50歳「不倫男性」の告白 妻を紹介したら、実母はいきなり「あの人は私と同じ匂いがする」と漏らした…その直感は怖いくらい当たっていた


「女難」という言葉がある。「男難」とは言わない。「男運が悪い」とはいうが「女運が悪い」はあまり聞かない。男の女性関係は「難」で表すが、女のそれは「運」なのがなんとも不可思議ではある。

「そういう意味では、僕には女難の相があるんでしょうか。女難というところにちょっと男の自慢が入っているような気もしますが、僕の場合は妻にも母にも、そして恋人にも裏切られただけ。裏切られたというより、僕自身が求めていたものとは違っていた」

だから50歳を迎えてとうとうひとりになってしまったと、久田和喜さん(仮名、以下同)は語る。家庭への目配りも足りなかったと反省はしているが、自分だけがいけなかったのだろうかと妻や母への不満もあり、まだ気持ちが整理しきれていないようだ。

和喜さんが育った母ひとり子ひとりの家庭

 和喜さんは現在、離婚届は出していないものの、妻子と別れてひとりで暮らしている。昨年夏に家を出た。


「本当だったら恋人と一緒に暮らすはずだった。でもその彼女とも結局別れました。最初は何もかも失ったけど、それは自由でもあるなんてうそぶいて気楽に暮らしていたんですが、年末年始は寂しかった。ひとりでこの時期を過ごすのは生まれて初めて。身も心もキリキリと堪えましたね」

彼は母ひとり子ひとりの家庭に育った。母は未婚のまま彼を産んだ。物心ついたとき、自分にはなぜ父親がいないのか気になったが、母に尋ねられる雰囲気はなかったという。


「母は気丈な人で、どうして僕にはおとうさんがいないのと尋ねたらぶっ飛ばされそうな気がして(笑)。僕は母の期待には応えられず、弱気な男に育ちました」

“8年不倫”の麻美子さんと結婚

 母が資格をもった仕事をしていたので、経済的につらい思いをしたことはない。大学にも行かせてもらえた。それについては感謝しているというが、強い母のせいで女性に頼るようになったのかもしれないとも分析する。大学を卒業して就職した会社で知り合ったのが同期の麻美子さん。友人関係が続いていたが、34歳のときに結婚した。

「交際0日の結婚でした。麻美子とは部署が違いましたが、彼女、8年ほど上司と不倫の関係を続けていたんだそうです。全然知らなかった。あるとき同期会で彼女がひどい酔い方をしたんです。帰る方角が同じだったから僕がタクシーで送り届けようとしたんですが、途中で気持ちが悪いと言い出して車を降りた。外の風に当たりながら歩いていたら、彼女がいきなりしゃがみ込んで号泣しはじめて。どうしたらいいかわからず、近くのホテルに入りました」

そこで初めて不倫をしていること、上司の妻にバレかけて別れを告げられたことを聞かされた。麻美子さんが身をよじって泣くのを見て、彼は「オレと結婚しよう」と口走った。もちろん麻美子さんのことが好きだったのだが、いきなり結婚という言葉が自分の口から出てきたのは彼にも驚きだったらしい。

「瓢箪から駒とでもいうんでしょうか。彼女はそのまま僕の自宅にやってきて居着いてしまいました。『彼のことをただ待っていたあの部屋には帰りたくない』と。1ヶ月もたたないうちに婚姻届を出して結婚していました。何かに突き動かされるような感じでした」

届を出す直前、母に彼女を紹介した。母はあとから電話で「あの人は私と同じ匂いがする」と言った。彼女が不倫をしていたことを見抜いていたわけではないはずだが、その言葉を聞いて「母の女としての感性は怖い」と思ったと彼は言う。

「結婚って案外、めんどうなんだ」

 周囲にも驚かれた結婚だったが、生活は意外とすんなり始まった。彼は学生時代からひとり暮らしをしていたから家事も苦ではなかったし、麻美子さんも仕事と家事を普通にこなしていた。

