『モーツァルトの台本作者 ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』
田之倉稔著 平凡社新書
 井形ちづる氏の名著『シューベルトのオペラ』(水曜社)によれば、シューベルトは19のオペラ(舞台音楽)を残している。
 数え方にもよるが、モーツァルトは21だから、シューベルトもオペラ作曲家に数えられてもおかしくない。
 ところがシューベルトの業績の中でも、オペラは、歌曲や交響曲や室内楽よりも一段低く扱われ、どころか、まったく無視されてしまっている。
 かくもモーツァルトとシューベルトを隔ててしまうものは何か?
 それは、一言で言えば、ダ・ポンテその人である。
 考えてもみよ。
 モーツァルトが『フィガロの結婚』を作曲したのが30歳、『ドン・ジョバンニ』が31歳、『コジ・ファン・トゥッテ』が34歳である。
 これらは言うまでもなく、ダ・ポンテの台本による。
 もし、ダ・ポンテがおらず、シューベルトと同じ31歳で死んでいたら、モーツァルトの作曲家としての評価は相当に違ったものになることだろう。
 で、そのダ・ポンテであるが、本書のタイトル「モーツァルトの台本作者」としてしか知られておらず、実際、業績としてはそれだけなのだが、その生涯はムチャクチャに面白い。
 特にアメリカに渡ってから、生活に苦労しながらこの地でイタリアオペラを上演しようと悪戦苦闘する様は滑稽としか言いようがない。
 アメリカ初のオペラハウスの建設に奔走したのもダ・ポンテだし、当然、その運営にも失敗し、借金だけが残る。
 こうして時代錯誤なオペラの夢に生き、89でアメリカに没した。
 墓の正確な場所も分からない。
 本書では、戯曲『フィガロの結婚』の作者ボオマルシェを小物にしたような、ダ・ポンテのアヴァンチュリエぶりが生き生きと描かれる。
 ちなみに最近、岩波は辰野隆訳の文庫『フィガロの結婚』を増刷した。
 この、誤訳と奇怪な日本語に終始し、最後に歌われる歌を割愛したバカ本を決定版とすることに決めたようだ。
 せっかく『セビーリャの理髪師』では鈴木康司氏の清新で正確な訳を採用したのに、今回の『広辞苑』改悪同様、腐りきった書店だと断言せざるを得ない。
 ちなみに『フィガロ』の原作を読むなら、同じ鈴木氏の『新訳 フィガロの結婚―付「フィガロ三部作」について』(大修館書店)を強くお薦めする。
 オペラと比べればダ・ポンテの手際の良さがよく分かる。