2025/01/19

十善戒

②不偸盗

 

 

「苦」の人生をいかに生きるか。

「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、亡くなる前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっていました。

これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という仏陀(ブッダ)のひとつの悟りであったように思われます。

涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」煩悩を消して真実の人生を生きるための方法ということから出てきたのが、先にふれた四諦であり、また八正道といった考え方です。

仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、原始仏教が大乗仏教から生まれた六波羅蜜という考え方も含めていいでしょう。

在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。

五戒とは

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
  • 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
  • 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。

の五つですが、これらを生活の中で習慣化して実践することが大事だという具体的な戒律です。

また仏陀(ブッダ)は精神を統一して雑念を払い、禅定の境地に入ることを説き、さらに日常生活の中で身につけていく智慧の重要性を説いています

この戒律と精神統一と智慧を仏教では「戒・定・慧の三学」と呼んでいるようですが、修行によってこの三つを身につけることで人間は「諸々の汚れから完全に解脱する」ということになります。

 

参考

この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。

 

十戒律(五戒律も含みます)

  • 不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
  • 不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
  • 不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
  • 不瞋(怒り)恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
  • 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救うことはできないということです。

 

ただ、誤解してならないことは、自分はまだ完成していない人間だからとても人を助け導くことはできない、という考えを持たないことです。

 

自分だけの生活に囚われてしまえば、返って自己の完成はできないのです。

 

人のために尽くすということも持戒の大きな要点ですね。

人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、自分が向上することによってそれだけ人にも尽くせるようになる、この二つは無限に循環していくと思います」

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  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。

 

僕の偸盗の歴史は、

多分高校の時に遡る。

僕は勿論、善人ではない。

誇れる過去の善行など何も無い。

善行と悪行の境目を知らず、

いつも気がつけばその境目の線上を、

よろよろと歩いている。

まずい事だと思って居ても、

どれほどまずい事なのか分からない。

痛い目に会わなければ、

どれほど痛い事なのか分からない。

僕にとって大事なのはそれよりも、

恥をかかない事だった。

表向き平穏な余裕を見せて生きる事だった。

 

その悪事の端面は、

このブログのおちこちを見て貰えば、

良く分かる筈だ。

そもそも僕は誰かが見ていないだろう、

と言う確信の無い宗教的信心の衒いの中で、

視線を斜めにずらしながら、

偸盗をその他の悪行を行なって居た。

であるから、そうした悪行を働く時は、

思い出しても用意周到且つ詳細であった。

決して「過ち」と言う様な可愛いものではない。

20年、30年、そうゆう自分に僕は自信を持ち、

20年、30年、そうゆう自分に僕は酔っていた。

 

僕は疼くような偸盗の癖が、

あると言う訳では無かったが、

自分の偸盗に対して寛容であった。

偸盗ばかりではない。

邪婬、

妄語、

などにも重なる寛容癖である。

 

盗んだ物、者とは、

①お金、

ただし現金ではない。

お金が象徴する物という言い方は如何か?

現金、現生を見ると僕は何故か恐ろしくなる。

現金よりも寧ろ借金と言う盗み方を好んだのだ。

 

②人

これは邪婬の時に再度触れるが、

この女性を得ようとするなら、

あらゆる障害を排除して、

あらゆる万難を無視して、

彼女を手に入れた。

そしてその時、

特にお金に関する障害を取り除くのに、

自分は機を見るに敏であると自負していた。

例え彼女が、

人の者であっても、

人妻であっても、

不治の病気を持っていても、

彼女の親が多額の結納を容易する様に言っても、

僕がめげる事は無かった。

欲しい者を手に入れる事が出来ると思っていたし、

実際にその大半を手に入れた。

そしてそれらにあっさりと捨てられ、

そしてそれらをあっさりと捨てた。

彼女との未来へのヴィジョンなど、

何も無かった。

そして女性への欲望以外に、

何ら執着する物は無かった。

 

③不明の偸盗

そして3つ目が、

この様な自分の錯覚が、

錯覚誑しめんとされた、

例の某国の不敬罪のカミングアウトである。

誰も見て居ないだろうと思っていた事が、

7000万人の某国国民+αから、

全て見られて居たのである。

この事は何度反芻したか分からない。

こんな目にあった人が今まであっただろうか、と。

自分の中でこの真実に対する評価は、

2つに分かれた。

一つはあらゆる罪が白日の元に晒された恐怖。

そしてもう一つは、

自分の人生を返してくれと言う怒りだ。

 

そして、

もし仏様がここにいらっしゃったならば、

この事をどの様に、

導いてくださるだろうと言う思いだ。

十善戒を毎日お唱えして思うのは、

これらが極めて正直に、

これらが極めて敏感に、

僕の毎日を観察していると言う事だ。

それは今度こそ過ち無きように、

と戒めている。

 

合掌

 

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