大晦日の鬼遣らい
⑤大晦日
⑦月が籠もりし
⑤鬼やらい
⑧眼耳鼻舌身意
⑦引き分けの鐘
⑤オオミソカ
⑦ツキガコモリシ
⑤オニヤライ
⑧メジビゼツミ゙イ
⑦ヒキワケノカネ
大晦日の夜が更けた。
年末の夜が更けた。
月の無い夜が更けた。
12月31日の夜が更けた。
月が籠り夜が更けた。
暗闇の中で、
鬼やらいの明かりが消え、
鬼やらいの音が微かになり、
鬼やらいの匂いが雲散霧消、
鬼やらいの味も苦く薄く、
鬼やらいの手触りすらわからない、
ただ、鬼やらいをしていると言う気持ちだけが、
僅かに残った。
肝心の鬼やらいと言えば、
鬼になった者も、
鬼から逃げる者も皆必死だ。
自分が鬼だという者も、
自分を鬼だという者も、
自分を鬼だったと言う者も、
自分は鬼じゃ無いと言う者も、
六根全てに無明な暗闇の中で、
追いかけ、
追いかけられ、
いじめて、
いじめられ、
笑顔なのか、
泣き顔なのか、
怒っているのか、
戸惑っているのか?
それすらもわからない。
そして鬼やらいは、
全てが無明のまま、
全てが古い一年の執着として、
全てが古い一年の終着として、
108つの除夜の鐘の音と共に消えた。
合掌
大晦日とは
「大晦日(おおみそか)は、1年の最後の日。天保暦(旧暦)など日本の太陰太陽暦では12月30日、または12月29日である。現在のグレゴリオ暦(新暦)では12月31日。翌日は新年(1月1日、元日)である。大晦(おおつごもり)ともいう。日本では、年神を迎えることにちなむ行事が行われる
〜中略〜
旧暦では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(旧暦12月、または閏12月)の晦日を大晦日といった。元々“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味であった。ただし、月の大小が年によって変動するので、実際には29日のこともあった。後の新暦の12月31日を指すようになった。」ウィキペディア
鬼遣らいとは
「大晦日を大つごもりともいった[1]。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月隠り(つきごもり)」が転じたものである。
〜中略〜
日本の平安時代に行われていた大晦日の宮廷儀礼の1つに「鬼やらい」とも呼ばれる「追儺」(ついな)がある。年の変わり目という最大の節分において、「鬼」で表現される良くない何かを追い払うために方相氏(ほうそうし)と呼ばれる恐ろしい扮装・いでたちの導士によって執り行われる古い行事であるが、これが後の節分行事に変化したとされる[3]。恐ろしい姿の演者としては、日本の郷土文化として大晦日や旧正月などに「なまはげ」などが行われている。」ウィキペディア
追儺とは
「追儺(ついな)とは、大晦日(旧暦12月30日)に疫鬼や疫神を払う儀式[1]、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事。儺(だ、な)[2]あるいは大儺(たいだ、たいな)、駆儺。鬼遣(おにやらい。鬼儺などとも表記)、儺祭(なのまつり)、儺遣(なやらい)とも呼ばれる。」ウィキペディア
鬼ごっことは
「追儺は鬼ごっこ(鬼事)の起源ともされる。民俗学者の柳田國男は伝統的な子供の遊戯は大人の真似によって生じたものとし、もとは神の功績を称える演劇を子供が真似たという説を唱えた[8]。現在、民俗学では鬼ごっこの起源が追儺や鬼やらいにあるという意見が主流であるが[9]、一方で追う者と追われる者の鬼の役割が正反対だとする多田道太郎による反対論もある[10]」Wikipedia
除夜の鐘とは
「除夜の鐘は、大晦日の夜(除夜)に寺院の梵鐘を撞く日本仏教の年中行事です 。多くの寺院では108回撞かれますが、希望者がつけるよう108回以上つくところもあります。
除夜の鐘の由来は、中国の宋の時代に禅宗寺院の習慣に始まるとされ、日本には鎌倉時代以降に禅寺から広まりました。室町時代には大晦日から元旦にかけての行事として一般化されました。
除夜の鐘には、次のような意味や願いが込められています。
「除」という言葉には古いものを捨て新しいものに移るという意味があり、心穏やかに新年を迎えようという願いが込められています。
仏教の教義的には、人には108つの煩悩があることからその数だけ梵鐘つき、煩悩を追い払うという願いが込められています。
鐘の音は仏様の音や声を連想させるものであり、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされていました。
除夜の鐘は、一般の人でもつけることができます。多くの寺院では、当日にお寺に行って並ぶだけで除夜の鐘をつくことができますが、大きなお寺では事前に整理券を配布するなどの方法で鐘をつく人数を制限して
煩悩の数とは
「人間の煩悩の数とする説がある[1]。眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。」
Wikipedia





新陳代謝
⑤その体
⑦同じ部位など
⑤三月無く
⑦徹頭徹尾
⑦たがう別人
⑤ソノカラダ
⑦オナジブイナド
⑤ミツキナク
⑦テットウテツヴィ
⑦タガウベツジン
僕の胃腸は5日前の僕ではない。
僕の心臓は22日前の僕ではない。
僕の肌の細胞は28日前の僕ではない。
僕の筋肉や肝臓は2カ月前の僕ではない。
僕の骨の細胞は3カ月前の僕ではない。
つまり、僕の体は3カ月前の僕ではない。
人はそれを生まれ変わったと言う。
人はそれを劣化したと言う。
人はそれを何ら変わりが無いと言う。
でも僕にはなによりも、
数行では書き尽くせぬ、
心の変化がある。
身体は変わっても、
心は変わらないのだろうか?
それとも、
心も日々コピーされていて、
知らず知らずに違う自分になっているのか?
新陳代謝
「新陳代謝(しんちんたいしゃ)とは、古いものが新しいものに次々と入れ替わることを言う。特に、健康法や美容法において「細胞の新陳代謝」などという使われ方をするが、これはしばしば生化学における代謝の意味ではなく、細胞自体の入れ替わりを意味する表現である。そして、新陳代謝は、生命維持に不可欠なものである。
なお、metabolismの訳語として新陳代謝とあてたのは、夏目漱石であると言われる。
〜中略〜
細胞の新陳代謝」の周期は部位によって異なる。
胃腸の細胞は約5日周期
心臓は約22日周期
肌の細胞は約28日周期
筋肉や肝臓などは約2ヶ月間の周期
骨の細胞は約3ヶ月周期
細胞の新陳代謝が正常であれば身体は3ヶ月で新しく生まれ変わる」ウィキペディア
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