2025/4/13

十善戒 瞋恚

 

「苦」の人生をいかに生きるか。

「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、亡くなる前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっていました。

これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という仏陀(ブッダ)のひとつの悟りであったように思われます。

涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」煩悩を消して真実の人生を生きるための方法ということから出てきたのが、先にふれた四諦であり、また八正道といった考え方です。

仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、原始仏教が大乗仏教から生まれた六波羅蜜という考え方も含めていいでしょう。

在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。

五戒とは

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
  • 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
  • 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。

の五つですが、これらを生活の中で習慣化して実践することが大事だという具体的な戒律です。

また仏陀(ブッダ)は精神を統一して雑念を払い、禅定の境地に入ることを説き、さらに日常生活の中で身につけていく智慧の重要性を説いています

この戒律と精神統一と智慧を仏教では「戒・定・慧の三学」と呼んでいるようですが、修行によってこの三つを身につけることで人間は「諸々の汚れから完全に解脱する」ということになります。

 

参考

この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。

 

十戒律(五戒律も含みます)

  • 不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
  • 不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
  • 不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
  • 不瞋(怒り)恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
  • 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救うことはできないということです。

 

ただ、誤解してならないことは、自分はまだ完成していない人間だからとても人を助け導くことはできない、という考えを持たないことです。

 

自分だけの生活に囚われてしまえば、返って自己の完成はできないのです。

 

人のために尽くすということも持戒の大きな要点ですね。

人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、自分が向上することによってそれだけ人にも尽くせるようになる、この二つは無限に循環していくと思います」

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①真言宗の十善戒の次は、

不瞋恚、

不邪見、

 

②「仏陀の教え」は、

不説四衆過罪、

不自賛毀他戒、

不慳貪戒、

不瞋(怒り)恚戒、

不謗三宝戒、

 

仏教において沙弥および沙弥尼(見習いの僧侶・小僧)の十善戒のもう一つもまた違う。

不著香華鬘不香塗身、

不歌舞倡妓不往観聴、

不坐高広大床、

不非時食、

不捉持生像金銀宝物

ただしこれについては単なる僕の興味である。

 

瞋恚

「瞋(しん、: dveṣa, pratigha: dosa)は、仏教における煩悩のひとつで、怒りを指す[1]瞋恚(しんに)ともいう。憎しみ[2]、嫌うこと、いかること[3]。心にかなわない対象に対する憎悪[2][4]自分の心と違うものに対して怒りにくむこと[5]

 

仏教においては、

 

定義

大乗阿毘達磨集論英語版(Abhidharma-samuccaya)では以下のように述べられている。

(pratigha)とは何か? それは苦、衆生、苦を備えた心への怒りを本質とし、安穏ならざる〔状態〕に住し、悪しき行い〔を為すこと〕の依り所たることを作用とする。

(何等為瞋?謂於有情苦及苦具心恚為体。不安隠住悪行所依為業。)

法相二巻抄における唯識大意では、 (自分)に背くことがあれば必ず怒るような、「自分がないがしろにされた」という思いと解釈している。」ウィキペディア

 

瞋恚は何の議論も不要で、

自分の人生を大きく決定した行動だ。

自分の人生を大きく狂わせた行動だ。

自分の人生を某国の衆生の怒りの矛先とし、

自分の人生を某国の王室に捧げた。

自分は人生に須らく失敗した。

ただしこれは自分の人生を、

豊かなものにしたのも事実だ。

自分は運が良かったのか悪かったのか?

 

こうしてこの施設にいてつくづく思うのは、

僕の経験体験はそれが虚構であったにせよ、

実に色とりどりの人生であったと言うのが本音だ。

だから僕は僕の瞋恚に感謝しなければならない。

だから僕は仏様に導いて頂いた。

瞋恚による結果に感謝しなければならない。

それを見ずに自殺などせず本当に良かった。

 

僕はこの瞋恚の発生に大きな興味を持っている

僕はこの瞋恚を観察することに力を入れている。

 

何よりも大事なのは、

瞋恚に対する結論を急がない事である。

全ての回答はその日のうちに求めない。

或いはその瞋恚に対する判断は、

その日のうちに求めない。

ムラムラと起こる瞋恚のままに、

反応してはいけない。

あなたの身体はあなただけの肉体ではない。

特に夕方に起こった出来事を、

その日のうちに結論付けると、

ろくなことがない。

早い結論はむしろ瞋恚を増強する。

人は何か起こったら、

その夜のうちにレム睡眠に問題を預け、

彼らの評定に掛けてもらう。

レム睡眠は僕の寝ている間に、

仏様の教え、戒めに尋ね、

過去の記録を参考にして、

翌日何気なく答えを示す。

その答えは昨晩なら考えもつかなかった内容で、

人はそれを「やっぱり寝ると調子が良い」と評価する。

確かにそうゆう言い方もあるが、

それは自分のパートナーの、

レム睡眠君の仕業である。

 

某国の言葉に「レオ」と言う言葉がある。

เร็ว

rew

レオ

何事にも対処が早く、

何事にも手が早く、

誰も彼に追いつかない。

別名は「乱暴者」である。

別名は「頭の回転が早い」とも言う。

彼の結論は常に早く、

彼の結論は常に乱暴で、

彼の結論は常に杓子定規だ。

彼は常に他人に勝たねばならない。

そしてそれはいつか破局を齎す。

そうして潰れた自身や他人を何度も見た。

 

僕自身はそんなにレオだったとは思わないのだが、

以下に僕の瞋恚を羅列する。

 

①浪人生の時、今までのJVの報復に父にアリキック或いはUWFのローキックを浴びせ、家の壁に穴を開けた。

②大学生の時、貧乏旅行で最初の家内のベンジャマスタサとチェンマイに行き、そこの高級ホテルに短パンで入り、ホテルのスタッフから見下された対応をされ、ホテルのロビーで悪口の限りを尽くした。(後で知った事だが、ここが王室のホテルだった。)

カミングアウト事件の最大原因と僕が考えている事件。

③ベンジャマスタサとの結婚。それは今思えば某国に対する瞋恚(貧富の差に対する義侠心?)から、少しの見直しもせず突っ走った行動だった。

④梅毒入社。③に同じである。

⑤田中所長との退職時の喧嘩。彼特有のダンディズムによる圧力。それに耐えられず、怒りをぶち撒け、社員は恰もそれを支持している様に振る舞った。その時の無明の振る舞い。

⑥前妻ジラパットとの別れ。何はともあれ、子供が二人いるのだから、彼女から離れるのでは無かった。

 

カミングアウトの影響下にある時は、

何をどの様に振舞っても、

なる様になるしかならなかったかもしれないが、

問題が起こった時、

僕はあまりにも自暴自棄で投げやりだった。

それだけに突っ込みどころ満載だった。

 

次回は特に①についてよく考えてみたい。

次回も瞋恚を懺悔したい。

 

合掌

 

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