警官の前でいきなりグーパンチで殴られ鼻血が噴出したことも…超スパルタ母は44歳男性の女性観にどんな影響を与えたか

芸人・松本人志が窮地に立たされている。彼を頂点とした「松本組」的なものがもつホモソーシャル感が「キモい」と言われており、そのことじたいが「ある種の男たちの従来のありよう」を示していることも、今の感覚にはそぐわないとして嫌われているのだろう。

だがもっと重要なのは、おそらく彼に「女性のみならず、人への最低限の敬意がないこと」だと思う。後輩芸人は自ら進んで女性を集めたのだろうか、あるいは彼らに無言の圧をかけて集めさせたのだろうか。後者だとしたら、後輩芸人たちにも敬意がなかったのではないか。性的加害は暴力であり、暴力は人権侵害なのだ。その根底に、彼が人を睥睨していることがある。彼の笑いはいじめのようなものだと言われているが、いじめもまた人権侵害だ。松本人志が大好きだという女性の声をほとんど聞かない。女性たちは彼の「どこかねじれた感じのオラオラ感」「成り上がり的な王様感」を本能的に好まなかったのかもしれない。

どんな相手に対しても「最低限の敬意」は重要だ。相手も人間、相容れないものがあろうと、その人のありように敬意があれば「男女関係」は成立する。敬意を感じることができないから、女性は相手を恨む。これは男女を入れ替えても同じことだ。ところが文字にするのは簡単だが、敬意を抱くとはどういうことなのか。そしてどう表現すればいいのかがわからない。そんな人は多いのかもしれない。

「僕は相手を軽視していたつもりはありません。女性をもののように扱ったこともない。それでも“いい関係”を作れなかった」

苦笑しつつも、おかしいじゃないかと言わんばかりにそうつぶやくのは、友田明良さん(44歳・仮名=以下同)だ。176センチ、すらりとした容姿、しょう油顔を少し甘くした感じの顔立ち、そしてどこか愛嬌のあるまなざし。外見的にはモテないわけがない。しかも子どものころから勉強もスポーツもできたという。

 サラリーマンの父と、ある芸道方面で講師を務めていた母、3歳違いの妹との4人暮らしだった。母は彼には非常に厳しかった。彼は母の期待に応えるべく、常に全力でがんばっていたという。

「小学校4年生のときに、学校でのすべてのテストで100点をとったことがあるんです。それでも母は『学校のテストは簡単だからね』と言い放った。それまでも褒めてもらったことはなかったけど、そこまでがんばってもダメなのかと愕然としたのを覚えています」

 父は家庭内では存在感がなかった。いつも母に虐げられているように明良さんには見えた。母は当時、仕事を昼間に限定していた。学校から帰ると待ち構えている母に車に乗せられて、地元でも勉強のできる子ばかりが集まる塾へと送られた。

「母は教育ママが行きすぎてスパルタでした。少しでも勉強を怠けると太ももを思い切りつねられた。パッと見てわかるところに痣はつけない。お尻をバットで叩かれたこともあります。父は知っているのに見て見ぬふりをしていました。僕は母が怖くて、でも母に愛されたくて勉強していた。結果、そこそこ有名な私立中学に受かったんですが、実は僕、そんなに頭がいいわけではないんです。そんなの自分でわかっていた。本当にできるヤツは1回聞いたら、本質まで理解する。でも僕は何十回聞いても本質は見抜けない……あ、女性関係もそういうことだったのかもしれませんね(笑)」

死を考えた中学時代

 中学2年で脱落した。学校へ行く時間に家を出ても学校にはたどり着けず、ゲームセンターに行ったり途中の土手で1日ぼんやり寝ていたり。繁華街で補導されたときは自分でもびっくりしたという。

「母が警察に来たんですが、顔を見るなりグーでパンチされて鼻血が噴き出しました。さすがに警察が止めに入ってくれて。『いつもああなのか』と聞かれたので頷くと、母は別室に連れて行かれました。その後、家に帰ってからは『あんたはろくでなし』『学校に行かないなら出ていけ』と暴言を吐かれて。生きる気力をなくして、死のうと思ったことがあるんです。お風呂場でカッターを使って手首を切り、血が固まらないよう湯船に漬けていたら、たまたま早く帰ってきた父に見つけられて救急車で搬送、助かってしまった」

入院した病院で医師に気持ちを話したら、精神科につなげてくれた。そこからの記憶が鮮明ではないのだが、父が尽力してくれたとは思えないから、おそらく親戚か誰かが助けてくれたのだろう、彼は地方の全寮制の学校に入ることができたという。

