大連市の女性アナウンサーだった張偉傑が「人体の不思議展」の妊婦標本にされたという噂が話題です。

この記事では張偉傑のプロフィールや結婚、薄熙来との愛人関係と失踪事件の経緯、その後標本化されたという噂の根拠や現在も囁かれる事件の真相や犯人の噂についてまとめました。 
張偉傑は中国の元アナウンサーで1998年に失踪し人体標本化されたとの噂


張偉傑(日本語読みで「ちょう・いけつ」)中国の港湾都市「大連市」の国営テレビ局「大連テレビ局」でアナウンサー、キャスター、女性司会者などの活動をしていた女性です。過去には女優としても活動しており、大連テレビ局の美人アナウンサーとして人気がありました。
張偉傑には、当時大連市長を務めるなど中国共産党の有力政治家であった薄熙来の愛人だったという噂があり、その子供を妊娠していたと言われています。そして、妊娠8ヶ月だったという1998年に張偉傑は突如として失踪し現在まで行方不明のままとなっています。
この張偉傑の遺体が、人間の死体をプラスティネーション技術を用いて腐らないよう加工して展示する「人体の不思議展」の妊婦標本に使用されたのではないかという噂がネット上で囁かれています。
張偉傑のプロフィールや経歴


張偉傑のプロフィールや経歴については、信頼性の高い情報は全く出ていません。
張偉傑の経歴でわかっているのは、中国北京の精華大学を卒業している事(卒業年は不明)と、1990年代初頭に大連テレビ局で「太阳雨」という人気番組の司会者を務めていたという事のみです。
張偉傑を大連テレビ局の人気番組のアナウンサーに抜擢したのは、当時大連市長で愛人関係にあった薄熙来だとする情報も出ていますが、詳細は語られておらず、大連テレビ局のアナウンサーになる前の張偉傑の経歴については、小規模なラジオ番組でアナウンサーをしていたといった情報しか確認できません。
また、張偉傑の知人の証言によると、張偉傑は身長が170cmもあったそうです。
張偉傑は結婚はしておらず中国の政治家の薄熙来の愛人だったとされている


張偉傑は結婚はしておらず、当時、中国大連市の市長を務めていた薄熙来という中国共産党の有力政治家と愛人関係にあったと言われています。


薄熙来のプロフィール
生年月日:1949年7月3日
出身地 :中華民国北平市(現在の中国北京市)
身長  :180cm超
人気アナウンサーであった張偉傑を愛人として囲っていたとされる薄熙来(日本語読みで「はく・きらい」)は、中国共産党の元大物政治家で、1984年から2000年代まで遼寧省大連市の政治に関わりました。
1993年から2000年までは大連市長を務め、その後は遼寧省党委員会副書記、同省副省長・省長代理、遼寧省長を歴任。2002年に中国共産党中央委員に選出されると、2004年には閣僚にあたる商務部長となり、2007年から2012年にかけては重慶市委員会書記(重慶市のトップ)に就任しました。
中国共産党の最高指導部入りも有力視されるほどの大物政治家となっていた薄熙来でしたが、2012年に側近がアメリカ領事館への亡命未遂事件(王立軍事件)を起こすと、それをきっかけにして、妻の谷開来と秘書によるイギリス人実業家毒殺事件、不正蓄財事件などが発覚し中国共産党の全ての公職から追放されました。
その後、2013年に薄熙来は合計4億円にものぼる収賄罪と横領罪で起訴され無期懲役の判決が下されています。
張偉傑失踪事件の背景


