エホバの証人が輸血をしない根拠に、使徒15:29の「血を避けなさい」という聖句がある。
この「避ける」という言葉があまりに一般的過ぎるので、血抜きしてない肉を食べることだけでなく輸血をも含むと解釈することになる原因になるのだが、実は単に小学生の国語の問題だったりする。

以下の文章で、挙げられているものすべてを禁止するため、◯◯に適切な語句を埋めなさい
「偶像にささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を◯◯なさい」
「してはならない」、では血に関しては適切でない。
「食べてはならない」も当然だめ。
「避けなさい」という何にでも当てはまる単語が正解。

つまり、何が言いたいかというと、「避けなさい」という表現自体に特別な意味はなく、単に表現の便宜上選ばれた言葉に過ぎない。
そこを理解せずに「避けなさい」を拡大解釈して輸血にも当てはまるとするのは間違いの可能性が高い。

このことはこの聖句の文脈を見ることでさらに理解できる。
ここでは、悔い改めた異邦人もモーセの律法を守るべきかという論争があり、結論としてその必要はないこと、ただし、使徒15:21を理由として使徒15:29 に列挙されたことはモーセの律法下にない異邦人であってもユダヤ人と同じように守るべき、という流れ。

したがって血を避けるという表現は当時よく知られていた血を食べてはいけないという掟を単に指し示しているの解釈するのが文脈を考えると妥当だ。
それで、文脈を無視して「避ける」という言葉だけを取り出して、あらゆる形で血を取り入れるべきではないと拡大解釈するのは適切ではないと思う。