突然ですが・・・

 

【再結婚】しましたドキドキ

 

ジュエリーショップsoraさんのHPよりお写真お借りしました。

 

 

 

わたしたち夫婦は今年、結婚25周年を迎えます。

銀婚式の年らしい・・・

 

 

このくらいの長年のパートナーになると、どんなご夫婦でも多かれ少なかれ、いろいろなそれぞれの壁を乗り越えているのかもしれません。

 

 

我が家もこの25年間は、ぶっちゃけ山あり谷ありで、決して順風満帆ではなかったです。

 

 

 

ご存じの方はご存知・・・これまでもブログに書いてきましたが、

つい昨年末まで3年半もの間、わたしたちは心を通わせる事なく、お互いを見失い、別々に暮らすようになり、夫婦としては破綻状態と言ってもいいくらいのひどい状態でした。

 

 

 

いろいろな紆余曲折を経て、、、、、(長くなるので端折りますが)

 

 

そんなわたしたちが今一度、夫婦を1からやり直そうと決意し、今、共に手を取り合って歩み出しています。

 

 

 

そんな矢先に、わたしに病気が見つかり、幾晩も二人で悲しみ、言葉を失くし、不安に揺れて、枕を涙で濡らし、その涙も枯れて、今は以前より強い絆で、「生」だけを信じて共に生きています。

 

 

 

 

恥ずかしいけど、わたしの人生でなくてはならない運命の人であると今は確信できるからこそ、そんな人に出会えたわたしは幸せやなぁーーと心から感じています。

 

 

 

 

 

 

そしてこの度、わたしたちは【再結婚】することにしました。

 

 

結婚25周年と、わたしたちが再び夫婦としてやり直す記念に・・・

 

結婚指輪を新調してもらいました。

 

 

 

 

 

この指輪とともに、生涯添い遂げていきます。

 

 

 

 

 

そもそも、25年前に作った結婚指輪は、ほとんど夫の指にはめられることはなかったの。

 

彼はもともと指輪が嫌いらしかったし、医療従事者ということもあって、場面場面で取り外しの機会も多く、

失くすリスクより、はじめからはめない方を選んでいて。

 

それでも指輪をゴールドチェーンに通して、ネックレスとしてしてくれていた時期もあったけれど、

いつしかそれもしなくなって。

 

 

 

わたしはといったら、彼が指輪をしてくれないことに拗ねて、自分だけがしていることが悲しくて、

愛情の大きさで負けたような気がして、(そんなん関係ないんやけど・・・笑)

 

そのうち、自分も金属アレルギーになったのを機に指輪をしまいこんだ。。

 

 

 

 

本当は周りにいた仲良し夫婦のように、いつまでも二人でおそろいの指輪をはめるのが夢だった。

 

羨ましくて、寂しかった。

 

自分が妻として、失格と言われているような気がした。

 

愛されていないのだと勝手に思っていた。

 

 

でも彼にそう伝えたことは一度もないくらいに、わたしは心を拗らせていた。

 

そんな拗らせは今となっては笑えるけれどもね。

 

 

 

 

だから、今回、

 

結婚指輪を買ってほしい。ずっと外さずに一緒につけていてほしい。

 

とおねだりしたときはドキドキした。

 

 

 

ほしい指輪は決まっていた。

 

金属アレルギーでも大丈夫なジルコニウムの高いやつ・・・

 

 

 

困った顔をされたらどうしよう、

 

興味なさげだったら傷つくな・・・

 

 

とドキドキのバンジー。

 

 

でも、彼は私の気持ちをよく聴いてくれて、わかってくれて、一緒に泣いてくれて、

 

買いに行くのが楽しみだと喜んでくれた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

彼はわたしにはないものを、たくさん持っていました。

わたしが捨てて来たものを持っていたと言い換えることもできるかもしれない。(だから惹かれた)




 

彼は純粋な子供のように自分に正直で、

自由奔放にやりたいことを楽しみ、

家庭を持ったけれども決して家庭的ではなく、

 


いつも心は好奇心旺盛で、

目の前の素敵な人に惹かれ、

行動を起こし、

嘘をつけなくて、

家庭に留まることができず、

 

一度は家族を壊して出ていった。

(もちろん原因はわたしにもある)

 

 


別々に暮らしながらも、心を通わせることもなく淡々と形だけの日々を過ごす中で、

わたしは虚無感の中で、ずっと答えを探し続けていた。

 

 

そんな中、心屋仁之助さんを見つけて、心理学の世界に没頭して、半世紀分の人生の棚卸し。

 

なぜこれまで、わたしは楽に生きられなかったのか・・・

幼少から現在に至るまでの生きにくさの根源と向き合った。

 

 

 

何がきっかけだったのか、何処がゴールだったのか、いや、何処がスタートラインだったのか。

 

よくわからないのだけど、

 

 

 

昨年末のある日、彼は戻ってきて、わたしは「おかえり」と言った。

 

 

 

彼には時間が必要だった。

 

でも必要なだけの時間をかけて、やっと、去年の年末にちゃんと彼は勇気を出して向き合ってくれた。

 


 

 

 

 

 

最近もしみじみと二人で話すことがあります。

 

 

やっと本当の夫婦になれた。とね。

 

ここ(わたしのいる場所)が帰ってくる場所だとやっとわかったと涙ぐんで言ってくれます。

 

 

 

ほんと、遠回りしたけど、永遠の愛を手に入れたいという望みを叶えることを、

 

彼とじゃなきゃできなかった。

 

それは、前とは違う今のわたしだからこそ、手に入れられたのだと思う。

 

 

 

マスターに通い始めた頃、自分の気持がわからなかった。

 

彼を好きなのかさえ。

結婚を継続したいのかさえ。

自分がどう生きていきたいのかさえ。

 

攻撃するための武器だけを握りしめ、

 

わたしは悪くない、被害者なんだと、要塞に潜り込んだ。

 

被害者の仮面をつけた加害者であることに気づいていなかった。

 

 

 

 

 

下矢印今のわたしはこんな感じ・・・

 

 

*彼にもう負けてもいい(勝とうとする必要がない)と思っている。

 

*コントロールを手放している。

 

*二人の、それぞれに違う価値観のものさしを、どちらも素晴らしいと思っている。

 

*彼の見せてくれるわたしにとっては好ましくない事象や態度はすべてダミーであり、わたしの見え方に歪みがあることを知っている。

 

*裏も表もあってもいいし、歪みがあってもいい。彼も然り。

 

*そこからわたしは自分を、相手を深く知ることができること。

(前提の深堀り)

 

*何が起こっても大丈夫を知っている。

 

 

 

 

 

 

マスターを卒業する頃には、自分が彼とどうしたいのか、明確にわたしにはわかっていた。

 

自分の気持は、自分だけのものとして、受け取ることを許した。

 

 

 

わたしは彼と添い遂げたいのだ。。。

 

とね。

 

 

 

 

そして、わたしたちはお互いを見失わずに再び、手を取り合うことができた。

 

 

 

 

 

ジュエリーショップsoraさんのHPよりお写真お借りしました。

 

 

 

この指輪は、おそらく生涯わたしの指から外されることはないだろうな。

 

 

 

 

指輪を受け取った帰りに寄った、名古屋市北区の別小江神社。

 

 

 神功皇后さまをモチーフにした絵が印象的な手水舎。






 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今夜も、あなたが安心して愛の中で眠れますように・・・

***しず華***