張偉傑は1990年代初頭から大連テレビ局のアナウンサーを務めて人気を集めていましたが、1998年に突如として失踪しており、現在も「張偉傑失踪事件」と呼ばれ未解決事件となっています。
この張偉傑失踪事件に、当時大連市長であった薄熙来が関連していると噂されています。既に触れているように張偉傑は薄熙来と愛人関係にあったと言われています。
薄熙来は女優やスポーツ選手、アナウンサーなどの肩書を持つ多くの美女を愛人として囲っていたとの噂があります。そのうちの1人が張偉傑だったと噂されています。ある情報筋によれば、薄熙来の別の愛人によって張偉傑が紹介され愛人となったということです。
当初、薄熙来は若く美しい張偉傑に夢中になり、大連市へと連れてきて大連テレビ局の人気番組のアナウンサーとして起用したと言われています。
薄熙来は結婚しており、妻は弁護士の谷開来という女性でした。しかし、張偉傑が薄熙来の子供を妊娠。張偉傑はこれに気を強くして、実質的には自分が薄熙来の妻であると周囲に吹聴するようになったようです。
これに激怒した谷開来は公安当局などに働きかけて薄熙来に圧力をかけ、危機感を覚えた薄熙来は張偉傑を大連テレビ局のアナウンサー職から追放する事になります。
張偉傑はこれでようやく焦りを覚え、必死に陳情して許しを乞うたようですが時既に遅く、次第に精神を病んでいき、大連市庁の前で3度にわたって大騒ぎをするなどしています。
ここからは真相を知ると語る人物からの情報になりますが、大騒ぎをする張偉傑の姿にこのままでは自分の政治家としての立場に傷がつくと考えた薄熙来によって張偉傑は大連市内のホテル軟禁され、そのまま行方不明になったという事です。
2024年2月の現在まで張偉傑は発見されておらず、既に死亡しているとの見方が強くなっています。
 張偉傑失踪事件のその後と現在…人体の不思議展の死体標本にされたとの噂


張偉傑が1998年に失踪した「張偉傑失踪事件」は現在も未解決のままとなっていますが、「人体の不思議展」の妊婦標本が張偉傑の遺体だったのではないかという噂が存在します。
この噂は2012年頃にインターネット上で囁かれはじめたのもので、日本国内のネットユーザーの間でも中国共産党の危険性を示す例だとしてよく話題にされていました。
張偉傑の死体標本があったと噂された人体の不思議展とは


張偉傑の妊婦標本が展示されたと噂された「人体の不思議展」とは、本物の人間の遺体に樹脂加工を施し、様々なポーズをとらせたり、スライスして断面図を見せたりする展示会です。
人体の不思議展で展示された死体標本は、ドイツ出身の解剖学者グンター・フォン・ハーゲンスが開発したプラスティネーションという技術を用いたもので、ハーゲンスは1993年にプラスティネーション協会、Institute for Plastination(IfP)という団体を設立して世界各地で死体標本の展示会を行うようになりました。
日本では1996年から1998年にかけて「人体の不思議展」の名称でIfPによる死体標本展示会が開催され話題になりました。
その後、ハーゲンスは1999年8月に中国大連に「ハーゲンズ・バイオプラスティネーション会社」(冯.哈根斯生物塑化公司、Von Hagens Dalian Plastination Ltd)なる死体加工工場を設立。
この死体加工工場で働いていた中国人らが新たにこの技術を用いて2002年より「新・人体の不思議展(後に新の文字は除かれ、再び人体の不思議展という名称に)」を開催するようになり、日本でも2011年頃まで全国各地で開催されていました。


人体の不思議展の妊婦標本が張偉傑だと言われた根拠


この「人体の不思議展」で展示されていたのが、お腹の胎児ごと標本化された女性の遺体が横に寝そべりポーズを取らされているものでした。
この妊婦標本の顔立ちや骨格、体格などが張偉傑と似ているとしてインターネット上で噂になりました。
この妊婦標本は、妊娠8ヶ月の遺体を標本化したものだと解説されていましたが、張偉傑は大連から行方不明になった当時、薄熙来の子供を妊娠しておりちょうど妊娠8ヶ月であったと言われていて、これも人体の不思議展の妊婦標本が張偉傑の遺体だとする根拠とされました。
なお、この妊婦標本が張偉傑ではないかとの噂が広まった後、他国の複数機関からDNA鑑定の要請があったが中国政府がそれを頑なに拒否したとの情報もありますが、中国国内で中国人が失踪した事件に関連して他国機関がDNA鑑定を要請するなどあり得ません。
ただ、アメリカの中国研究者でジャーナリストのイーサン・ガットマン氏が、人体の不思議展で展示された全ての遺体のDNA鑑定を行うよう要請した事があったようです。この件で各国機関が動く事はまずありませんが、人体の不思議展の裏に事件性を疑った各国のジャーナリストがDNA鑑定を求めた動きは実際にあったようです。
しかし、当たり前といえば当たり前の反応ですが、中国政府はこうした要請を全て拒否しています。
張偉傑失踪事件の真相…犯人は薄熙来と妻の谷開来との見方が有力


