2025/5/28

不捉持生像金銀宝物

 

「苦」の人生をいかに生きるか。

「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、亡くなる前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっていました。

これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という仏陀(ブッダ)のひとつの悟りであったように思われます。

涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」煩悩を消して真実の人生を生きるための方法ということから出てきたのが、先にふれた四諦であり、また八正道といった考え方です。

仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、原始仏教が大乗仏教から生まれた六波羅蜜という考え方も含めていいでしょう。

在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。

 

中略

 

仏教において沙弥および沙弥尼(見習いの僧侶・小僧)の十善戒のもう一つもまた違う。

不著香華鬘不香塗身、

不歌舞倡妓不往観聴、

不坐高広大床、

不非時食、

不捉持生像金銀宝物

ただしこれについては単なる僕の興味である。

 

⬇︎⬇︎⬇︎

 

  1. 不著香華鬘不香塗身(ふじゃくこうげまんふこうずしん):化粧をしたり装飾類を身に付けてはならない[1]
  2. 不歌舞倡妓不往観聴(ふかぶしょうぎふおうかんちょう):歌や音楽、踊りを鑑賞してはならない[1]
  3. 不坐高広大床(ふざこうこうだいしょう):大きく立派なベッドに寝てはいけない[1]
  4. 不非時食(ふひじじき):正午以降に食べ物を摂ってはならない[1]
  5. 不捉持生像金銀宝物(ふそくじしょうぞうこんごんほうもつ):お金や金銀・宝石類を含めて、個人の資産となる物を所有してはならない[1]

 

戒を出来る限り探して見たが、

今回を最後にする。

 

不著香華鬘不香塗身

 

化粧をした事がないので分からない。

だが非常は手間のかかるものだと言う理解がある。

正直言って何が楽しいのかなとも思う。

女性は、女は美を追求する生き物だと言う。

美を追求する時初めて、

女性はオンナになるのであって、

美を乱す時初めて、

女性は本物のオンナになるのだと言う。

特に同性愛に関する問題は、

良く某国で問題になった。

特に某国の男性は身体が華奢で、

化粧が似合う様だ。

でも化粧はしなくても男色を好む人もいた。

彼は男なのか?

彼は女なのか?

それとも?

 

 

不歌舞倡妓不往観聴

 

僕は音楽が大好きで、

何故音楽が禁止なのか良く分からない。

理由はなんなのだろう?

音楽が無くては黙々と努められない僕である。

ただし勤行中は勿論しない。

 

 

不坐高広大床

 

ベッド、

布団は、

大きくてはならない。

昔の僕には理解が出来なかったが、

今の僕なら少し理解出来る。

何故なら、

今の僕は障害者で、

寝がえりすら出来ないので、

一人分の幅以上のベッドは手に余る。

昔寝がえりの出来た頃は、

この寝がえりそのものが苦であった。

どんなに広いベッドでも、

どんなに広いバスの席でも、

どんなに広い乗用車の席でも、

どんな広い飛行機の座席でも、

如意に寝がえり出来ない事に苦しんだ。

やり場の無い閉塞感に窒息しそうになった。

こんな僕が寝がえり出来ない事によって、

逆に解放感を覚えているのは不思議なものだ。

 

 

不非時食

 

仏教では午後に食べてはいけないのはなぜですか?

「さらに加行中の僧侶は、午後に食事をしてはいけないという規律があります。 6時ごろに朝食、午前11時半頃に昼食と言う生活ですが、実際行を行っている僧侶からすれば、午前中の二食だけでは食事の量が足りません。 そこで、薬食(やくじき)と言われる夕食を取るのです。」

高野山の食事 説法・法話 - 金剛三昧院www.kongosanmaiin.or.jp › preach › meal

 

これについては良く分からない。

ただ、今の感想から言うと、

朝食と昼食は非常に重要な気がする。

特に朝食は必須だ。

人間は朝食をする為に生きているとも言える。

夕食はむしろ耐えられない者の為にある、

オプションだとも思える。

上記の大師様のお話にも、

そんな言葉がある。

僕のいた某国では、

お坊さんはこの戒律をほぼ厳守している。

ただ、ほぼと言うのは、

殺生に関してはやや緩やかな様だ。

僕達はしょっ中工場でお祓いをしてもらい、

数人のお坊さんがお祓いを終わり、

みんなの前で食事をするのを、

黙ってずっと眺めていた。

その食事は、

プラーニン

(ティラピア 平成天皇が日本から贈った魚)と、

ガイヤーン(鶏肉)と、

ソムタムと、

カオニャヲ(餅米)だった。

この点においては、

色々と、

見解が分かれる様だ。

命は美味しいのだ。

大事に食べるなら良いとも思う。

植物と動物の命の違いもわからない。

 

 

不捉持生像金銀宝物

 

某国で最大の課題がこれである。

この仏教の施設をのぞいたら、

伽藍にいくつものスタジアムが並ぶ、

壮大な伽藍である。

その中央には仏様の乳の様な仏塔が築かれ、

その仏塔に数100体、

数千体?の仏像が置かれている。

 

この仏像は、

普通の仏像と違いのっぺりとしている。

何故か?

通常の仏様は金メッキがされているが、

この仏像はチタンコーティングがされている。

その事によって耐候性が上がり、

綺麗な金色で長持ちする。

 

僕はこのプロジェクトに、

ちょっと関わった人を知っていた。

複雑な形状はチタンコーティングが嫌うので、

のっぺりした姿の仏様なのだ。

でもかかった費用は相当の筈だ。

この話を聞き、

この仏像を見た時、

一体仏教とは何なのだろうと思った。

一体仏教とは誰の為なのだろうと思った。

 

こんな言い方は失礼かもしれないが、

積めば積むほど御利益がある、

と言う感じなのである。

仏教を信じれば信じるほど、

人は死んだら丸腰だと分かる筈なのに、

何を持って帰るのだろう。

 

合掌

 

タンマガーイとは

「タンマガーイ寺院は瞑想を中心としている仏教系新宗教[4]その歴史は仏暦2513年(西暦1970年)220日のマカブーチャ(万仏節)にて、パラヤッド氏から寄贈された196ライ(95)の土地を、当時61歳であったクンヤーイ・アーチャーン・マハーラタナ・ウバシカ・チャン・コンノックユンと出家一年目のプラテーパヤーンマハームニー(ルァンポー・タンマチャヨー)、そして仏教に純粋な信仰心を抱く信者や弟子達の協力によって始まった。(当時は仏輪修行センターという名で、その後に国王から寺院建設の地域として賜り、1981329日にタンマガーイ寺院へと改名した)。ルァンポー・タンマチャヨーは1999に詐欺と横領の罪でタイ警察から逮捕状が出されている[5]。」ウィキペディア

 

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