山口芳寛(清水心ちゃん事件)の現在!生い立ちや家族(両親/弟)・経歴(高校/大学)と結婚歴・精神疾患と動機・防犯カメラ映像と遺族への手紙も総まとめ
山口芳寛は熊本3歳女児殺害事件の犯人で、防犯カメラを機に逮捕されました。
今回は山口芳寛の生い立ちや実家の家族(親や兄弟)、経歴(高校や大学)と結婚歴、精神疾患、動機や判決、清水心ちゃんの遺族への手紙と現在を紹介します。
山口芳寛は熊本3歳女児殺害事件の犯人
山口芳寛は、2011年3月3日に起こった熊本3歳女児殺害事件の犯人です。
山口熊本県熊本市にあるエース清水バイパス店(現在のゆめマート清水店)で、1人でトイレにいた3歳の清水心ちゃんを障害者トイレに連れ込んで、わいせつ行為をした後に殺害しました。
この熊本3歳女児殺害事件は、スーパーという公共の場で子どもが1人でトイレに行くという行動の危険性を世間に広め、子どもを持つ親を震撼させました。
しかし、この事件の約1週間後に東日本大震災が起こり、この事件の悲惨さ・恐ろしさがきちんと報じられる機会は少なくなり、この事件があったことを知らない人も少なくありません。
熊本3歳女児殺害事件の概要
清水心ちゃんが1人でトイレに行く
2011年3月3日、熊本県熊本市在住の清水心ちゃんは、通っていた保育園でひな祭りの行事に参加した後、家族4人(父親・母親・5歳の兄・心ちゃん)と市内のスーパーを訪れていました。
スーパーの中では父親と心ちゃん、母親と兄という2組に分かれて行動していたようです。
19時30分頃、レジにいた父親に心ちゃんは「トイレに行きたい」と伝えます。しかし、父親はレジで会計をしている途中で手が離せなかったため、心ちゃんがトイレに行くのを止めました。
しかし心ちゃんは「どうしても今行きたい」と言い、1人で数十メートル離れたトイレに向かいます。父親は心ちゃんをレジで見送り、角を曲がるところをまでは確認しました。
山口芳寛に障害者トイレに連れ込まれて殺害される
心ちゃんが1人でトイレに行った直後、山口芳寛は心ちゃんを障害者用トイレに連れ込み、わいせつ行為をしました。そして、心ちゃんの口をふさぎ、もう片方の手で首を絞めて殺害します。
心ちゃんが1人でトイレに行った15分後の19時45分頃、山口芳寛は持っていた大きいリュックサックに心ちゃんの遺体を詰めてトイレから出た後、自転車に乗ってその場から逃走しました。
20時10分頃、山口芳寛は清水心ちゃんの遺体を、現場のスーパーから600m離れた坪井川の排水溝に遺棄した後、自宅に戻っています。
山口芳寛は清水心ちゃんの家族とニアミスしていた
清水心ちゃんの父親はレジを済ませた後、すぐにトイレに行き、心ちゃんの名前を呼びますが返事はありませんでした。
トイレの前で少し待ってみても心ちゃんは出てこず、使用中だった障害者用トイレをノックしたそうです。
すると、中から「使用しています」との声が聞こえたため、障害者用トイレには心ちゃんはいないと判断しました。
しかし、この時、障害者用トイレには山口芳寛と連れ込まれた清水心ちゃんがいて、「使用しています」という声は山口芳寛のものだったのです。
裁判では、山口芳寛は父親が心ちゃんを探す声を聞いて殺害を決めたと認定されています。
被告が米国の映画を参考に最初から殺害を計画していたとする検察側の主張も退け「父親らが被害者を捜している声を聞いた際に殺意が発生した」と判断した。
ということは、父親が障害者トイレをノックして「使用しています」と山口芳寛が答えた時、清水心ちゃんはまだ生きていた可能性が高いということです。
この事実を後で知った父親の心情は、想像を絶するものがあります・・・。
そして、清水心ちゃんの家族は心ちゃんを探し回る中、リュックに遺体を詰めて障害者トイレから出て逃亡する山口芳寛と、心ちゃんを探す母親はすれ違っています。
真夕さんはその直後の山口とすれ違っていた。トイレからリュックを背負った若い男が出てきたのだ。「もしかしてと思ったのですが、(リュックが)人が入るほどの大きさではなかったので、目線を移してトイレの中を確認しました」
スーパーの閉店時間(20時)になっても心ちゃんが見つからないため、母親が警察に通報しました。
心ちゃんを必死に探す両親とニアミスしていた山口芳寛は、その後にスーパーから逃走して、清水心ちゃんの遺体を無残にも遺棄するのです・・・。
山口芳寛は防犯カメラの映像がきっかけで逮捕
