2024/9/6
金曜日「登場人物」と言う物語 83
「シンハビール」
真夜中12時前後のバンコク正子、
K君はドンムアン空港に到着した。
彼は大変な強行軍だったにもかかわらず、
何事も無かった様に顔色ひとつ変えず、
射抜きピンを僕に渡した。
彼は確か、
ノースウエストか、
ユナイテッドに乗っており、
今は知らないが、
この頃のアメリカの飛行機は、
バンコクに真夜中到着が多かった。
JALもタイ航空もチケットが高くて、
その代わり良い時間に、
ドンムアン空港に着くのだった。
悪い時間とは僕の様に、
初めてバンコクに着いて、
藤田先輩に置屋に連れて行かれるような時間を言う。
僕と営業マンのアナンは、
そこから北に70km程走った、
ナワナコン工業団地に向かった。
その時までの連絡は木田自動車の日本側であって、
ローカル側とは今日が初めてであった。
ナワナコン工業団地は古い工業団地で、
僕も多くのお客さんを担当していた。
でもどちらかと言うと、
自動車と言うよりは弱電関係が多い工業団地という印象だ。
大高精密は一度も行ったことが無かった。
大高精密の工場は、
規模はそれほどでも無かったが、
この夜中に従業員のピックアップが沢山停めてあって、
まるでシーフードレストランの駐車場の様であった。
何故シーフードレストランかと言うと、
工場に入った途端、
そうしたレストランにありがちな、
某国の、
ロック?、
ブルース?、
民族音楽?
が流れており、
工場の従業員は見るからにラフな格好をして、
右往左往と働いていたのである。
某国人はこうした非常事態に於ける残業に参加する時、
決して会社のユニフォームを着ない。
格好について彼等は執着し卦辞をつける。
それにはいくつかの説があるが、
①非常事態に手伝っていると言う彼等なりの、
労使の世界観と言う雰囲気作り。
②家の近所の人に、こんな時間に、
仕事に行くのかと思われたくない。
③奥さんに制服を着て、他の女性の所に行く時の、
戦略的準備段取り?
などである。
彼等程制服を大事に汚さずに着る人達は無い。
そして彼等の手には漏れ無く、
缶のシンハビールが掴まれている。
ほぼ全員だったのではないか?
非難するわけではないがシンハビールがうまいのは、
工場では無くシーフードレストランではないか?
と思いながら、日本人の担当者を探した。
シンハビールとは
「ビア・シン(เบียร์สิงห์ SINGHA BEER)とは、タイのブンロート・ブリュワリー社 (Boon Rawd Brewery Co., Ltd.) が1933年から製造しているビールのブランド名[1]。
〜中略〜
年間生産量は約10億リットル。シンハ・ビールまたはシンハー・
その語源となっているシンハーとはタイやインドの古代神話や壁画
ラベルに刻まれているタイ王室の象徴「神鳥ガルーダ」
日本国内にも輸入されていて、主にタイ料理店など、エスニックレ
このビールについているガルーダのマークは、
タイ航空の飛行機にもついていて、
如何にこのビールがこの国を代表するビールか分かる。
でもこのビールはちょっとアルコールがきつい。
それでウィキペディアにあるように、
氷を混ぜて飲んだりするのだが「爽やか」はちょっと?
ビールは3本以上飲むとマンネリになってしまい、
後は惰性と雰囲気に呑まれている感じで面白くない。
これは日本のキリン、アサヒ、にも言える事で、
沢山飲むと美味しい美味しくないと言う自律神経が麻痺し、
ビールを飲んでいると言う散文だけが踊り、
これをしてビールの本数を重ねていると思うのは、
僕だけだろうか?
またその国のビールは、
その国で飲まないと美味しくないと言う側面もある。
何本飲んでも何処の国で飲んでも美味しいのは、
コロナビールとドイツビールの一部ではないか?
シンハの白い缶は某国のシーフードレストランで飲んでこそ、
最高のパフォーマンスを発揮する。
訂正するが、
ビールを何本飲んでも美味しいと言う時点で、
脳がアルコールで麻痺しているので、
どんなビールでも正当な評価は難しい。
それにしても、
大高精密の日本人は現れない。
木田自動車の駐在の日本人が、
真夜中に出張って来ているからには、
この問題は普通のクレームではない。
しばらくして黒く日焼けした、
白いユニフォームを着た2人が現れた。
そう、木田自動車の日本人担当者だった。
1人は手にシンハビールを持っていた。
僕はある程度このシチュエーションを予測して居て、
恐らく相当の怒りをぶつけられる事を覚悟していた。
それはこの工場の状況を見れば、
誰のせいでこうなったのかは想像がつく。
木田自動車の1人、
加藤さんは紳士的な人で、
今回の管理不備に不満はあるものの対応を感謝していた。
しかし、もう1人の川海老さんは違った。
彼は既にシンハビールが入っている状況もあって、
その怒りっぷりは激しく、
その口をついて出る言葉は、
ただただ大高精密の某国人が「可哀想」である。
僕は思わず工場の床に膝をつき土下座した
そしてその土下座体制のまま、
朝方迄3時間程度、
川海老さんの怒りを拝聴した。
よく覚えていないが、
要するに僕等梅毒のミスが無ければ、
こんな徹夜にはならなかったと言う。
シンハを振る舞ったのも川海老さんらしい。
罪人はただひたすら傾聴し、
川海老さんの白いユニフォームを、
見つめるばかりである。
朝方、川海老さんの説教は終わり、
僕等は解放された。
説教も流石に疲れたらしく、
川海老さんは途中から謝り出した。
怒っていた人が謝り出すと、
何故か興醒めする物である。
残念ながら涙ひとつ出なかった。
後日、
再度大高精密に呼ばれ、
大高精密の某国の責任者に会った。
この一件の反省点も見直しつつ、
彼はあの連日の徹夜は僕のせいではない、
ときっぱり言った。
あれが日常茶判事だと言う。
木田自動車のスケジュールは、
会議毎に短くなり、
その度に徹夜になると言う。
「可哀想」と言うのは、
或いはそのどうにもならない、
日本の企業文化ではないかと言う。
彼は多分それが言いたくて、
僕を呼んだのだ。
僕はコメントしなかったが、
心の中で同意した。
彼等は一体誰と競争を、
しているのだろうと思った。
彼等を急かす木田自動車のユーザーとは、
誰だろうと思った。
やはりシンハビールは、
シーフードレストランで、
家族か愛人と飲むシンハが、
美味しいのだと、思った。
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