私の伯母、ヒデコシャンは数々の逸話を残している。
 生涯、芥川賞を狙い続け、読売新聞には「永遠の文学少女」として、その半生が紹介されたりもした。
 この人もまた、天才に人生を狂わされた一人だった。
 弟、つまりは私の父が15かそこらで詩壇にデビューし、最年少で新日本文学会の会員になり、田舎ではスターになっていく中で、自分も、と思い込んでも仕方ない。
 世は戦後、詩と天才と才女の時代である。
 機会さえあれば、自分も、と思うのも当然である。
 ただ、問題なのは、それをず~~~~~~~~~っと思い続け、戦後などとっくに終わり、第三の新人も内向の世代も老人になって、芥川賞がもはや子供や芸人の作文に落ちぶれ果ててもなお、ず~~~~~~~~~っと思い続けたことである。
 才女としてデビューする夢は、最高齢で芥川賞を受賞する夢へと横滑りし、書けもしない小説を書き続け、何一つ完成することなく、逝った。
 それでもなにがしかの才能はあったと思う。
 だから江藤淳などはヒデコシャンの手紙には丁寧に返事を書いていた。
 自殺の前日の日付の葉書は、おそらく江藤淳の最期の手紙だと思う。
 その江藤淳が評価していた誰かの小説の名前が思い出せないヒデコシャン、
「ほら、あれ、なんやったかねぇ、なんとなく暮らしてる」
「はぁ?」
「何となく暮らしてる、とかいう小説あるじゃろうが」
「私小説で?」
「そんなんじゃねえって、江藤淳がえらい褒めた、最近の」
「江藤淳が褒めた?」
「そう。何となく暮らしてる、とか、なんとか」
「わからんねぇ」
「芥川賞の候補にもなった」
「まさか、『なんとなく、クリスタル』のこつかい」
「そうそう、それ!」
『なんとなく、クリスタル』が「何となく暮らしてる」とは、なんという素晴らしい変換、批評精神の発露に恐れ入るが、これだけじゃない。
 親戚に「源ちゃん」と呼ばれる人がいたのだが、この人が素晴らしく頭が良いと噂なのだという。
「源ちゃんちゃ、インテリちゅう噂バイ」
「源ちゃんが? なんで?」
「本屋で、インテリ源ちゃんち、みんなが言うのを聞いたバイ」
「インテリ源ちゃん?」
「そう」
「それ、ロシア語でインテリゲンツィアのことじゃなく?」
「あ、かもしれん、それバイ」
「インテリゲンツィア」が「インテリ源ちゃん」とは恐れ入る。
 田舎のインテリなんて、まさにそういうものかもしれぬと、思わず膝を打つ。
 素晴らしい批評精神の発露で、芥川賞を取れずに逝ったのが悔やまれる。