「張偉傑失踪事件」の真相としては、犯人は薄熙来とその妻の谷開来だとする説が有力とされています。
薄熙来の妻の谷開来が激怒し張偉傑をアナウンサー辞任に追い込んだ
既に触れていますが、張偉傑は行方不明になる前、当時大連市の有力政治家であった薄熙来と愛人関係にあり、薄熙来の子供を妊娠していたと言われています。
張偉傑は薄熙来の子供を妊娠した事を隠すどころか、これを周囲に吹聴してまわり、薄熙来に「妻の谷開来とは離婚して君と結婚すると言われた」などと言って「自分こそが薄熙来の本当の妻である」と宣言していたという事です。
薄熙来の妻の谷開来はこれに激怒し、地元の新聞で張偉傑を全力で攻撃する記事を発表するなどしたため、薄熙来と張偉傑の不倫関係は公に知られるようになります。
さらに、弁護士である谷開来は国家治安機関に働きかけ、公安当局が圧力をかけて張偉傑を大連テレビ局のアナウンサー職から辞任に追い込んでいます。
張偉傑は精神のバランスを崩し騒ぎを起こし薄熙来によって拘束され殺害された
大連テレビ局のアナウンサーを解任された張偉傑は、薄熙来に何度も陳情して許しを乞いました。しかし、薄熙来は自分の政治生命を優先して張偉傑の陳情に耳を貸しませんでした。
諦めきれない張偉傑は、大連市庁前で合計3度にわたって騒ぎ、警察官に連行される騒動を起こしています。
これ以上騒がれては自分の政治生命に悪影響があると考えた薄熙来は、密かに張偉傑を大連市内のホテルに拘束していますが、これを最後に張偉傑は行方不明となり現在まで発見されていません。
張偉傑の海外の友人らが張偉傑失踪事件の真相を調べており、この友人らは、薄熙来が信頼できる知人に依頼して張偉傑をホテルから大連市外へと連行させ密かに殺害させたと主張しています。
張偉傑の遺体が人体の不思議展の妊婦標本にされた噂が浮上
張偉傑失踪事件は1998年に発生しましたが、その1年後の1999年8月、薄煕来は大連に「ハーゲンズ・バイオプラスティネーション会社」(冯.哈根斯生物塑化公司)の設立を承認しています。
これこそが、「人体の不思議展」で展示された死体を加工するための死体加工工場でした。
薄熙来は自らの息のかかった死体加工工場に、殺害後冷凍保存していた張偉傑の遺体を送り込み、妊婦標本に加工させたのではないかと噂されています。
あくまでもこれは都市伝説ですが、実際に展示された妊婦標本の顔立ちや骨格が張偉傑に酷似していた事からこの噂は現在でも実しやかに囁かれ続けています。
まとめ
今回は、「人体の不思議展」の妊婦標本にされたのではないかと噂されている中国大連市の元アナウンサーの張偉傑についてまとめてみました。
張偉傑はのプロフィールは詳しい事はわかっていませんが、北京の有名大学である精華大学の出身で、1990年代初頭から大連テレビ局でアナウンサーやキャスター、司会者を務めていた事などがわかっています。身長が170cmあるモデルのようにスタイルが良かったとの情報も出ています。
張偉傑は結婚はしておらず、当時、大連市の有力政治家だった薄熙来の愛人となり、その子供を妊娠していたと言われています。
しかし、張偉傑は薄熙来の子供を妊娠した事を周囲に吹聴したため、薄熙来の妻の谷開来の怒りを買い大連テレビ局のアナウンサーを辞任に追い込まれました。
その直後の1998年、張偉傑失踪事件が発生し、張偉傑は忽然と姿を消して現在も発見されていません。
その後の2012年頃、張偉傑の遺体が「人体の不思議展」で展示された妊婦の標本にされたのではないかという噂がインターネット上で囁かれるようになりました。
張偉傑失踪事件や妊婦標本の噂の真相について犯人は薄熙来とその妻の谷開来ではないかと言われています。
現在も、薄熙来と谷開来によって張偉傑が殺害され、その後、大連市にあった死体加工工場で妊婦標本にされ晒されたという噂がネット上で囁かれ続けています。