2024/08/18

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

第21章 さまざまなこと  解釈編

 

今回は前回に続き、

20章で触れた諸行無常について話したい。

先ずは下記のウィキペディアの記事をご覧ください。

 

Aniccā vata saṅkhārā uppādavayadhammino, 

Uppajjitvā nirujjhanti tesaṃ vūpasamo sukho

諸行無常 是生滅法

生滅滅已 寂滅為楽

実に諸行は無常である、生じては滅する性質である

生じて滅する、これらが鎮まるのがである。

パーリ仏典, 長部16, 大般涅槃経, Sri Lanka Tripitaka Project

 

諸行無常とは

「諸行無常(しょぎょうむじょう、: sabbe saṅkhārā aniccā、सब्बे संखारा अनिच्चा)は、仏教用語で、この世の現実存在(森羅万象はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラを指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味[1]。」ウィキペディア

 

日本の諸行無常

いろはにほへどちりぬるを  諸行無常

わがよたれぞつねならむ   是生滅法

うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已

あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽

ウィキペディア

 

そして、

下記の狩猟生活に関する僕のまとめを読んでいただきたい。600万年、人間は決して肉体は他の生物より優れている訳では無いが、二足直立歩行に於いて、他の生物に対して大きなアドバンスを得、この地球上の生物の支配者みたいに振舞っている。でもその実、自分がどこから生まれて来て、自分が死んで何処に行くのかわからない。

2つのナリカーを思い起こそう。

 

☆人類のナリカー(時計)①

●人類は600万年、ずっと狩猟採集生活者だった

●この今の人間の前頭葉で🧠発明したお金を用いる生活を、人々はなるべくしてなった生活だと思っている。(そうか?)

●定住生活をせず、狩猟採集の食料で生活してきた。当然、農耕、牧畜など全く行わない。所謂、現代人の嫌うその日暮らしだ。

●今の文明社会は600万年の最後の一秒分。

●1万年前に農耕と牧畜が世界のいろいろなところで始まったというだけの話で、それでもまだほとんどの人が狩猟採集を続けていたわけです。

 

※※※※※

 

☆人類のナリカー(時計)②

 

50億年前 

生命の誕生

一年に例えると

誕生日が元旦

共通祖先の誕生日が2月17日

カンブリア爆発 11月18日

生物が陸上に上がる 11月26日

恐竜の誕生日が12月15日

人類の誕生日 12月31日 午後7時

生物はほんの40日

 

※※※※※

 

僕が何故ブッダに帰依するか説明しよう。

僕は日本人だが性に於いて放逸な男だった。

僕は男だが女性に対して奥手であった。

僕はだから某国で春を買った。

僕はだから某国で何人もの女性と付き合い、

僕はだから全部で3人の娘の親であると思っていた。

僕はしかし事実を全く勘違いしていて、

僕の妻や愛人と思っていた人々は皆国家公務員であった。

僕の妻や愛人と思っていた人々は皆、国家の英雄だった。

僕の娘だと思っていた少女は、皆人の子であった。

僕の放逸たる諸行は少なくとも7千万の某国国民に常に見られて、監視されていて、

僕は誰にも申し開きの出来ない大悪人だった。

僕は誰にも申し開きの出来ない恥かきっこだった。

僕の偸盗、

僕の邪見、

僕の妄語、

僕の綺語、

僕の悪口、

僕の両舌、

僕の慳貪、

僕の瞋恚、

僕の邪見は、

全て白日の元に晒されていた。

十善戒の内、生き物を殺生しなかったのが、

不幸中の幸いだった。

小さな虫には自信が無いが、多分。

 

死ぬに死ねず、

某国には追い出され、

おは打ち枯らして日本に帰り、

挙句脳出血で倒れ右半身麻痺となった。

僕は思った。

今までと真逆の事をやろうと思った。

そして一刹那も嘘の無い人生を歩もうと。

なにせ僕の生活は、

なにせ僕のプライバシーは、

ここでも常に監視されている。

だからではない。

でもきっかけは「だから」だったかもしれない。

 

常にこの生活をして来て早2年半、

意識して仏教に帰依して早1年半、

一本の髪の毛すら捨てる事が出来ない自分に気がついた。

従来の監視者ではない、

自分の中にあるレムさんに気がついた。

僕はレムさんとこの身体を共有している自分に気がついた。

この身体は僕だけの身体では無く、

僕が寝ている間はレム君が、

働いている事に気がついた。

身体を保守し、

維持している事に気がついた。

毎日の勤行の声、

毎日の勤行の苦しい抑揚、

毎日の身体の変化、

毎日の味覚、

毎日の排泄、

毎日の靴の履き心地、

毎日の己の機嫌、

毎日の己の躁鬱と、

毎日の己の髭すら、

全てが諸行無常に流れている事を教わった。

夜も活動しているレム君の存在もまた

人間は生きている間は静止することのない、

諸行無常だった。

 

この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。」ウィキペディア

 

諸行無常にある自分は、

ただひたすら動く運動体で無ければ行けないと悟った。

これが生きる道だ。

そして慈悲を携えて。

 

合掌

 

以下に、

慈しみの瞑想②

 

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように

私に、他者に対する慈しみの気持ちが現れますように。

他者に対して、優しい心で対応することができますように。

私のこころに、他を差別する気持ちが現れませんように。

苦しい状況に遭遇しても、忍耐することができますように。

私のこころが、常に平安でありますように。

私のこころの汚れが、徐々になくなりますように。

私に、ありのままの事実を発見することができますように。

私に、真理を発見する智慧が現れますように。

私に、一切の現象に対する愛着がなくなりますように。

私に、悟りの光が現れますように。

 

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