2024年 8月26日 月曜日
【人権宣言記念日】
1789年のこの日、フランスの憲法制定国民議会が「
【ナミビアの日】
国連が制定。
1990年3月に独立したアフリカ南西部の国、
1958年のこの日に南西アフリカ人民機構(SWAPO)が結成
【シルマンデー,ユースホステルの日】
ユースホステルの創始者リヒャルト・シルマンを記念する日。
シルマンはドイツの小学校教師だった。1909年のこの日、
この経験から、旅行中の青少年が何かあった時に駆け込め、
世界中のユースホステルで記念行事が行われる。
• 日本ユースホステル協会
• 国際ユースホステル連盟
【許六忌】
江戸時代の俳人で松尾芭蕉の弟子の森川許六の正徳5(1715)
• wikipedia - 森川許六
Cảm ơn
富山いづみ <admin@nnh.to>
【人権宣言記念日】
人権とは
「人権(じんけん、英: human rights)とは、単に人間であるということに基づく普遍的権
人権について書こうと考えたが、
これは文学部国文科の僕に大きなハードルである。
少し勉強をしようと思ったが、
多分この部首が四角い漢字の羅列を、
最後まで見るのは無理だ。
だから僕の居る施設を、
日本のモデルとして考えた。
僕は57歳、
この老人の介助施設に居る。
一週間に30分3回のリハビリをし、
一週間に2回の風呂に入り、
一日3回の食事をとり、
午前9時と午後3時にコーヒーが出て、
午後3時にオヤツが出る。
その他数杯のニャンベンティーも飲んでいる。
朝は6時までに起き、
夜は21時に消灯だ。
それ以外は自由だが、
余程のことが無い限り、
施設の外には出ない。
この自由はここに居る事によって、
担保保証されている。
ただこんな人は、
ただこんな年齢層の働き盛りの人は、
僕と数名で、
それはあくまでも脳出血によって、
「若く」して半身付随になり、
尚且つ結婚もしていない?
独身者であるから、
この施設に居場所を得ている。
では他の、
60歳、
70歳、
80歳、
90歳、
100歳、
とのお年寄りはどうであろう?
不治の病にかかった人は、
不治の病で瀕死の人は、
多分いないと思う。
闘病生活真っ只中と言う人は、
多分いないと思う。
リハビリしなくちゃ!
何とかしなくちゃ!
と言う感じの人々だ。
彼等は自分の家を持っていたり、
彼等は借家だったり、
彼等は家族と居たり、
彼等は奥さんと居たり、
彼等は息子や娘と仲が悪かったり、
彼等は孫と居たかったりと言った、
ごく普通の県民市民である。
彼等の「普通」に暗雲が垂れ込めているとすれば、
①転ぶ
②歩けなくなる
③認知を発症する
④或いは僕の様に半身麻痺となる
⑤或いは複合
で救急車で病院に運ばれるか、
家族が介助に疲れこの施設に運ばれるか、
のいずれかと思われる。
直立二足歩行が出来ない場合、
この様な施設から出るのは、
余程のお金持ちで無ければ難しい。
また直立二足歩行が出来ても、
認知の症状が有れば、やはり難しい。
観察すると、
認知の症状の人は進行が、
一方通行の様に見える。
良くなって行く人は見ない。
断っておくが、
僕もこの階の100名の患者の一人であって、
決してこの人達を皮肉っている訳では無い事を、
お断りしておく。
今の僕はこの建物を出たら生きて行けない。
お年寄りは、
今まで普通の人、
普通の県民であったので、
この施設で初めて障害者としてデビューする。
家族の間で守秘義務になっていた事が、
全て他人の前に披瀝される。
鼾、
難聴、
真夜中の放浪、
怒鳴り、
泣き、
泥棒癖、
お漏らし、
寝言、
歯軋り、
叫び、
徘徊、
ありとあらゆる性癖は、
まさかこれだけの立派な大人になってから、
人前で晒すとは彼等は思わなかった筈である。
晒すだけならならいざ知らず、
ここの若い介助士に、
オムツを替えてもらい、
あまり素行が悪いと叱られる時もある。
既に認知が進んでいる人の気持ちは、
何を感じているのか定かではないが、
正常なお年寄りには屈辱の体験だ。
彼等にとっては正に人権の危機である。
でも同じ施設に一緒に居る人を、
施設は積極的にプライバシーを明かすことは無い。
自分で明かすのは自分の勝手だ。
或いは近所に住んでいた人で、
面が割れている場合もあるらしい。
ケースバイケースだ。
重要なのはこのケースバイケースの精神である。
揺るぎない法の精神より、
ユラユラと揺れ動くケースバイケースの精神だ。
ここの、
看護婦さん、
介助士さん、
を見ていると関心するのは、
最低限の介助を常に心掛けている事である。
なるたけ自分の力でやる事である。
そうして言うのは、
「私だって歳を取れば楽をしたいとは思うが、
今まで散々見てきたここのお年寄りを見れば、
人間は死ぬまで楽は出来ない」と言う事だ。
楽を標榜すれば標榜する程、
人間は本来の存在意義を消失する。
看護婦、
介助士の人達は、
そうゆう人を沢山見ているから、
我儘な老人に対して、
ドライな諦観を持っているのに違いない。
そして何より、
自分の将来を毎日見ていると言う思いも強そうだ。
無視出来ない未来なのだ。
勿論日本人は年上の人に礼を尽くすと言う事を重んずる。
でもお爺さんお婆さんの現実は、
それどころじゃ無い。
直立二足歩行の分岐点に居るのだ。
介護が必要な人は何人くらいいるのでしょうか?
「○ 第8期介護保険事業計画の介護サービス見込み量等に基づき、
第8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について - 厚生労働省www.mhlw.go.jp › stf › houdou
日本の要介護者の割合は?
「年代別の人口に占める要介護認定者の割合は、40~64歳では
介護や支援が必要な人の割合はどれくらい? - 公益財団法人 生命保険文化センターwww.jili.or.jp › lifeplan › lifesecurity
SFとして、
ノンフィクションとして、
これ以上介助される人が増えたらどうであろう?
そうで無くても僕と一緒に居る世代は、
戦前、戦中に生まれた世代、
戦後すぐに生まれて来た世代である。
この苦労をして来た世代でさえ、
歳を取ったら楽をしようと考える。
では、僕の様な、
オリンピックや、
万博の時生まれた世代はどうであろう。
他人事の様にゾッとする。
今僕は右半身が麻痺して、
リハビリのお陰で辛うじて誰の介助の世話もして貰わず、
でもお風呂は介助して貰っている。
いつだか分からないこれから、
こうした施設にお世話になろうとしている貴方に一言アドバイスが
「体重は減らしましょう」
僕は倒れる前は90kg以上あり、
倒れ8ヶ月入院して、
この施設に入り、
知足安分の生活をしたら、
今は60kgになった。
数ヶ月前に思わず、
「体調も良くなったしもう少し多目に食べたいなあ」
と看護婦さんに言ったら、
「体重を増やすのはいいけど、
と言われた。
自分で動けないと言う事は、
ここではリアルな自分自身の人権問題だ。
合掌
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