2024/09/1
お早う御座います。
日曜日は法句経、
ダンマパの写経です。
全部で26章ありますので、
一章一章写経し、
と言ってもiPadにインプットし、
①写経 投稿一周目
②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。
投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、
次の章へ進みます。
を繰り返します。
どうかお付き合いください。
「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(巴:Dhammapada
朗読 ブッダの真理の言葉
第22章 地獄 解釈編
【今章の心に響く一節】
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偽りを語る人
或いは自分がしておきながら、
私はしませんでしたと言う人、
この両者は死後には等しくなる。
来世では行いの下劣な業を、
持った人々なのであるから。
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「この両者は死後には等しくなる。」
この表現は、
この節が始まってから、
節の最後に至るまで一貫して、
我々人間の量刑について触れている。
量刑と言う表現しか見当たらなかったが、
人間の社会の量刑では通用しない、
厳粛な物を感じる。
何せ被告も証人も自分なのだ。
織田信長ではないが、
「是非に及ばず」である。
今僕は25年間、
某国で散々嘘をついてここにいる。
これは是非に及ばぬ事である。
だからこれからの余生を、
嘘無しに暮らしたい。
出来るだろうか?
嫌、
必ずやりましょう!
【一切皆苦】
「諸行無常」に続き今回は
「一切皆苦」について考えようと思ったら、
既にスライドを作成してあった。
従ってスライドに僕の想起を添えさせて頂く。
数が多いので今回では終わらない。
四諦についてググったところ、
臨済宗のお寺の言葉は新鮮だった。
『「人生をあきらめましょう」
臨済宗妙心寺派正圓寺
元営業マンの感想は下記のとうりだ。
人間は諦めない事によって多くの仕事を得、
人間は諦めない事によって多くの友人を失う。
人間は諦めない事によって更に多くの仕事の維持を迫られ、
人間は諦めない事によって多くの家族との時間を失う。
人間は諦める事によって多くの友人を得て、
人間は諦める事によって多くの複数の自分自信を得る。
人間は諦める事によって更に多くの精神の自由を得る。
諦めとは責任の放棄では無い。
諦めとは、
自分と言う人間は何であるかを、
自分で明らかにする事だ。
次回の解釈で四苦八苦を。
八正道は以前にスライドを掲載しました。
【慈しみの瞑想】③
全ての生命は兄弟
私は、全ての生命が私の兄弟であると思えるように精進します。
私は、全ての生命と私が平等であると思えるように精進します。
私は、全ての生命の幸福と繁栄を期待します。
私は、生命の間で調和が保たれるように精進します。
合掌
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