事件当日の山口芳寛の行動
山口芳寛は事件当日の3月3日、事件の3時間半前から現場となったスーパー内のあちこちを物色していた様子が防犯カメラに映っています。ターゲットを探していたものと思われます。
>289
その日も3時間程スーパーの中をウロウロしてたんだよね。
小6ぐらいの女の子が1人でくるのを狙って待っていたけどこないから、
ちょうど1人できたこの女の子にしたと。
そして3月3日19時30分頃に、1人でトイレに行った心ちゃんに狙いを定め、障害者トイレに連れ込み殺害しました。
その後、遺体をリュックに詰めて自転車で現場から逃走し、遺体を遺棄した後に自宅に戻っています。自宅に帰った山口芳寛は、服の胸のあたりが濡れていたそうです。
また、普段はあまり風呂に入らないのに「風呂に入りたい」と母親に告げています。
山口芳寛は事件から30分後に驚きの行動に出ています。心ちゃんを殺害してからわずか30分後に、友達を誘ってオンラインゲームをしていました。
スーパーで物色→心ちゃんわいせつ行為・殺害→逃走→遺体遺棄→風呂→オンラインゲームという流れでしょうか。
あまりにも理解できない行動に、言葉がありません。
防犯カメラで逮捕
心ちゃんの母親が警察に通報したことで、警察による捜索が始まりました。
スーパーのトイレには防犯カメラがあり、防犯カメラの映像には大きなリュックを背負った男が映っていました。
その映像を公開したところ、山口芳寛の元担任が「自分の元教え子ではないか?」と証言し、事件翌日の3月4日午後に、山口芳寛が逮捕されました。
山口芳寛の実家の家族(親や兄弟)
山口芳寛は両親と弟の4人家族でした。
父親は建築会社に勤めていて、母親は近所のコンビニでパートしていたとのことです。弟は2歳年下でした。
家族仲は悪くなかったようです。
「お盆や正月になると毎年一家4人で家族旅行をしたり、仲の良い家族ですよ。お母さんも明るくて面倒見のいい人です」
ただ、母親と祖父母、そして山口芳寛自身も熱心な創価学会の信者だったことが、週刊文春の報道で判明しています。
母親は選挙の時にはポスターを熱心に貼って回る姿が近所で目撃されています。また、山口芳寛も公明党の新人候補を応援していたこともありました。
家族で創価学会員であり、山口芳寛も創価学会員だったということでしょう。
なお、山口芳寛の父親は事件後に自殺したという情報もありますが、真偽はわかっていません。
山口芳寛は父親と確執があった
山口芳寛は事件前に父親と確執があり、事件の1週間前にも父親と山口芳寛は取っ組み合いのけんかをしていたそうです。
「父が携帯に電話をしても、芳寛はほとんど出ない。たまに電話で『ふざけるな!』と怒鳴ることもあった」(叔父)
家庭では母親が間に入って関係を取り持っていました。そんな山口芳寛は祖父を頼っていて、おじいちゃん子だったそうです。
山口芳寛の生い立ち
いじめに遭っていた
山口芳寛は2011年の事件当時20歳でしたので、1990年~1991年生まれになります。
家族旅行に行っていたという情報もありますので、家族仲は悪くなかったようですが、中学時代はいじめに遭っていました。
山口芳寛は小さい頃から落ち着きがなく、一風変わった感じの子どもだったため、よくちょっかいを出されていじめられていました。
そしてちょっかいを出されると、突然大声を出してキレたり、叩かれて泣いたりしていたそうです。
男子からは「ウザい」、女子からは「キモい」と言われることもありました。
異常行動を見せていた
中学時代は自宅で奇行が目立つこともあったそうです。
「夜中になると奇声をあげたり、床や壁を“ドンドン”と蹴ったり叩いたりするすごい音が聞こえてきました。ご両親に怒鳴っているのか“いってるじゃないか!”とかいう大声も聞こえてきて、本当に怖かったです」(前出・近所の住民)
イジメられたストレスだったのか、そのほかの理由だったのかは不明です。ただ、中学時代から近所の人から「要注意人物」と思われていたことは間違いないでしょう。
山口芳寛の経歴:高校や大学
高校では真面目な生徒
山口芳寛が通っていた高校は熊本市内にある私立の文徳高校です。
高校時代は真面目な生徒と評判でした。
・茶道部に所属
・地域のゴミ拾いに参加
・学級委員の副委員長
・生徒会の環境美化委員
これらの経歴を見ると、山口芳寛は優等生だったことがわかります。また高校3年生の時には、地元のテレビ局で熊本市長との討論番組にも出演しました。