「まったく実家には帰りませんでした。夏休みや正月は基本的に実家に戻らなければいけないんだけど、帰るところがないと言って寮にいさせてもらった。他にもそういう子が少数だけどいて、みんなで自炊したり寮長さんの家に呼んでもらったり。あれは楽しかった。寮長さんの家で初めて、家庭のあたたかさみたいなものを知りました」

母からは何度も手紙が来ていた。それを彼は一度も読まずにすべて捨てた。もしかしたら母の詫び状だったのかもしれないが、固くなっていた彼の心には届かなかった。

家族は崩壊

 高校3年生になる直前、父から手紙がきた。「大学へ進学するなら学費は出す」ということだけが綴られていた。

「情のない手紙だなと思いました。大学に合格し、父に連絡すると初年度の学費が振り込まれた。おめでとうとも言われなかったけど、自分では親を見限ったと突っ張っていました。でもその直後、父が失踪したんです。4年分の僕の学費を親戚に託して、貯金等もすべて持ち出していなくなった。ちょっと喝采を送りたくなりました。もう母の子分のように生きなくていい。心の中で、おとうさん、自由になっていいよと伝えました。父は携帯もすべて解約したようなので、まったく連絡がとれなかった。さらにその数年後、妹も急に姿をくらました。こちらは連絡がとれているので安心ですが」

妹は高校を出てすぐ家を出て水商売の世界に入ったようだ。1年もたたないうちに客と懇意になり、結婚して仕事を辞めた。離婚、シングルマザーとして再婚、また離婚と忙しい人生を送っているようだが、「妹はたくましいから大丈夫」と彼は言う。

 明良さん自身は、大学卒業後、名の知れた企業に就職した。大学に入ってから、ようやく気の置けない友人もでき、「人としてスタート地点に立てた」と感じたらしい。

「世の中の常識・非常識や、世間一般の人がどう感じるかなど、あまりに知らないことが多すぎました。感情がうまく動かなかったんです。学生時代に、講義やサークル活動を経験する中で、さまざまなことについて多数派の感覚や少数派の意見などを学ぶことができたのはよかったと思っています」

「一般的な恋愛」との乖離

 一般人としてスタートに立ち、「恋愛もしてみたくなった」と彼は言う。サークルの後輩を好きになり、告白したらつきあってもらえた。つきあいつつ、バイト先の同僚に声をかけたらこちらもデートしてもらえた。

「あれ、なんか女の子と一緒にいるのが楽しい、あの子もこの子もいいなと思っているうちにたくさんの子とデートするようになっていました」

アホか、と言いたいでしょと彼は笑った。まさにそう思っていたので頷くと、「あの頃はモテるのが楽しくて、それぞれの子が本当に好きだったんですよ。みんな違ってみんないい、というか(笑)」と苦笑する。

 本気で好きになってくれている女性はいたはずだ。その人の気持ちは考えなかったのだろうか。

「考えなかったんですよね、きっと。デートして関係を持ったとしても、それがそんな大きなできごとではなかったんです、僕にとっては」

かといって“遊び”と括られるのも少し違うと彼は言う。相手のことは好きだし、好きでもない女性とデートはしない。だが、それは今だけのこと。先々を見通して、長くつきあおうと思ったことはないのだ。そこに「一般的な恋愛」でわれわれがイメージするものと、彼のそれとの間に乖離がある。

「学生時代、入学式で知り合ってその後、ずっといつも一緒にいるカップルがいたんです。飽きないのかなあと思っていました。僕には無理。だけど確かに、僕とつきあっていると思っている女性もいるわけで……。バイト先で浮気していると責められ、なぜか大ごとになってクビになりました。大学でも僕に二股、三股をかけられたという騒ぎがあって、結局、離れていった友人も多々いました。『もうちょっとうまくやれよ』と親しい友人には言われましたが、そういうことは社会人になってからようやく覚えた感じですね」

女性を下に見る気持ちはないけれど、母親との関係でいえばそこはかとない憎悪と憧憬が入り交じっており、それが女性との関係に反映されているのはわかっていると彼は真顔になった。

4歳年下の妻は大人しくて逆らわないと思っていたが…浮気三昧の44歳夫が彼女に恐怖を感じた瞬間とは

友田明良さん(44歳・仮名=以下同)は、大学時代から複数の女性と交際することを続けてきた。浮気が問題視されバイトをクビになったこともあると語るが、背景にあるのはスパルタな母との関係性だ。暴力をふるう母に育てられた明良さんは、中学時代には絶望し、自殺を試みたこともあった。全寮制の学校へ進学し親元を離れたものの、母の言いなりだった父はのちに失踪、妹はシングルマザーとなり一家は崩壊した。明良さんの中で、女性への「憎悪と憧憬」が入り混じっている。

ヘラヘラしているようでまじめなようで。捉えどころのないイケメンが明良さんだ。喫茶店で話しているとき、こちらがイラつきそうになると、とっさに「何か飲みますか」などと気を配ってくれる。どうにもつかみどころがない。

