2024/12/8

 

【一切皆苦】

【諸行無常】

【諸法無我】

【涅槃寂静】

 

四門出遊④出家者

「釈迦が王城の四つの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会ったという伝説

 

これらの3つの光景を見た後、釈迦の心は悩みに満ち、人生で耐えなければならない苦しみについて悲しんだ[5]。

 

出家者

 

これらの3つのネガティブな旅の後、釈迦は4回目に、人間の苦しみの原因を見つけることに専念していた禁欲生活者を見た[6] 。この光景は、自らも繰り返し生まれ変わること(輪廻から生じる苦しみから、解放されるかもしれないという希望を釈迦に抱かせた[7]。そして釈迦は、禁欲生活者の例に従うことを決心した[1]。

"ayampana samma sārathi, puriso kiṅkato? Sīsampi'ssa na yathā aññesaṃ, vatthāni pi'ssa na yathā aññesa"nti. 

"Eso kho deva, pabbajito nāmā'ti.

Kimpaneso samma sārathi, pabbajito nāmā?"Ti. 

"Eso kho deva pabbajito nāma: 'sādhu dhammacariyā, sādhu samacariyā, sādhu kusalakiriyā, sādhu puññakiriyā, sādhu avihiṃsā, sādhu bhūtānukampā"ti.

「友なる御者よ、この者はどうしたのか? 彼の頭は他人とは異なる、彼の衣類も他人とは異なっている」

「殿下、彼は出家者であるのです」

「出家者とは、いったいどういう者であるのか?」

「殿下、出家者とは、よき法を実践し、よき寂静を実践し、よき善行を実践し、よき孝徳を実践し、よきアヒンサーを実践し、よき生命への哀れみある者ということです」

—長部大本経

釈迦はその出家者に近づき、このように訪ねた。

"tvampana samma, kiṅkato? Sīsampi tena na yathā aññesaṃ, vatthāni'pi te na yathā aññesanti?"

"Ahaṃ kho deva, pabbajito nāmā"ti,

"kiṃ pana tvaṃ samma, pabbajito nāmā?"Ti. 

"Ahaṃ kho deva pabbajito nāma, 'sādhu dhammacariyā, sādhu samacariyā, sādhu kusalakiriyā, sādhu puññakiriyā, sādhu avihiṃsā, sādhu bhūtānukampā'ti.

「友よ、あなたはどうなさったのだろうか? あなたの頭は他人とは異なる、あなたの衣類も他人とは異なっている」

「殿下、私は出家者であるのです」

「あなたが出家者であるというのは、どういうことであるのか?」

「殿下、私が出家者であるというのは、よき法を実践し、よき寂静を実践し、よき善行を実践し、よき孝徳を実践し、よきアヒンサーを実践し、よき生命への哀れみある者ということです」

—長部大本経

釈迦はそれを聞き、出家を決意したのであった[2]。

"tena hi samma sārathi, rathaṃ ādāya ito'va antepuraṃ paccaniyyāhi. Ahaṃ pana idheva kesamassuṃ obhāretvā kāsāyāni vatthāni acchādetvā agārasmā anagāriyaṃ pabbajissāmī"ti.

「友なる御者よ、それゆえ、車を内宮に引き返してほしい。ならば私は、いま髪と髭を剃り袈裟をまとい、家から出家しようと思う。」

 

出家。

僕はこうして日々、

老人施設に寝暮らし、

毎日聖天様の勤行を行い、

家族にも会えず、

子供にも会えず、

父親は死に、

母親は認知の為に施設に入り、

会う人会う人不敬罪の為に堅く口を閉じ、

家は全くの空き家で、

家は全くの埼玉の山中で、

この家に帰りたいと思っても、

障害者の僕は車椅子で、

数ミリの勾配も登れない。

比企郡の急勾配など夢のまた夢である。

こんな僕にも出家者の資格があるのだろうか?

お寺にすら行っていない。

 

こんな境遇の僕ではあるが、

病気の後、更なる仏教への傾倒を深め、

額に例の爽風が吹き、

何故か毎日涼しげな面持ちで、

健常者の日より遥かに清々とし、

なんと言うのか、

これが幸せと言うのだろうか?