「生活はすんなり始まったけど、お互いの気持ちのすりあわせはけっこう大変でした。僕は自然に子どもができればいいなと思っていました。でも彼女はほしくないと。半年ほど生活しているうちに、彼女は『うちの実家に越さない?』と言いだした。彼女はふたり姉妹の長女だから家のことも親のことも気になるって。気持ちはわかるけど、じゃあ、うちのおふくろはどうなるんだ、ひとり暮らしだぞという話になって……。結婚するのはふたりの意志だけど、結婚生活を続けていくにはそれぞれの家庭環境などにも配慮するのが必要だとつくづく感じました。結婚って案外、めんどうなんだと思いましたね」

親のことは、どちらとも同居するのはやめようという結論になった。大人なのだから、それぞれの実家のことは極力、それぞれで解決していったほうがいい。どうにもならないときは助け合おうと話はまとまった。

母の助けを借りて子育て

 39歳のときに子どもができた。子どもはいらないと言っていたのに、麻美子さんは大喜びだった。「結婚しているのだから、子どものひとりくらいいないとかっこがつかない。よかった」という表現が気にはなったが、いちいち言葉尻を指摘すると怒られるので黙っていた。そのころからすでに気持ちのすれ違いはあったのだと和喜さんは振り返る。

「ただ、生んでしまうと彼女はあまり子どもに関心をもたなかった。不思議でしたね。あんな小さな赤ちゃん、無条件にかわいいし守りたくなるものだと思うけど。だんだんわかっていったんだけど、彼女は親にものすごくかわいがられて育っているんです。でも自分がかわいがられる存在でいつづけたかったんだと思う。自分が誰かを無条件に愛するのは苦手だったのかもしれません」

彼は息子のめんどうをせっせと見たが、昼間はどうにもならない。妻に任せておくのは怖かった。そんな話を母親にちょっと愚痴ったら「私が行ってあげる」ということになった。


 当時、母親は65歳。定年後に嘱託として勤めていた会社も辞めたばかりだった。母は実家をそのままにして和喜さんの自宅の近くに小さなアパートを借りて移ってきた。

「うちに通って子どものめんどうを見てくれました。子どもの検診なども母が連れて行った。麻美子は動けるようになるとエステに行ったり運動を始めたりしていたようです。当時、僕が帰るともう母はアパートに戻っていたから、麻美子からよく『お義母さんが来てくれるのはいいけど、あまり子どものめんどうを見てくれない』と聞かされていました。それでも呼んでしまったのは僕だから、まあ、うまくやってくれよというしかなかった。あとから、実は母がほとんど家事も育児もやっていて、麻美子は何もしていなかったとわかったんです。麻美子は直接的な悪口は言わないんです。でも言外に母が使えない、何もしないと言いたかったのでしょう」

和喜さんは母に少しだが現金を渡していた。ベビーシッターを雇ったら莫大な費用がかかるところを母が助けてくれているのだから、それは当たり前だと思っていた。


「でも当時、母は『私にだってそこそこの貯金はあるから、こんなことしてもらわなくていい』と言っていたんです。それでもと僕は受け取らせていた。母は『じゃあ、孫が大きくなるまで貯めておくからね』と受け取ってくれた」

10ヶ月後、麻美子さんは保育園を見つけて仕事に復帰した。母は変わらず保育園のお迎えに行ったり夜まで息子を預かったりと力になってくれていた。

「息子が小学校に入ったばかりのころ、母がガンになりました。手術したんですが、傷口の治りが悪くて入院が長引いて。その間は妻も仕事と子育て、がんばって時間をやりくりしていました。母の退院が決まったとき、僕はホッとしたけど妻は浮かない顔をしていたんです。僕が思っているより母と妻の確執は大きいのかもしれないと感じました」

それでも問題が表に浮上してこないから、対処のしようがなかったと和喜さんは言う。妻も母も平穏な生活を心がけているように見えたのだ。母の病気を機に、麻美子さんも家庭に目を向けるはずと彼は思っていた。