ともあれサラリーマンになり、仕事を覚える日々が続いた。先輩に飲みにつれていってもらったり上司に怒られたりしつつも彼は貴重な戦力に育っていったようだ。ただ、恋愛だけはうまくいかなかった。学生時代のことを思い出すと、アルバイトをクビになったくらいだから、女性問題で会社をクビにならないとも限らない。そんな轍は踏むまいと慎重にしていたら、女性との縁がなくなった。もちろん、アプローチしてくれる女性はいた。だがことごとく断っていたら、「女性が嫌いなのでは」と噂されるようになった。

「それもいいかと思っていたんですが、30歳を過ぎると、やはり結婚する同僚も増えていく。ここでなんだか僕の悪い癖が出たみたいなんです」

 結婚するなら「夫の言動に文句を言わない女性がいい」と思ったというのだ。父を思い出し、母を反面教師としてしまったのかもしれない。そんなとき他部署との飲み会に参加する機会があり、「理想の女性」を見つけた。

「おとなしくてニコニコしていて……。人が見てないところで気配りしていた。居酒屋でトイレに立ったとき、柱のひとつ向こうにある女性トイレで、彼女がトイレ用のスリッパを揃えているのを見てしまったんです。ああ、いい子だなあと心底思いました。こういうこと言うと女性に嫌がられるのはわかっているけど、この人なら妻として満点なのではないかと思いました。共同作業として家庭を作るというより、自分に逆らわない妻という固定観念が強かった」

満たされて幸福なはずが、居心地の悪さをおぼえる

 32歳のときにその彼女、ゆりさんと結婚した。4歳年下の彼女は、イケメンなのに浮いた噂もなく、仕事もできる明良さんを心底、尊敬していたようだ。実は交際期間はほとんどなかったというから驚かされる。

「飲み会で知り合って、一度、一緒に食事に行って、その帰りにプロポーズしました。ゆりは面食らっていたようで、『私のことをもっと知らなくていいんですか』と言いました。いや、もうきみのことはわかっているからとゴリ押ししたんです」

 すぐにゆりさんの両親に挨拶に行き、「完璧な男」として振る舞った。親とは縁が切れていると話しながら、彼はうっかり涙ぐんだ。それもまた好感度を高めたようだ。

「あのときだけは急に悲しくなりましたね。両親がいない、おそらく生きてはいるけど接点がないと人に言わなければいけない寂しさを初めて感じました。だからといって母に連絡をとろうとは思わなかったけど」

 新居はゆりさんの親が頭金を助けてくれて、新築マンションを購入した。30年以上続くローンにめまいがしたが、「そういう煩雑さや理不尽さに耐えることが家庭をもつこと」と学生時代の親友に諭された。

「ゆりは退職し、専業主婦になりました。家事が得意で料理上手。文句のつけどころがないので、仲良く暮らしていたんです。2年後に息子が生まれて、ますます“家庭らしく”なりました。でもねえ、それが油断だったのか」

妻は非の打ち所がない、子どもはかわいい。満たされて幸福なはずが、居心地の悪さばかりを感じるようになっていった。「満たされる」感覚がない人生だったのか、あるいは「満たされる」と「幸福」が一致しなかったのか。

義務のように女性と逢瀬

 しかも結婚してから、明良さんはますますモテるようになっていた。女性に目もくれないような顔をしていたが、結婚後、少し丸くなりコミュニケーション能力も高まっていた明良さんが放っておかれるはずもない。

「かつての悪い癖が出ました。ブレーキになるものが何もなかった。さすがに社内はまずいと思ったけど、取引先の女性や学生時代の友人など、なぜか次々デートを重ねて、次々関係をもって……。それがしたいことというわけではなかったけど、なんというのかなりゆきというか」

 突然、ごにょごにょと歯切れが悪くなる。特に性欲が強いわけでもないが、女性を落とすたびに「妙な達成感」があったらしい。支配欲とは言いたくないが、自分が口説いて女性がその気になっていくのがおもしろくてたまらなかったと彼は小声でつぶやいた。とはいえ、近づいてきてくれる女性なのだから、そもそも口説ける確率は高い。危険を冒して口説いているわけではないのだ。

「それでもいざとなれば断られる可能性はあるわけですよ。だからうまくいったときはうれしいし、自分に魅力を覚えてくれる女性がいることもうれしい。男としてひとつ階段を上ったような気になった。これ、正直な気持ちです」

 女性だって求められればうれしい。人は身近な人の愛には慣れてしまうから、未知の人から急に求められると、その情熱を過剰に受け止めがちなのだろうか。少しずつ様子を見るかのように女性たちとつきあい始め、だんだんと悪い癖が助長されていった。

