敬語の錯覚

 

❺この店は

❼僕が入ると

❺皆流行る

❽不敬の骨頂

❽敬語の錯覚

 

❺コノミセハ

❼ボクガハイルト

❺ミナハヤル

❽フケイノコッチョウ

❽ケイゴノサッカク

 

僕が入る店は常に人が入った。

僕が入る店は常に流行った。

僕が入る店は常に賑わって、

僕が入る店は常に繁盛した。

僕が気に入った店に、

間違いは無かった。

僕は思った。

僕には人を引きつける、

特殊な才能があるのだと。

居酒屋、

トンカツ屋、

カウマンカイ屋、

ステーキ屋、

ピザ屋、

イタリア料理屋🇮🇹

按摩屋、

床屋、

加工屋、

熱処理屋、

ホテル、

アパート、

自動車会社、

あの国も、

それらの人々の僕を見る目の輝きは、

上得意の客を迎える喜びにあふれていた。

全員がスタンディングオベーションで、

僕を迎え皆きびきびとしていた。

そうして言った。

「いつものですか?」

「ポカティナカ?(いつものですか)」

「プラチャム、プラチャム?いつもの?」

僕の扱いに慣れた彼等は、

大概がその店のオーナーに近かった。

僕は彼等を幸せにすると本気で思っていた。

よもやそれらが虚構だとしても、

フィリピン人🇵🇭のジョーだけは、

インド人🇮🇳のジャルワンだけは、

スイス🇨🇭人のミシェルだけは、

本心であると思っていた。

娘の美雪と美咲だけは、

本物であると思っていた。

しかし事実は不敬罪のこの男を、

本気で歓迎する人は誰も無かった。

しかし事実は不敬罪のこの男を、

本気で敬う者は居なかった。

彼等はただ無言で、

刑の執行を待っていただけだったのだ。

 

デジタル大辞泉 「骨張」の意味・読み・例文・類語

こっちょう〔チヤウ〕【骨張/骨頂】

《「骨張ほねばる」の音読で、「頂」は当て字という》

程度がこれ以上ないこと。最高の段階。初め善悪いずれにも用いたが、現代は好ましくないことについていうのが普通。「愚の―」「やぼの―」

「仏門においては、祝ひの―なるべけれ」〈おらが春〉

意地を張ること。強く主張すること。

「その余党等、以ての外に―し、数通の起請文を書きて」〈折たく柴の記・中〉

強く言いたてる人。中心人物。張本人。

「智積、覚明、仏光等の―の輩六人」〈盛衰記・四〉

 

 

※※※※※

クリスマス🎄イヴ

 

❺苦します(受動)

❼苦しみましょう(呼びかけ)

❺苦しまず(否定)

❼祈りのNoël

❼聖しこの夜

 

❺クルシマス

❼クルシミマショウ

❺クルシマズ

❼イノリノノエル

❼キヨシコノヨル

 

英語

 (John Freeman Youngによる訳詞)

Silent night, holy night

All is calm, all is bright

Round yon virgin mother and child.

Holy infant, so tender and mild,

Sleep in heavenly peace,

Sleep in heavenly peace.

しずけき

 (カトリック聖歌#111)

静けき真夜中

貧し(まず)し 厩

神のひとり子は

御母の胸に

眠り給う

安らかに

ウィキペディア

 

日本人にとって、

クリスマスは🎄とても楽しい日になった。

キリスト教の信者でない人にとっても、

クリスマスは🎄とても楽しい日になった。

クリスマス位盛大にやろうか?

クリスマス位早く帰ろうか?

クリスマス位美味しい物を食べようか?

クリスマス位外で食べようか?

クリスマス位オモチャが欲しい。

クリスマス位奮発してよ。

日本人は凡ゆる年末の輝きを、

日本人は凡ゆる年末の言い訳を、

クリスマスに託した。

 

僕が生まれた昭和42年には、

既にクリスマスはその様な存在で、

クリスマスと言えば、

ケーキ、

七面鳥、(父はそう呼んでいた。)

クリスマスツリーが、

貧しい練馬の我が家にも、

当たり前の様に準備された。

そして小学生の頃には、

OLの叔母ちゃんが

ケンタッキーフライドチキンを買って来て、

いよいよクリスマスと言う行事は、

盤石の布陣で我が家の楽しみになった。

こんな楽しい日に、

家を出る、

家を出ないと、

始まる両親のDV日もあり、

それをクリスマスの日に行うのは酷である。

 

