蛙
❺雨蛙
❼蟇蛙と弾く
❼我慢合唱
❼高卑同弾く
❼慢の錯覚
アマガエル
ヒキガエルトヒク
ガマンノザンショ
コウヒドウヒク
マンノサッカク
このブログは右半身の、
極私的ノンフィクションである。
だから余程詩的に脚色しない限り、
全てノンフィクションである。
この健常者よりも健康な右半身はしかし、
ここ数年で会う出来事は施設のことばかりだ。
と言うかここ数年施設から出ていないので、
話題は施設でのことばかりとなる。
登場人物のプライバシー保護に苦心し、
施設の設定を少し弄ったり、
施設の人々を匿名にしたりしているけれども、
この間のコーラ(甲羅)の時の様に、
このブログを覗き見しているものもある為、
油断は出来ない。
あの時も危うくコーラ兄弟に、
ぶん殴られるところだった。
ただこの一件は、
僕が仏教徒として見過ごしにできない、
甲羅自身の自己に対する身体への放逸を感じ、
もし仮初にもこのブログを見ていたら、
彼の健康への一助になるのでは無いか、
と言う思いと、
プライバシーのありそうな僕のブログも、
多分本当はプライバシーは無いのではないか?
と言うリトマス試験をしてみた次第である。
他人の悪口はたしかに楽しいが、
悪口は小声で行うものだろう。
楽しみは小声で享受するものだろう。
今回の登場人物はカエルである。
カエルはこの施設の介助師で、
もう3年以上の旧知の間柄である。
介助師は基本的に、
僕は何から何までお世話になっているので、
全員無条件でリスペクトしており、
全員無審査で合格としているので、
ほとんど揉めた事は無いが、
彼、アマガエルについては、
一度だけ右半身自身を、
気が違うほど怒らせた事があり、
最終的にはその部署の主任さんに、
仲直りを頼まれ、
主任さんの顔を担保として、
仲直りした経緯がある。
それから数年は何事も無く流れ、
僕も仏教に帰依してからは、
十善戒の為に瞋恚の罪を犯すわけには行かず、
小さな事には目を瞑り、
彼には大らかな態度を心がけて来た。
ところがこの主任氏が、
ついこの前突然辞めた。
するとこのアマガエル氏は、
僕に対する態度を考え直したらしく、
何かにつけて不逞な態度を取る様になった。
何かにつけて不遜な態度を取る様になった。
例えば、
彼がおしぼりを渡す時、
左の横にいるおばあさんに渡すおしぼりを、
僕の顔から僅か数センチのクリアランスで、
おばあさんに渡した為、
危うくその太い腕のアックスボンバーの洗礼を、
浴びるところだった。
例えば、
体調が悪くて、
看護婦にナースコールをして、
その時彼がたまたま、
ナースコールを取ったらば、
彼は一言言って電話を切ったものだ。
「ああ、ナースですか?
会ったら言っておきます。」
との回答だった。
この多忙の施設においてこの言葉は、
不在の伝言を意味する。
小さな事だが、
ここ数日、
こんな事は幾らでもあった。
言われなくても、
その言いたいとするところは、
よく分かった。
その詳細と短歌の説明は次回にするとして、
幾ら不瞋恚を誓う僕でも、
幾ら仏様の大らかの教えを請う僕でも、
だんだん自身自信地震が、
揺らいできた。
それでブログにそれを書き認めて、
調和を取ろうと考えた次第である。
続く
付録
[慢の三段活用]
高慢=
私は実は大卒だ。
私は人よりちょっと頭が良い。
同等慢=
私は普通だ。
私は平凡だ。
卑下慢=
私は駄目だ。
私は馬鹿だ。
ウチは貧乏会社だ。
我慢=
私が我慢すればいいのだ。
自慢=
これは私が自慢するわけでは無いが。
次回へ
00000
00000