「上司の愛人だった妻」「シングルマザーの実母」二人の秘密を知ってがく然…50歳「不倫男性」の心境「僕には女難の相があるのでしょうか」

久田和喜さん(50歳・仮名=以下同)は、現在、妻子と別れひとりで暮らしている。「僕には女難の相がある」と語る彼は、未婚の母に育てられた。交際0日で結婚した妻は同僚の麻美子さんで、上司と8年にわたって不倫の関係にあったことを承知の上で結婚した。母に言わせると彼女は「私と同じ匂いがする」。39歳の時に生まれた息子の世話を買ってくれた母だったが、麻美子さんとの折り合いは良くなく、病に倒れてしまった。

母が元気になったころ、かつて麻美子さんが関係をもっていた上司が急死した。その上司はすでに麻美子さんとも別の部署だったし、和喜さんは結婚後、特にその上司のことを気にしたこともなかった。


「僕としては、妻の過去にとらわれたくなかったから、あの不倫を持ち出したこともいっさいなかった。かわいそうな彼女を引き受けたような感覚もなかった。逆に、彼は仕事もできたし人間的にも情の厚い人として社内で有名だったので、いつも妻が彼と自分を比べているのではないかとうじうじ考えることもありました。僕が妻に強気に出られなかったのは、揉めたくない気持ちと同時に、いつか去られるかもしれないという恐怖感があったからかもしれませんね」

その上司のお通夜に妻と一緒に行こうと思ったのだが、妻は「仕事の都合で何時に行けるかわからないし、同じ部署の人と行くから」と言った。そのときはそんなものかと受け止めたが、通夜の現場で彼は、上司の妻や子どもたちに詰め寄られている麻美子さんを目撃してしまった。周りが止めたのか、それは一瞬のできごとで見間違いかと思ったほどだ。


「だけどそれを見ていた麻美子と同じ部署の人が、僕の顔を見てあっという顔をしたんですよ。知らぬは僕だけだったみたいです……」

麻美子さんはどうやら結婚後も上司と関係を持っていたらしい。さすがに和喜さんもその点は妻を問い詰めた。だが妻は結婚後は関係をもっていない、元上司だからたまに食事くらいは一緒にしたけどとしれっと言い放った。彼はそれ以上、何も言えなくなった。


「おそらく母は知っていたんだと思う。妻も母がそのことを知っているとわかっていた。だからふたりはどこかギスギスしていた。そのときの僕はそう思っていたんです」

「女」としての自分しか見せなかった母

 ところが母にも秘密があった。1年ほどのち、元気になったと思っていた母に転移が見つかり、意外なほどあっけなく逝ってしまったのだが、彼の父親が通夜に訪れたのだ。

「僕の戸籍に父親の名前はなかったし、母は未婚で僕を産んだとは言ったけど父に関してはまったく言及しなかった。聞いてはいけないと僕も思い込んでいました。僕が結婚するとき『もし父親という人がいるのなら知りたい。最初で最後の質問だから』と言ったんだけど、母は『もうこの世にはいない』と言い切った。でも生きていたんですよ。しかも彼は僕の存在を知らなかった」

もう通夜の参列者もいなくなった時間帯に、その男性はひっそりとやってきた。かなり高齢に見えたが、足元はしっかりしていた。母の知り合いなのだろうと思ったとき、ピンとくるものがあった。自分に似ていると思ったのだ。


「すでに受付は終わっていたので、彼は僕に香典を差し出しました。その名前が珍しかったので確信したんです。実は子どものころ、一度だけ母に来た手紙の裏を見て、変わった名前だなと思ったのを思い出した。それ以降、手紙は見たことがなかったから、母は手紙を職場で受け取っていたのかもしれません」

なんと彼の母は、彼の父とずっとつながっていたのだという。息子がいることを相手に知らせずに、最初から最後まで「女」としての自分しか見せずに。別れてから数年間、音沙汰がなかったが、その後、偶然の出会いを経て関係が復活した。それ以降は、つかず離れずという関係が続いたらしい。彼の父親はそう話した。父の幼なじみだけがふたりの関係を知っていて、連絡役を買って出てくれていたようだ。

「葬儀に来た父は、『あなたはもしかしたら……』と言いました。僕が息子だと直感でわかったんでしょうね。僕自身も感じるものはありました。だけど『僕の父は別にいます。交流もありますから』と嘘をつきました。母が隠し通したことは僕も隠さなくてはいけないような気がした。父は『そうですか』と言ったけど、何か言いたそうでした。でもそんな父を僕は二度と見なかった。もしかしたら白状したほうがよかったのかもしれませんが」