クリスマスは最初は16世紀、

キリスト教によって日本にもたらされた様である。

こうしてウィキペディアを俯瞰して見ると、

クリスマスが大正天皇の崩御日に重なり、

1926年から1947年まで、

大正天皇の祭日であった事が、

クリスマスが日本に定着した、

大きなひとつの要因であるらしい。

そして戦後その祝日が無くなり、

祝日で無くなった後でも慣習として残り、

またますます盛んになった様である。

Q

         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         

クリスマスは

いつから定着したのでしょうか?

「クリスマスが定着したのは、明治時代の1900年ごろといわれています。 この時代に日本でもクリスマスに関係する商品が販売されるようになり、クリスマスが少しずつ定着していきました。 1947年まで12月25日は大正天皇の命日(崩御日)であり、祭日でもありました。」

2024年11月21日

クリスマスが日本に定着したのはいつ?

 

その日はキリスト教の降誕と重なり、

その日は本当は日本人がクリスマスイブと言う、

24日が本当の降誕であった?様だが、

日本人にとっては年末に、

楽しく過ごす格好の口実として、

広く定着した様である。

 

クリスマスイブ

「日本では、誤って「クリスマス(12月25日)の前夜」と認識されることが多い。日常会話では単に「イヴ」(またはイブ)と呼ばれることがある。

〜中略〜

つまり、「クリスマス・イヴ」とは「クリスマスの前夜」ではなく、その言葉の通り、まさに「クリスマス当日の夜」なのである(日#一日の始まりも参照)[3][4][5]。ただし、キリスト教国(en:christendomにおいても常用時の概念を用いて「クリスマスの前夜」と説明することがある[6]。転じて、俗に12月24日全体を指すこともある[7]。」ウィキペディア

 

僕は毎年この日を楽しみにしていた男であり、

12月25日は娘美雪の誕生日でもあり、

誰彼みんなから娘が祝って貰っている様で、

クリスマスに何かを祝う事をここ数十年、

欠かした事は無い。

その日が祝日で無いにもかかわらず。

大正天皇の崩御は、

日本人の年末に喜びを与えたのである。

あの緑と赤と金のコードを見ると、

何故かワクワクする。

ジングルベル🔔のコードを聴くと、

何故かワクワクする。

 

考えて見ると、

人々は、

大晦日を厳かに祝う前に、

その前に集まって、

色々な形で、

語り合い、

楽しみ、

歌い、

踊り、

食い、

酔いたかったのである。

クリスマスはその為に、

絶好のチャンスであった。

キリスト教徒で有ろうと、

キリスト教で無かろうと、

人々は楽しく過ごしたかったのだ。

色々な問題はある様だが、

この日を全世界の人々の為に、

祝わせて貰いませんか?

苦しむ人も、

苦しまぬ人も、

苦しもうとする人も、

苦しみたく無い人も、

皆が共有する同じ時間を。

 

七面鳥

アメリカ合衆国やイギリスのクリスマスに鳥肉を食する文化が日本にも知られるようになったが、七面鳥の入手困難から鶏肉に代用されることが多い。英米に比べ概して気候的に食材の傷みが早く、七面鳥あるいはビーフのような大きいロースト肉を仕立てて常備菜的に日数をかけて食する慣習は日本人にはなじまず、大型の七面鳥を調理できるオーブンなどが2020年代に至っても家庭に普及していないこともあり、七面鳥の導入も進んでいない。おもな生産地は高知県、石川県、北海道で年間3000羽ほど。1億を優に超える鶏と比べると、好事家向け食材の域にとどまる。」ウィキペディア

 

クリスマスとは

「クリスマス(英語: Christmas)はイエス・キリスト降誕[注 1]を記念するで、[1]キリスト降誕祭(キリストこうたんさい、単に降誕祭とも)、降誕日[2](こうたんび)、聖誕祭(せいたんさい)、ノエル(: Noël)などとも呼ばれる[3]。「クリスマス」という英語は「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という意味に由来する[1]。」ウィキペディア

 

