効果が得られておりますが、腫瘍箇所が全身にわたって多数であるため、PD時(抗がん剤が効かなくなったとき)には一気に悪化する恐れがあると考えております。」

 

 

これは今の主治医が、夫の友人で、(わたしの友人でもある)消化器外科医に

わたしの現状をかいてくれた手紙。

 

いままでのデータとともに専門医でもある友人に見てもらうためにもらってきた。

まあ、セカンドオピニオンみたいなもんやね。

 

 

封もしてないから、当然目を通すよね。

 

 

そして、ゆうべはこの文章に固まる一夜となりました。。。

 

 

 

やっぱり抗がん剤の治療の一日目は眠れないのもあってね、

ずっと現実の厳しさを知って怖さに怯えてた。

 

 

今が調子がいいのだから、今だけのワクワクを考えて生きていこうって

 

思考ではなんども考えるのだけどね。

 

 

目を閉じると、

 

 

死ぬのが怖い・・・・

 

消えるのが怖い・・・・

 

 

ばかりが頭を駆け巡って、結局朝になる・・・。

 

 

ふう・・・

 

 

 

 

究極のところ、

 

わたしは「死んじゃっても大丈夫」と思えないのだ。

 

まだまだそこまで悟ってない。

 

 

 

もしかしたら「大丈夫」なのかもしれないけど

 

そう思いたくないのかもしれないし、

 

やっぱり「大丈夫」とは到底思えない。

 

 

 

夫のこと(わたしがいなくなったあとの彼を想像できない)

 

子供のこと(あ、娘、息子二人とも成人していますが、二人ともマザコン傾向)

 

彼らはわたしがいなくても生きていけるのかな。

 

やっぱり「大丈夫」とは到底思えない。

 

 

 

あとは、職場のこと。

(主人とわたしで経営しているが、主に経理や人事など、裏仕事の実務はわたしが一人で切り盛りしている

 

そして、家のことあれこれ

(夫は家の中のこまごましたことを殆ど知らない

 

 

やっぱり「大丈夫」とは到底思えない人や環境。

 

 

 

結局さ、ここに来てもわたしは「他人軸」なのだろうか・・・と苦笑。

 

 

だってすごくなんだかんだ、

 

迷惑かけるのがいやなんだもの。

 

わたしがいなくなったら、みんながとても困って、

 

てんやわんやになって、生活できなくなって、迷惑かけて、

 

仕事も回らず、スタッフにお給料も払えなくなるのでは・・・

 

どうなるのだろう・・・

 

残していくものが多すぎる。

 

 

 

これが実は自分が死ぬことよりも怖かったりする。

 

なんやねん笑い泣きこの他人軸。

 

 

 

できたら、まだまだ元気になってこの人生楽しみたいけど。

 

だから生き続けたいけど。

 

いま幸せだし、この人生で良かったと思えてるし、満足してる。

 

だから、神様に「はい、人生ここで終わり〜!」と言われれば

 

受け入れようと思うけども・・・

 

 

 

このまま死んだら「無責任」。

 

みんなが困る。

 

 

ここがどうしてもクリアにならないの。

 

どんだけ「無責任」だって思われたくないんだ(笑)