 母によって、実の父に存在を隠された自分。母はなぜそうしたのか、彼にはわからなかった。その事実を、妻に伝えることもできなかった。

心の穴を埋めてくれる女性が…

 母が言った通り、妻とは似たもの同士だったのではないだろうか。だからこそお互いに避け合っていたのかもしれない。ただ、和喜さんが妻にも母にも裏切られたような気持ちになったのは当然だろう。そしてそういうとき心の穴を埋めてくれる女性が出てくるものだ。知らず知らずのうちに求めているのだから。

「妻の不倫相手だった人が亡くなったあと、妻の同僚で僕の同期でもある紘子から『ちょっと一杯やっていかない?』と声をかけられたことがあったんです。紘子は別に密告したくて僕に声をかけたわけではなかったみたいだけど、僕にすれば当然、妻と仲のいい紘子から聞き出したいこともあった。ただ、彼女は多くは語りませんでした。『周りはいろいろ噂するけど、本人が結婚後は関係がないと言っているなら信じてあげなさいよ』とも言われました。もちろん、そんな言葉は信じられなかったけど、紘子が案外、いいやつなんだなとは思いましたね」

そういうとき女性はつい同性に厳しくなるものだ。だが紘子さんは中立的な立場をとりながら、いろいろな方法で和喜さん夫婦が壊れないように気を配ってくれていた。それをありがたいと思うと同時に、紘子さんへの恋慕につながるのだから、男と女は本当にわからない。

「その後、紘子とはときどき食事をしたり軽く一杯やったりするようになりました。紘子は早くに結婚して当時、子どもがもう成人していたので夜も時間が自由になる。母が亡くなったときの実の父の顛末で、僕はすっかり疲弊してしまった。あるとき紘子に会って、すべて話したんです。紘子は、おかあさんも気持ちもわかるし、和喜の気持ちもわかる。せつないねって涙ぐんで……」

彼はそのまま紘子さんの腕をつかんで立ち上がった。会計をすませて居酒屋を出ると、物も言わずに近くのホテルに彼女を連れ込んだ。


「頼む。少しの時間でいいから、オレを抱きしめていてほしいと彼女に言いました。セックスなどしなくてよかった。ただ温かい人肌に抱かれたかったんです」


 ふたりは下着だけになってベッドに潜り込んだ。そして紘子さんはじっと彼を抱きしめていてくれた。和喜さんは彼女の胸に顔を埋めて黙って泣いた。

「肌を通していろいろなものが流れ込んでくる気がして。彼女は僕を黙って抱きしめてくれたけど、最後には『大丈夫だよ、和喜なら乗り越えられる』と励ましてくれた。その日はそのまま別れました」

浮気に気づいた妻に問い詰められ…

 あの日、もしそういうことがなかったら自分は崩壊していたかもしれないと和喜さんは言う。それほど心がさまよっていたのだ。


「そのまま何もなかったことにもできたけど、やはり彼女とは会わずにいられなかった。会えば関係をもつことはわかっていた。彼女は『しばらくふたりで会うのはやめよう』と言ったんです。でも、いや、だからこそ僕はなんだか意地になって『会いたい。どうしても』とすがった。そして関係を持ちました。それがよかったのかどうかわかりませんが」

紘子さんは長年、夫とレスだったと打ち明けた。彼自身もそうだった。今度はその点で結びついた。だが、「一度きり」と彼女は言い、その後はまた友人関係に戻った。

「彼女のそのあたりの割り切りが見事でしたね。僕は再度チャンスがやってくるはずだと思いながら、彼女との友人関係を続けました。50歳手前の同期同士が居酒屋で会っていたって、そう簡単には疑われないと思っていたんです」