宗教

実は中世まではドイツなど欧州でもクリスマスは馬鹿騒ぎするイベントとして根付いていたが、キリスト教の世俗化を嘆いていた宗教改革者の啓蒙運動により、長い年月を経てではあるが、見直される様になっていく(但し、同じく改革側と知られるマルティン・ルタークリスマス・ツリー発案者説があるなど、一律とは言えない)。その後もアメリカにおいて、移民者の中の清教徒達が賃貸住宅大家達と共同で静かにクリスマスを過ごす様(入居者が飲酒により大騒ぎして住宅を壊したり汚したりしない様)に啓蒙運動を広めて一定の効果を得たり、1965年にクリスマスの本来の意味を説いたテレビアニメ『A Charlie Brown Christmas』が話題を呼んで注目されるなど、日本と同じくクリスマスを賑やかに華やかに祝う風潮の時代が少なからず存在した事をうかがわせる出来事も度々あった[13]。」ウィキペディア

 

クリスマスへの思い

「第265代ローマ教皇ベネディクト16世は、「無原罪聖マリアの祭日」(12月8日)とクリスマスの間の「聖なる降誕祭を準備する期間」(アドベント)について2005年、以下のようなコメントを発している。

現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。このような商業主義による「汚染」は、降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがある。降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。

— 教皇ベネディクト十六世の2005年12月11日の「お告げの祈り」のことばカトリック中央協議会

 

クリスマスが日本で始まったのはいつ頃ですか?

「日本に初めてクリスマスの前身がやってきたのは16世紀頃。 イエズス会のフランシスコ・ザビエルとともに来日した宣教師コスメ・デ・トーレスによって、国内で降誕祭が行われたとされています。 日本のクリスマスイベントとして庶民に広まったのは明治33年、銀座の明治座からクリスマス商戦をきっかけに始まりました。」

海外と日本のクリスマス文化の違い【ルアンのXmas2024】 - VMG Hotels & Unique Venueswww.vmg.co.jp › HOME › イベント

 

日本のクリスマスの歴史

「クリスマスは、文字通りイエス・キリストのミサの意であり、キリストの誕生を祝う降誕祭です。

日本のクリスマスの歴史は、1552(天文21)年に山口県で宣教師たちが日本人信徒を招いて、キリストの降誕祭のミサを行ったことが最初と言われています。

江戸時代に入るとキリスト教弾圧があったため、クリスマスは明治時代の初め頃まで受け入れられませんでした。

明治時代に改めてクリスマス文化が到来し、いち早く生活に取り入れたのは俳人である正岡子規だと言われています。

クリスマスが登場する子規の最初の俳句は、1892(明治25)年、子規25歳の句「臘八

ろうはちのあとにかしましくりすます」。

臘八という厳粛な仏教の行事の後に、やかましいクリスマスがやってくる、ということのようです。

その4年後の句は、「八人の子どもむつましクリスマス」。ここではクリスマスをほほえましい行事として捉えています。ちょうど5音の「クリスマス」が、カタカナの季語としての第1号として使われています。」ウィキペディア

 

クリスマスが日本で広まって定着するまでの歴史

「1900(明治33)年には、横浜で創業した明治屋が銀座に出店し、クリスマス向け商品を販売。

広くクリスマスが受け入れられるようになっていきます。

1912(大正元)年に発表された木下利玄

りげんの歌に「明治屋のクリスマス飾り灯ともりて煌きらびやかなり粉雪降り出づ」があります。華やかなイルミネーションが、この頃から街を彩っていたのがわかります。

1926(大正15)年の12月25日に大正天皇が崩御し、後に12月25日が大正天皇祭(休日)と定められたことが、クリスマスの習慣がさらに普及する機会となりました。

現在の日本はクリスマスを国家祝祭日としない少数派に属する国の一つですが、1927(昭和2)年から1947(昭和22)年までの21年間は、クリスマスは休日でした。

1950(昭和25)年頃、ベビーブームといわれる世代により、子どもの数が爆発的に増加。

この頃、不二家が日本独特のクリスマスケーキの原型を作ったといわれています。

その後デパートのクリスマス商戦が過熱するようになり、クリスマスは日本に定着していきました。

駆け足で日本のクリスマスの歴史を辿りましたが、歴史を振り返ってみると、クリスチャンが国民の1%に過ぎない日本人が、なぜこんなにもクリスマスが好きなのか少しだけ理解できたような気がします。」閃き工房

 
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