そうゆう実体験を持つと、

やはり仏教は素晴らしいとは思うのだが、

正直言って仏教が、

上座部、大乗と別れ、

更に現在の日本は、

どう見ても葬式仏教が有力で、

死後の為の仏教で、

生きる為の仏教は、

オウムの🦜後遺症かはわからないが、

口に出すのも憚られる様子で、

寂しい限りである。

上記引用の四門出遊の一節を見れば、

なんの為にブッダが、

仏教を起こしたのか分かる。

死の為では無く、

生きる為だ。

 

成る程これでは、

まだ東南アジアの仏教徒の方が、

皆信心深いと言わざるを得ない。

某国で見た仏教を挙げればキリが無いが、

此処にこの目で見た、

彼の地の仏教の様子を羅列する。

 

ポジティブな側面

①お坊さんは結婚しない。女性に触れない。

 

タイの仏教には

どんなタブーがありますか?

タイの仏教マナー|女性は仏像・僧侶に触れてはいけない

「話しかける際は距離を取り、お布施を渡す際も手や体に触れてしまわないように、注意が必要です。 また、僧侶は電車や地下鉄などの公共交通機関を利用することも多く、近づいたり隣の座席に座ったりすることもタブーとされています。

タイのマナーは日本と違う?タイの礼儀とタブーについて解説www.dlife.co.jp › blog › thai-manners

 

②タンブン(喜捨)の時、お坊さんは裸足である。

裸足で国道や高速道路の端を歩く。道の掃除が届いていると言う保証は無い。ガラスの破片を踏まないと言う保証は無い。

③お坊さんは一般人と食事をしない。ただ食物の内容は普通人と同じであり、どの様な戒律があるのかわからない。ただし、禁酒は当たり前である。

④偉いお坊さんは、死後木乃伊か冷蔵されたケースに入っている。即身仏になる僧侶が多いのであろう。

⑤お坊さんは僧衣、と言っても橙か黄色の法衣を着ている。服として縫製されているのではない。布を巻き付けている感じだ。

⑥出家してお坊さんになった人もいるが、子供の頃からお坊さんで、学校もお寺の学校に行って、そのままお坊さんになる人も多い様だ。

⑦40℃を超える屋外を、修行の為にひたすら歩く。どこかへ行く時は、お坊さんは自分で乗り物を操縦する事は出来ないので、人の車に乗る。ピックアップトラックなら、炎天下の中、その荷台に乗る。

⑧喜捨の主体は、早朝に町なり人の玄関先を回って集めるタンブン(喜捨)である。

⑨また年末年始はお寺でお祈りをして過ごす人が多く、其処にもタンブンがある。

⑩結婚、出産、名前、自分の誕生日、親族の誕生日、家の新築、自動車やオートバイの購入、大学入学を初めとする人生のイベント、名前の改名、工場の新築と改築、病院、そうゆう人生の節々に全て仏教が登場する。

⑪例えば、一度棺桶の中に入って、自らを死んだ者とすると言う種類の行事もある。

 

ネガティブな面

①喜捨タンブンについては、資金を洗う為に行う信者もいる様で、またその為にお坊さんそのものがリッチな生活をしたり、お寺に高級車が止まっている場合もある。

②特に少年僧を対象とした、セクシャルハラスメントも良く聞く。

③贋坊主も沢山いる様で、大概はお寺を離れてお坊さんの格好をしているだけである。

④お金の絡む問題は多く、仏教の信仰に熱心であればあるほど、従来の仏教信仰から逸脱し、知足安分と言うより、知無更分の道を行くお坊さんも多いようである。以下に一例を引用する。

 

タンマガーイ

「タンマガーイ寺院は瞑想を中心としている仏教系新宗教[4]。その歴史は仏暦2513年(西暦1970年)2月20日のマカブーチャ(万仏節)にて、パラヤッド氏から寄贈された196ライ(約9万5千)の土地を、当時61歳であったクンヤーイ・アーチャーン・マハーラタナ・ウバシカ・チャン・コンノックユンと出家一年目のプラテーパヤーンマハームニー(ルァンポー・タンマチャヨー)、そして仏教に純粋な信仰心を抱く信者や弟子達の協力によって始まった。(当時は仏輪修行センターという名で、その後に国王から寺院建設の地域として賜り、1981年3月29日にタンマガーイ寺院へと改名した)。ルァンポー・タンマチャヨーは1999年に詐欺と横領の罪でタイ警察から逮捕状が出されている[5]。」ウィキペディア