「4年ほど前がいちばんひどかった。4人の女性とつきあっていましたから。とはいえ、軽くごはんを食べてホテル直行、そのままじゃあねと別れるような関係ばかり。そのうち、仕事というか義務みたいになって、会うなりホテルということも多々ありました。何やってるんだろう、早く家に帰って息子と遊びたいと思いながらも、そういう不毛な関係がやめられない。自分はおかしくなってしまったんじゃないかと思ったこともありました」

ぞくっと悪寒

 仕事が忙しくなればなるほど、女性を欲した。だがさすがに疲れ果てたのだろう、そんな生活を2年ほど続けて、明良さんは過労で倒れた。

「3日くらい意識がもうろうとしたまま眠り続けました。ふっと目が覚めると夜だったんですが、枕元に取引先の麻美が座っていた。『奥さんから連絡をいただいて』と言われたので、そのまままた意識を失いそうでした(笑)」

彼の不埒な遊びを、妻は知っていたのだ。そして倒れたときにいちばん長くつきあっている麻美さんに連絡をし、「たまに見舞ってやってください」と言ったそうだ。明良さんはぞくっと悪寒がしたという。

「麻美は『夫は女性に敬意を抱けない人だから、あなたも早く別れたほうがいいですよ』と言われたそうです。奥さんを大事にしたほうがいいよ、怖い人だよって……。確かに怖い。ゆりがそんなことをするとは思えなかった。一言も文句を言わず、僕が遅く帰ろうが、にこにこしながら『お疲れさま。夜食でも食べる?』と優しく接してくれる妻が、実は僕の行動をすべてお見通しで黙っていたとは。怖いんだけど、怖い以上に、もしかしたらとんでもなく強情で頑なな女なのではないかと、少し怒りがわいてきました」

怒るのは筋が通らない。悪いのは僕なのだから。彼はそう言った。それでも、できすぎた妻が、実は“出過ぎた”妻でもあったのが、明良さんにはカチンときたようだ。どうやって調べていたのか、探偵でも雇っていたのか。

「そしてこの先、どういう態度で妻に接すればいいのか。なんかもう、うんざりしてきてこのまま退院したくないとさえ思ってしまったんですが、仕事が忙しい時期だったので4日間で退院しました。退院時、妻はやってきて『元気になってよかった』と言いながらテキパキと手続きをすませて……。外へ出たときに『家に帰る?』と聞かれたので、思わず『会社に行く』と。妻の目がキラッと光って、『そのあとは?』って。妻が帰ってきてほしいと思っているのか、どこかへ行ってしまえと思っているのかが読めなかった。あの数秒間が1時間にも感じましたね」

ゆりさんは少しだけ微笑んで「早く帰ってきてよ」と荷物を持って、ひとりでタクシーに乗り込んだ。去っていく車をぼうっと眺めながら、彼は「会社と自宅は病院からは同じ方角。途中で会社のあたりで落としてくれればいいのに」と感じていた。

優しい妻

 妻はおそらく、同じ車に乗り合わせる時間が耐えられなかったのではないだろうか。ひとりでタクシーに乗ってから、彼もそう思ったという。だが、会社に赴いてとりあえず元気な姿を見せ、定時まで翌日からの仕事の段取りを考えているうちに妻のことは忘れていた。

「みんな僕が仕事で疲弊して倒れたと思っていました。上司は、今日は定時で帰れと何度も言ってくれて。その言葉に甘えて定時で社を出たけど、本当に家に帰っていいんだろうかと悩みましたね」

 それでも帰る場所は他にないのだ。帰ると、息子が飛びついてきた。そのとき初めて、彼は心から息子に「心配かけてごめんね」と言った。その言葉はそのまま妻に投げかけているつもりだった。

「妻とは話をしたいと思いました。でも妻はいっさい言及してこない。まだ本調子じゃないんだから早く寝たほうがいいわよと優しいんです。それを遮って自分から何か言う気になれなかった。勇気がないんですよね」

その後、つきあっていた女性たちとはいっさい、連絡がとれなくなった。LINEを送ってもスルーされる。電話も出てもらえない。おそらくゆりさんが手を回したのだろうと明良さんは言う。

「最初は家の中が安泰なら、それでいいとも思ったんですが、なんだか見えない圧がかかっているような気がしてならない。妻に何も言えない、妻の言いなりになる。結局、父親と同じ状態なのではないか。エキセントリックだった母に比べれば妻は仏様のように優しいけど、その裏では母より怖い顔を秘めているのではないか。そんな気がしてならないんです」

油断をすると妻に精神的にもリアルにも刺されるかもしれない。彼はそんな恐怖を感じながら、今日も仕事をして帰宅する日々を送っている。