2025/3/2
十善戒
④不妄語⑷それぞれの理由
「苦」の人生をいかに生きるか。
「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、
これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」
涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」
仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、
在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。
五戒とは
- 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
- 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
- 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。
の五つですが、
また仏陀(ブッダ)は精神を統一して雑念を払い、
この戒律と精神統一と智慧を仏教では「戒・定・慧の三学」
参考
この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいま
十戒律(五戒律も含みます)
- 不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
- 不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
- 不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
- 不瞋(怒り)恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
- 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。
このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、
ただ、誤解してならないことは、
自分だけの生活に囚われてしまえば、
人のために尽くすということも持戒の大きな要点ですね。
人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、
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- 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
右半身のカミングアウトに参加した人々の、
方便による一時的な妄語戒の停止について、
あるいはこの事への関わり方について。
ただし仏教徒であると前提して。
①方便による妄語
不敬罪の主体的執行者である王様が
外国人(僕)に不敬な態度を取られたため。
そこが始まり。
➡︎純粋に懲らしめた。
➡︎国家の威信を示すため見せしめにした。
➡︎純粋に国家を愛し誇りに思う。
➡︎この事を利用して対内的、対外な見せしめ、
又は副次的な付加価値を得る。
②①に賛同した某国国民
➡︎純粋に国家を愛し誇りに思う。
➡︎更に、それにより得る功名心。
➡︎更には、それにより得ることができる実利。
➡︎ただし彼等の参加方法はこの妄語は聞かない、喋らない、
③①に同調し参加出演した外国人及び外国企業
➡︎義憤
➡︎①の国王に対する敬意
➡︎その他、国際企業の立場に於ける円滑な業務遂行の為
➡︎日本、スイス、ドイツ、インド、アメリカ…
➡︎信仰にもよる。
④右半身の血縁家族など
➡︎右半身のために実害を被り新たな妄語を余儀なくされた。
➡︎通常では考えられない規模の心身への負担。
➡︎ただしこの妄語は聞かない、喋らない、
⑤右半身の子供を演じた人々
➡︎生まれたその日から、
➡︎他の子供が経験した事の無い体験。
➡︎特に3人のうち先に生まれた2人については思春期に至るまで
⑥CelebrityとFamous
➡︎ただ言えるのは義憤。
➡︎或いは偽善。
➡︎或いは津波の懺悔
⑦僕?
僕のカミングアウトの妄語に関わった立場は以上ではないか?
誰もが大概この枠内に入ると思う。
妄語では無いと思えるスタイルもあり、
ぎりぎりの表現をしてある。
もしかしたら④と⑤はカミングアウトの、
被害者と言っても良い。
この事にひとつ僕も入れた。
何故ならこのカミングアウトの、
最初のきっかけがわからないからだ。
普通、
鬼でも、
怪獣でも、
ルパンでも、
ショッカーでも、
鬼平犯科帳の盗賊も、
罰されるその罪の内容は本人が、
大概分かっている筈だ。
正義の味方とか、
聖者とか、
警察官とか、
そうゆう人は、
散々に悪人を泳がせておいて、
最後にその悪者の罪を開帳し、
本人に罪の重さを思い知らせる筈である。
そうして悪者本人は自分の愚かさ、
そうして悪者本人は自分の身の程を知り、
そこで初めて全ての方便の目的を達成する筈だ。
それでこそ妄語の方便は完成する。
ところがこの物語にはそのシーンが無い。
方便の妄語は未だ終わっていない。
犯人である僕当人は、
僕と言う悪者は、
あれかな、
これかなと、
この不敬罪の最初の出発点を思い出そうとするものの、
思い出されるのは不敬罪とは何の関係も無い、
その後に思い当たるいくつかの悪事である。
こんな方便があるだろうか?
王様が自ら出て来る様な悪事とはなんなのか?
敬虔な仏教国が許せない僕の罪とは何であろう。
またカミングアウト後の
僕に関わった日本人の態度も変である。
僕が倒れた時母は僕を放置して、
2週間以上食事だけを与え放置したが、
その後の病院での治療は手厚い物で、
今考えると超一流の医療とスタッフに恵まれた。
そうゆう矛盾した、
義憤と義務の行使共存はなんなのであろう。
更に言うならこの方便はまだ続いており、
それにより考えられるいくつかの悲劇が、
既に僕には見える。
僕に関わったばかりにこの終わりなき方便にとっぷりと使っている
何よりも心配なのは二人の娘だ。
やはり妄語は駄目なのだ。
やはり方便は駄目なのだ。
これを僕達仏様でも菩薩でも無い存在が、
行う事では無いのだ。
そうでなければ十善戒に謳われる筈が無い。
僕なんかの為にあの仏教国は、
するべきで無い破戒に手を染めたとしか思えない。
合掌
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