高校時代はいじめられてはいませんでしたが、すぐにムキになるタイプだったので、みんなから敬遠されていたそうです。
真面目だったけれど、周囲の人とはうまくやれないタイプだったんですね。
大学は推薦で進学したが、不登校に
山口芳寛は、熊本学園大学社会福祉学部福祉環境学科に推薦で入学しました。
1年生で水俣病の現状をテーマにしたフィールドワークに参加し、夏頃には障害のある学生を手伝いたいと大学内のボランティアにも申し込むなど、充実した大学生活を送っていたようです。
しかし、秋頃から徐々に大学を休みがちになり、欠席が目立つようになりました。
事件の約半年前である2010年の11月からは、授業には一度も顔を出さなくなり、不登校の状態でした。
大学ではストーカートラブルも
「学食に不審者がいると噂になったんです。昨年の夏頃、学食で女友達三人とご飯を食べていたら、向いぐらいの席に座って、山口が女友だちのほうをニヤニヤして眺めながらカレーを食べていた。その女の子はviviやjjののモデルのようなカワイイ子。気持ちが悪いので席を替えたら、付いて来てまた向かいの席でニヤニヤしている。
これ、相当ヤバいですよね。
ニヤニヤしながら同級生を見つめてきて、席を移動しても追いかけてくるなんて。しかも、「不審者がいる」と言われるほどですから、本当にヤバいです。
大学でも浮いた存在で、周囲の人から敬遠されていたのかもしれません。
山口芳寛は結婚している?
山口芳寛は事件当時20歳でしたし、大学生でしたので、結婚はしていません。独身です。
ただ、結婚式場で配膳係のアルバイトをしていました。
バイト帰りにはコンビニで少年ジャンプの立ち読みをし、レンタルビデオ店に寄って遅く帰宅。
さらにゲーム好きで、バイオハザードやモンスターハンターをよくやっていたということですから、これらの情報だけを見ると、山口芳寛はごく普通の大学生だったとも言えます。
山口芳寛は小児性愛・ロリコンだった
山口芳寛はロリコン・小児性愛者だったことは間違いありません。
しかも、筋金入りのロリコンでした。だから、スーパーで何時間もターゲットとなる子どもを物色していたのでしょう。
中学生の頃からロリコン趣味あり
山口芳寛は中学生の頃からロリコンでした。
近所の人の証言によると、山口芳寛は中学生の頃から小さな女の子をジーっと見つめることがあったようです。
「芳寛くんがまだ中学1、2年生くらいのときに、2階の部屋からカーテンを少し開けて、幼稚園くらいの小さい女の子が道を通るのをじーっと見ていることがよくあったんです。“なんだか気持ち悪いね”と小さい女の子がいるお母さんたちは気をつけようと注意し合っていました」2階の窓のカーテンの隙間から幼稚園生をジーっと見つめるなんて、気持ち悪いですね。近所の人が「気をつけよう」と注意し合うなんて、よっぽど不気味だったのだと思います。
大学でも小さい子が好き発言あり
山口芳寛は大学生になってもロリコンでした。
大学に入学した時、同級生たちとの新歓コンパで好きな女性のタイプの話題になった時、山口芳寛は「小さい子が好き」と話したことがありました。
好きな女性のタイプが話題になったとき、山口容疑者は「小さい子、小学生くらいの子がタイプ」だと話し始めたのだ。冗談とも思えない真面目な表情で、その理由について「純粋だから」ともいったという。
これ、やっぱりヤバいですよね。本当にロリコンだったとしても、社会性がある人なら自分がロリコンであることは隠すはずです。
山口芳寛は隠すことなく、堂々と自分がロリコンであると性癖を話したということは、社会性がなく、頭がぶっ飛んでいたのでしょう。
周囲の人から敬遠されていたというのも納得です。誰も、「自分はロリコン」と話す人と仲良くしたいと思わないですから。
山口芳寛は彼女がいたこともあった?
山口芳寛は中学生の頃から筋金入りのヤバいロリコンでしたが、きちんと彼女がいたこともあったようです。
『週刊文春』の取材では、山口芳寛の叔父は「芳寛には彼女がいて、誕生日にプレゼントを貰ったりしていた。悩んだ様子もなく大学にちゃんと通っていると思っていた」と話しています。
彼女がいた・・・?ロリコンだし、誤解を恐れずに言えば、そんなにモテるようなルックスでもないのに・・・?
ロリコンから脱するために、同年代の女性と交際してみたということなのでしょうか?
