とてつもなく久しぶりのブログですが、
記録のために書きたいと思います。
長い文章なので
スルーしてもらって大丈夫ですので![]()
2026年、3月7日、午前10:45ころかな
母が旅立ちました。
前日の夜、病院から電話がなり
その瞬間嫌な予感がし、でたら
母の容態が急に悪くなったと。
夕方嘔吐してから、全く反応がないとのこと
できたら、すぐにでも面会へきてもらいたいと
夜間の看護師さんから連絡が入りました。
この電話の間、全身が大きく震えて
スマホを持つのがやっと。
娘がとんできて、必死に震える体を抱きしめてくれました。
すぐに兄に連絡をして、兄と義姉と3人で病院へ
運転は危険とのことから、義姉が運転してくれました。
母は電話で聞いていたとおり
全く反応がなく、目がうっすら開いてるけど
眼球が動かない、口も半開きで。
寝てるの???起きてるの??
わからない。。
しばらく母の横にいて、話しかけてすごし
なにも変わりなくだったので、看護師さんに夜中急変があればすぐ連絡をもらうことにして、帰りました。
よく朝、婦長さんに相談して☎️
子供達の面会の許可をとり、家族で病院へ向かっていたとき、再び病院から電話が入り
大変危険な状態です。急いできてくださいと。
すぐ兄にも連絡し向かってもらいました
11時すぎ、病院に着き母の病室へいくと
穏やかに眠った母。
私たちの到着する少し前に、心拍がゆっくり、ゆっくりとなり、停止したそうです。
前日の様子、向かってるときの連絡と
もう覚悟はできていましたが、まさかの別れとなり、しばらく頭は放心状態でした。
兄が到着するのを待ち、家族みんなで
死亡確認をしました。
兄が到着するまで、人工呼吸器はつないだままだったので、心臓はとまってるけど、息をしている状態で、兄がついたら、人工呼吸器が外されました。
いつかくるこの日を。
子供の頃から、怖くて。怖くて。
異常なほどに、母が大切でしかたなかったから
ついにきてしまったこの日を、もう受け入れるしかないのか辛かったです。
幸い、兄が葬儀の手続きや、病院へ時間の連絡やと、率先して動いてくれて、本当助かりました。
ふと、気をぬいたら、号泣してしまうギリギリの気持ちのまま、いったん帰宅し、子供達夫を家へ送り、兄と葬儀屋さんはいって、打ち合わせ。
父の時と同じ葬儀屋さんなので、ある意味データがあることで、スムーズに終えました。
そのあと東京の兄も合流して、細かい打ち合わせができました。
8日、18時通夜
9日、11時告別式
10日、お寺へ分骨をおさめに
と問題なく、終えました。
父の時の記憶がざっくりあったけど
本当家族は悲しみに浸る暇はなく
ドタバタと時間がすぎてしまいました。
最後の母は、義姉がお化粧をしてくれて
とっても可愛くなってました✨
大好きな母とついにお別れしてしまったこと。
もう2年半、ほぼ寝たきりで
話せない、動けない、食べれない、飲めない
この生活で、何もしてあげられない。
母のことを思うと辛くて仕方なかったです。
あの世で、母が自由に過ごせるようになってくれたら、笑顔でたくさん仲間と父や祖母や祖父、
ご先祖さまたちと楽しく話をしてくれてるといいな。
おしゃべり大好きな人なので![]()
残されたものは、ずっと故人を思って悲しい時間を過ごしていると、あの世は旅立たないと聞いたことがあります。
残されたものは、亡くなった人が
心配しないでいいくらい、幸せに、楽しそうに過ごすこと、これが何よりの供養になるそうです。
母に心配をかけないように。
私は大丈夫だからね!って常に心の中で言っています。
49日をすぎるまでは、この世にいると聞きましたが、あの世にいってから、私たち子供達、家族をずっと見守っていてね![]()
時々でいいから、夢に出てきてほしい
そして、美味しいものを一緒に食べて
おしゃべりがしたいよぉ〜


