2024/9/11

120 右半身初期健康詩集⑤

般若心経

 

⑨般若心経

⑩瞑想

⑪髭剃り

 

⑨般若心経

午前5時半前後

 

奇数日は勤行をマスクに写経し、

偶数日は般若心経を誦える。

この先変わるかも知れないが、

今のところこれである。

お経についてはこの水曜日の投稿では触れないが、

よくお経を唱えたり、

よく写経をしたりして、

巷で言われる事は、

「心が落ち着く」である。

僕は未だ道半ば、

まだこの気持ちが分からない。

少なくとも毎回「般若心経」を唱える度に思うのは、

唱える度にお経の様子が違う事である。

唱える度にお経の形が違う事である。

出力する声や、

呼吸が口を通る様子や、

声を出し易い、

声を出し難い、

と言うお経の箇所が、

毎日違っていて、

落ち着くと言うよりは、

寧ろ落ち着かない。

「それは君が毎日変わっているからだろう」

或いは、

「君がそもそも変な人間だからじゃないか?」

と言う人もあるが、

勿論僕が毎日移り変わっているのは考慮している。

だが考慮してもそれ以上に、

これら勤行のお経は僕に落ち着く隙を見せない。

 

例えばある日は、

「受想行識」の箇所にまごつき、

ある日は、

「菩提薩埵」の箇所にまごつき、

ある日は、

「波羅僧」の真言の箇所にまごつく。

ある日は、

「仏説般若波羅蜜心経」のところで声が裏返り、

ある日は、

「不生不滅」のところで声が掠れる。

落ち着くどころか毎日が、

実にエキサイティングである。

お経から少しでも耳目が話せない。

暗記して唱えるなんてとんでもない。

暗記して写経するなんてとんでもない。

そしてこれこそが、

僕を仏教の座に毎日勤めさせる、

ひとつの理由である。

 

⑩瞑想

午前5時半前後

 

これについては僕から言う事は無い。

これについては僕が言える事は何も無い。

ただ日曜日の投稿で、

ブッダのアフォリズムの説話から、

この瞑想を知り、始めた。

特に好きな節を下記に紹介する。

お陰様でネポチズムの疑問に対する回答を頂いた。

瞑想は最終的に一日3回行う予定だ。

 

慈悲の瞑想

「慈悲の瞑想(じひのめいそう)、あるいは、慈愛の瞑想[1][2](じあいのめいそう、パーリ語: mettā bhāvanā[3]、mettā kammaṭṭhāna[4]、英語: cultivation of loving-kindness)とは、上座部仏教における瞑想の一種である。パーリ語の名称である「mettā bhāvanā」(メッター・バーヴァナー)は、「(慈愛)の育(はぐく)み」といった意味。

上座部仏教における、サマタ瞑想に入る際の40種類ある瞑想対象四十業処)の中に、「」の四無量心あるいは四梵と呼ばれるものがあるが、それを簡便化したのが現代において広く行なわれている慈悲の瞑想である。」Wikipedia

 

以下に一篇を参照。

 

私は、釈尊の言葉を念じます

私は、釈尊の言葉を念じます。

無始なる輪廻のなかで、私の母でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の父でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の兄弟でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の子供でなかった生命はいません。

無始なる輪廻のなかで、私の友人でなかった生命はいません。

釈尊の戒めを尊とうとんで、

一切の生命に慈しみの気持ちを抱きます。

すべての生命は私自身の父・母であると思います。

すべての生命は私自身の兄弟であると思います。

すべての生命は私自身の子供であると思います。

すべての生命は私自身の友人であると思います。

すべての生命は私自身の家族であると思います。

すべての生命は幸福でありますように。

 

合掌

 

⑪髭剃り

午前6時より

 

電動式髭剃りは最近少しその素性が分かって来た。

電動式髭剃りは最近少しその扱い方が分かって来た。

施設では刃物厳禁の為、

電動式のシェーバーを使わさせられ、

これが嫌で堪らなかった。

選択肢は無く僕は嫌々電動式髭剃りを使った。

電動式の髭剃りと、

剃刀を同じ思想から、

開発されたものではないと知るべきであった。

普通の剃刀はその名の如く、

髭を肌からこそぎ落とす物であるのに対し、

電動式シェーバーは、

髭の頭を叩いて少しずつ削っていくものであった。

だから、

徐々に徐々に髭は削れ、

気が付いたら髭の色が薄くなって行く。

剃れたか剃れないかの評価は、

少し離れて見て始めて成立する。

シェービングクリームを塗って、

髭を雪搔きして行く剃刀とは、

最初から狙いが違うのだ。

その最大公約数的電動式シェーバーの仕事ぶりが、

堪らなく嫌だった。

やはり仏教に帰依する者としては、これは困る。

本当は髭を叩く髭剃りは嫌だ。

 

剃刀

「剃刀(かみそり)とは、皮膚の表面の髪や体毛を除去するための刃物のことである。手動式と電動式がある。電動式は主に男性の髭を剃るために用いられる。語源は「髪剃り」から来ており、飛鳥時代に日本に伝来した当初は出家の際に髪を剃るための仏教の法具として使用されていたためである[1]。」ウィキペディア

 

右頬、

右眉、

右耳の周り、

右人中、

右顎、

右首、

僕は今回の右麻痺の為に、

この右側を名医に整形して貰っている。

整形していない左側面と比べると、

平坦なところが少ない。

毎日左と右で、

重点的に髭剃りする場所を変えている。

日によっては手元の三面鏡を、

立てたり寝かせたりして向きも変えている。

 

髭剃りは長い時で1時間かかり、

いずれにせよ最終的に、

髭剃りを終えるのは妥協だ。

多分どこまでいっても、

この髭剃りには慣れない。

でもこの髭剃りも、

アメリカ人のシックさんによって、

寒冷地でも髭剃りが出来るようにと、

発明されたものだと言う。

それを聞くと、

愚痴も少し和らぎ、

時間をかけてでも、

髭の頭を叩くしか無い。

 

シックさんとは

「通常の使用時には皮膚に何も塗布しないか、肌荒れを防ぐためにプレシェーブローションを塗る程度である。そのため、水が使えない場所でも簡単に用いることができる。電気シェーバーの発明者ジェイコブ・シック英語版)(18779月16日 - 1937年7月3日 安全剃刀メーカーシックの創業者)はアメリカ陸軍の軍人であったが、ある時アラスカに配属されることとなった。冬のアラスカでは水が凍ってしまい、髭を剃ることができないため、水を使わずに髭を剃る方法を1921年に考え出した。」ウィキペディア

 

以上

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