事件後にロリコングッズが押収された
彼女がいたという情報もある山口芳寛でしたが、やはり筋金入りのロリコンであることは間違いありません。
清水心ちゃんにわいせつな行為をして殺害したことが何よりの証拠ですが、逮捕後の家宅捜索ではロリコングッズも押収されています。
逮捕された熊本学園大学2年、山口芳寛容疑者(20)の自宅からは、パソコンや携帯電話、雑誌など約50点が押収され、少女の裸などを描いたポルノ漫画も多数あったという。
また、レンタルビデオ店で借りていたビデオショップでは、ローティーンのイメージDVDのコーナーに入り浸っていたという情報もあります。
山口芳寛は精神疾患があるが責任能力はあり
山口芳寛は精神疾患があった可能性があります。裁判では小児性愛(ロリコン)とアスペルガーがあったと認定されました。
また弁護側は被告が発達障害の一種「アスペルガー症候群」であったことが影響したとも指摘したが、判決は「関連性がない」とした。
ただ、このアスペルガーは事件とは関連性がないと判断されています。
また、裁判の前には精神鑑定が行われましたが、刑事責任能力には問題はなく、心神喪失状態ではなかったと判断されました。
「小児性愛は基本的に人格の偏りに過ぎず、責任能力に影響を及ぼすものではない」、つまり、小児性愛は精神疾患ではないから、山口芳寛は刑事責任能力はしっかりあるということですね。
地域掲示板の爆サイには、次の書き込みがありました。
20 2012/02/05 01:15
創価の信者というのと国立菊池病院で隔離されてたというのはガチだが…
菊池病院というのは熊本県合志市にある精神科専門病院です。
この情報の真偽はわかりませんが、逮捕後にこの菊池病院で隔離され、精神鑑定が行われていたということなのかもしれません。
山口芳寛の動機はロリコン(小児性愛者)
山口芳寛が清水心ちゃんを殺害した動機は、自分の性欲を満たすためです。
山口は先週の第3回公判で犯行の動機について、「日頃から女の子の体に触りたいという欲求があり、それを実行に移した」といっている。
また、裁判では山口芳寛は最初から殺意を持っていたわけではなく、父親が清水心ちゃんを探す声を聞いて、殺害を決意したと認定されました。
つまり、山口芳寛はこのまま心ちゃんを解放すると、自分の犯行が明るみに出るから殺害したという、非常に身勝手で残忍な判断をしたのです。
山口芳寛の判決
山口芳寛の裁判の判決は無期懲役です。
逮捕後に殺人や強制わいせつ致死で起訴され、2012年に第一審の熊本地裁で無期懲役、控訴するも2013年3月に控訴棄却、さらに2013年6月に上告棄却となり、無期懲役が確定しました。
裁判は遺族も参加して行われましたが、初公判で山口芳寛が犯行の様子を語っている時、被害者の父親がショックのあまり救急搬送される事態になりました。
そのくらい、山口芳寛の犯行はむごいものだったのでしょう。
山口芳寛は清水心ちゃんの遺族に手紙を書いたが・・・・
山口芳寛は無期懲役が確定した後、清水心ちゃんの遺族に手紙を何度も送っています。
手紙の中で謝罪の言葉はなく、それどころかひどい内容だったようです。
手紙を読んで分かったのは、山口受刑者が「裁判で真実を語っていなかったこと」そして「娘や家族が救われることはない」ということです。
清水心ちゃんの父親はこの手紙を読んで、心ちゃんの母親が見たら死ぬとまで言っています。
清水さん「家内には見せられません。見たら死ぬと思います」
一切反省もせずに、謝罪の言葉も後悔もなく、ただ独りよがりの内容の手紙だったと思われます。
そんな内容の手紙をなぜ山口芳寛は送ってきたのか?完全に自己満足なのか、それともほかの理由があるのかはわかりません。
人の心を考えない完全なアスペルガーであり、それ以上にヤバい人物であることは間違いないでしょう。
仮釈放などなく、死ぬまで刑務所の中にいてほしい、いてもらわないと困る犯罪者、と言えるでしょう。
山口芳寛の現在
山口芳寛は2013年に無期懲役が確定しているため、現在は刑務所に収監されています。
インターネット上では、無期懲役は15年で仮釈放されると言われていますが、実際は最低でも30年経たないと仮釈放の対象になりません。
しかも山口芳寛の場合、ロリコンが根本的な動機であることを考えると、30年経っても仮釈放される可能性は極めて低いと思われます。
山口芳寛のまとめ
熊本3歳女児殺害事件の犯人・山口芳寛の生い立ちや家族(親・兄弟)と経歴(高校や大学)、結婚の有無や精神疾患の噂、清水心ちゃんの殺害動機、判決や手紙と現在をまとめました。
この事件は本当に胸糞が悪くなるものですし、子どもを1人でトイレに行かせる危険性を世間に再認識させた事件でした。
もう二度と同じような事件が起こらないことを祈ります。