2025/3/16
十善戒
「苦」の人生をいかに生きるか。
「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、
これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」
涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」
仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、
在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。
五戒とは
- 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
- 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
- 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。
の五つですが、
また仏陀(ブッダ)は精神を統一して雑念を払い、
この戒律と精神統一と智慧を仏教では「戒・定・慧の三学」
参考
この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいま
十戒律(五戒律も含みます)
- 不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
- 不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
- 不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
- 不瞋(怒り)恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
- 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。
このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、
ただ、誤解してならないことは、
自分だけの生活に囚われてしまえば、
人のために尽くすということも持戒の大きな要点ですね。
人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、
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以下に未だ触れていない戒を列挙する。
①真言宗の十善戒は、
不綺語、
不悪口、
不両舌、
不慳貪、
不瞋恚、
不邪見、
②「仏陀の教え」は、
不説四衆過罪、
不自賛毀他戒、
不慳貪戒、
不瞋(怒り)恚戒、
不謗三宝戒、
仏教において沙弥および沙弥尼(見習いの僧侶・小僧)
不著香華鬘不香塗身、
不歌舞倡妓不往観聴、
不坐高広大床、
不非時食、
不捉持生像金銀宝物。
ただしこれについては単なる僕の興味である。
前回は飲酒について述べた。
今回は綺語だ。
綺語
きご[s:saṃbhinna-pralāpa]
意味のない、無益なおしゃべり。
<雑穢語ぞうえご>とも訳す。
けがれた心から発せられたことばのうち、嘘いつわり、
『倶舎論くしゃろん』巻16では、おもねること、
十悪の一つ。
何故現代人は綺麗な事を言おうとすると、
それが愛に繋がるのか?
愛とはそれほど綺麗な物とは思われ無いが、
現代に於いて愛とは、
綺麗な愛しかあり得ない。
汚い愛などあり得ない。
以下に綺麗を説明するブログを見つけた。
語源 【きれい】
日本語の 「きれい」 の対象になる内容はけっこう広範囲にわたります。
A) あの会社の受付嬢は,皆さん,とてもきれいな人ばかりです。
B) 吉田の奥さんって,とてもきれいだよ。
C) きれいな花を見ると,心が穏やかになります。
D) 渓谷沿いに紅葉がきれいに色づいていました。
このように使われる 「きれい」 が,いちばん典型的な 「きれい」 さでしょう。
つまり, A) ~ D) のような例は, 〈見た目のきれい〉 〈視覚的なきれい〉 です。
語源的にも,このような使われ方が本来の 「きれい」 です。
「きれい」 は,もともと漢語の 「奇麗 ・ 綺麗」 です。
「奇」 は 〈すぐれている〉 の意で, 「麗」 は,もともとは 〈鹿の角が左右よく均整がとれている〉 ことを意味する漢字で,そこからやはり 〈美しい〉 ことを意味しています。つまり 「奇麗」 は, 〈抜きん出て美しい〉 ことです。
「綺」 は 〈綾〉 のことで 〈華やかな彩り〉 を意味します。ですから, 「綺麗」 は 〈艶やかに美しい〉 ことです。
「奇麗」 にしても, 「綺麗」 にしても,やはり本来は 〈目に映る美しさ〉 を言ったことばなのです。
このことばが日本に入ってきた当初は,日本でも,
E) 彼女のきれいな歌声に,うっとりしてしまいました。
F) 彼は,
これらは,聴覚的な意味の 「きれい」 です。
G) 手をきれいに洗いましょう。
H) 罪滅ぼしにボランティアに励んで,
この場合の 「きれい」 は, 〈美しい〉 の意味ではなく, 〈汚れていない〉 という程度の 「きれい」 さです。
I) もう,あなたのことなんかきれいさっぱりと忘れて,
こうなると,もう 〈美しい〉 の意味合いは完全になくなっています。 〈汚いこと,イヤなことをなくしてしまう〉 というニュアンスのようです。
J) 結婚するまでは,あなたとはきれいな関係でいたいの。
今どき,こんなセリフを言う女性は,もういないでしょうか。
なお, 「あんたのそのやり方って,きれくないよ」 などのように 「きれくない」 という言い方を時々耳にします。
「美しい」 や 「汚い」 などの影響で, 「きれい」 を形容詞と勘違いしてしまっているようです。
「きれい」 そのものはあくまで名詞です。 「きれいな」 「きれいだ」 のように形容動詞として使うことはありますが, 「きれい」 そのものを形容詞として活用させてはいけません。
そして「綺語」そのもの。
き‐ご【綺語】
綺麗な言葉と言うのは、
そもそもそれが実体を伴わない物であり、
そもそも言葉という物が中身の無い物である。
綺麗か綺麗じゃ無いかも、
人夫々の主観による物なので、
実際問題として綺語が何を指しているのか、
およそ想像はつくのであるが、
偸盗や、
邪婬、
殺生、
飲酒の様に、
行為の確定が難しい。
妄語の破戒の確定が余りにも容易の為に、
妄語を方便とせねばならないくらい、
余りにも沢山のケースが考えられるのであるが、
逆に綺語はその行為の確定が難しいのでは無いか?
見る、
聞く、
そうゆう人間の受の機能よりも、
想業識の機能に任される場合が多いので、
綺麗とは何かと言う疑問に立ち返らざるを得ない。
だが、綺語の仏教における意味を見ると、
「虚語」と呼んだ方が正解では無いのかとも思う。
人は何かにつけて、
頭の中で存在しない事を、
シュミレートする動物である。
であるから何かにつけて綺語に阿る事が多い。
それは他人だけでなく、
自分の内面での葛藤でも指すのだろうか?
真実との関係に於いて、
考えるべき事なのだろうが、
ちょっと判定がしにくいと思うのは、
僕だけであろうか?
生意気を言うと綺語は妄語の要素に、
余りにも近い様に思われる。
それは綺語を言うと言う行為には、
必ず妄語の要素が含まれる物があり、
逆に言えば綺語のみの綺語と言うのが、
思い付かないからである。
上記のナンシーさんの投稿を見ても、
そうである。
今回は歯切れが悪い。
以上
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