 ところが麻美子さんは勘づいたようだ。なんだか様子がおかしいとある日、問い詰められた。迫ってくる妻が怖かったと彼は言う。

「オレはきみと違って浮気なんてしないよと言ってしまったんです。妻は激怒しました。『本当は結婚後も関係があったんだろう。みんなが知ってるよ』と当時言わなかったことまで言ってしまった。妻は急に黙り込み、それから数日間、顔も合わせずに過ごしました。結局、僕が『心にもないことを言った。ごめん。僕自身は浮気してないから』と妻に許しを乞う形でいったんは落ち着きました」

ただ、内心穏やかではなかった。紘子さんに会い、「一緒に暮らそう」と口説いた。もう家庭などいらない。心安まる人と一緒に過ごしたい、と。「逃げだよ」と紘子さんに言われて「逃げて何がいけない?」と開き直った。「逃げた先にきみがいるなら逃げてもいいと思う」と説得した。


「最終的には紘子も『わかった。私も人生変えたい』と。コロナ禍で在宅ワークになったり出社時間が不規則になったりしたこともあって、逆に会う時間がとれたんですよ。あのころは1日おきくらいに会っていた。僕も不安定だったけど、紘子も夫との関係が行き詰まっていたみたい。本気で駆け落ちするつもりでした」

和喜さんの“今年の目標”

 だが結局、紘子さんは家庭を捨てることはできなかった。和喜さんのほうは、妻に携帯電話を盗み見られて、相手が紘子さんであることもバレてしまった。すぐに出て行って、顔も見たくないと言われ、彼は家を出た。それが昨年夏のことだ。

「学生時代に住んだような古いアパートを借りています。妻は当初は激昂して、会社にバラすと言っていましたが、僕が辞めたら子どもの将来に困ると思ったのか、告発はやめたようです。給料の半分近くは妻に渡していますよ、今でも。息子はまだ11歳ですから今後、学費もかかります。会社には別居を内緒にしているので、ときどき事務的な連絡だけはとりあっています」

週末はなるべく家に行って息子と過ごすようにしている。妻は「おとうさんは単身赴任で地方にいると話したから、話を合わせて」と言った。


「息子には、話があるならいつでも携帯に連絡してくるようにと言ってあります。でも子どもってすごいですよね。単身赴任は一応、信じているようですが、『おとうさんとおかあさん、離れてよかったんじゃないの』と先日、言われました。一緒にいても楽しそうじゃなかった、おかあさんは最近、明るいよって。おとうさんも前よりいい感じ、と(笑)。妻は息子を私立中学に入れようとしていたんですが、最近はその話もしなくなったそうです。もともと地元の公立に友だちと一緒に行きたがっていた息子はホッとしている」

息子を見ていると自分の幼かったころを思い出すと和喜さんは言う。母に気を遣い、聞きたいことも言いたいことも言葉にしなかった自分を不憫に感じるそうだ。


「だからこそ息子には遠慮なく何でもいえる環境を作ってやりたいと思っていたんです。でもやっぱり、単身赴任だと嘘をついている。これが息子の傷にならなければいいなとは思っているんですが」

妻から離婚という言葉は出ていない。ただ、いつまでこの状態が続くのかはわからない。彼から離婚を言い出すつもりはない。


「年末年始はおとうさんは帰ってこられないということになってるから、と妻に言われて……。妻は息子を連れて実家に行っていたようです。ひとりでテレビを見ながら、ほぼずっと飲んだくれていました。僕は元日生まれなので、ひとりきりで50歳になりました。祝ってもらってももらえなくても、年は勝手にとるんですよね。年明けに会社に行くために久しぶりに鏡を見たら、あまりに老けたおっさんがいたのでびっくりしましたけどね(笑)」

初出社の日、会社の前でいきなり紘子さんに出くわした。目を見交わして会釈をしたが気まずかった。何をやってるんだろうと自己嫌悪に陥ったと彼は言う。


「それでも生きていくしかないとちょっと開き直りました。今日のことだけ考えて起きて、必死に仕事をして、くたびれ果てて眠る。それでいいんじゃないか、と」


 うつむいていた和喜さんはふと顔を上げて言った。それでも今年の目標はあるんですよ、と。

「母の納骨をしてないんですよ。お墓がないから。僕の住んでいる古いアパートに骨壺が置いてあるままだから、今年はなんとかどこかに納めてあげたい。そう思っています」