 

以上思い出した儘に羅列した。

それでは四門出遊に戻り、

波羅提木叉とは何かを見る。

 

波羅提木叉とは

「波羅提木叉(はらだいもくしゃ、: prātimokṣa[1]:プラーティモークシャ、: Pātimokkha:パーティモッカ)は、仏教出家者である比丘比丘尼[注 1]の集団である僧伽における規則となる戒律条項を記した典籍(戒本)のこと[1]。

〜中略〜

(vinaya:ヴィナヤ)の中核を成すものであり、例えば、南伝の上座部仏教で用いられているパーリ語仏典であれば、この波羅提木叉の説明である「経分別」(suttavibhȧnga)に、僧伽の運営規則である「犍度」(khandhaka)と、「附随」(parivāra)が付け加えられる形で、「律蔵」(vinaya piṭaka)(通称「パーリ律」)が構成されている。

正式に僧伽の一員となった出家僧にとっては、この波羅提木叉も戒に含まれることになる。戒律とひとまとめに呼ばれるのもそのためである。比丘向けと、比丘尼向け、男女別にそれぞれ分かれている。一方で、在家信者や沙弥(見習い僧)が必ず守るべき: śīla: sīla:シーラ)は、三帰依を前提とした上で、基本的に五戒八斎戒、あるいは沙弥の十戒止まりである。

パーリ語仏典(パーリ律)内の波羅提木叉では、比丘向けが227戒、比丘尼向けが311戒となっている。

 

内容別に、以下の8種類に大別される。

  1. 波羅夷(はらい、pārājika:パーラージカ) - 僧団(僧伽)追放の大罪。
  2. 僧残(そうざん、: saṃghāvaśeṣa:サンガーヴァシェーサ、: saṇghādisesa:サンガーディセーサ) - 波羅夷に次ぐ重罪。僧団(僧伽)には残れるが、一定期間資格を剥奪される。
  3. 不定(ふじょう、aniyata:アニヤタ) - 女性と2人きりになること。比丘(男性出家者)のみを対象とする。上記内の罪を犯していないか嫌疑がかけられ、追及される。
  4. 捨堕(しゃだ、: naiḥsargika-prāyaścittika:ナイヒサルギカ・プラーヤシュチッティカ、: nissaggiya-pācittiya:ニッサッギヤ・パーチッティヤ) - 禁止物の所持、もしくは禁止方法での物品の獲得。懺悔が必要。
  5. 波逸提(はいつだい、: prāyaścittika:プラーヤシュチッティカ、: pācittiya:パーチッティヤ) - 様々な好ましくない行為。懺悔が必要。
  6. 提舎尼(だいしゃに、: pratideśanīya:プラティデーシャニーヤ、: pāṭidesanīya:パーティデーサニーヤ) - 食物の授受に関する禁則。懺悔が必要。
  7. 衆学(しゅがく、sekhiya:セーキヤ) - 服装、飲食、説法などにまつわる禁則。懺悔が必要。
  8. 滅諍(めつじょう、: adhikaraṇa-śamathā(アディカラナ・シャマター)、: adhikaraṇa-samathā:アディカラナ・サマター) - 僧団内の紛争収拾にまつわる規則。懺悔が必要。」ウィキペディア

 

出家については、

次回も続けて考えたい。

僕の出家に対する正直な考えを述べたい。

タンブンについては、ブッダはdhammapada(真理の言葉)でこう述べている。

これを聴くと上述の某国の仏教を思い出す。

 

第八章千という数にちなんで

「功徳を得ようとして、ひとがこの世で一年間神をまつり犠牲(イキニエ)をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、(真正なる祭りの功徳の)四分の一にも及ばない。

行ないの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている。」

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合掌

 

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