❺괜찮아요

(gwaenchanh-ayo)

❼Không có gì に

(ゴン コー ジー)

❺Nothing 

(ナッティング)

❼ไม่เป็นไรと

(マイペンライ)

❻何でも無い

❽無という有(う)聞く

❼空蝉の夕

 

❺クエンチャナヨ

❼コンコージーニ

❺ナッティング

❼マイペンライト

❻ナンデモナイ

❼ムトイウウキク

❼ウツセミノユウ

 

「無」と言う字はそもそも「無」いに見えない。

むしろ「一」以上に無いの字画は多い。

無と言う字について調べたところ、

その語源は意外だった。

舞なのだ。

僕はこの「無」の方眼紙の様な姿に、

てっきり深淵な哲学があると思っていた。

でもよく見ると舞の文字にも、

不吉なものを感じないでも無い。

ブッダはこの「無」について、

下記の様に説いていた。

但しブッダの「無」は漢字では無い。

 

無とは

「無(む、无)とは、ないこと、存在しないこと。事物あるいはとなる事柄がを成さないといった様態及び概念物体が物質的構成を成さないこと。一切の否定を一般化した表現。対義語は「定義されていない(未定義)」事とは意味合いが異なる場合がある。」ウィキペディア

 

お釈迦様の説く無

「釈迦の説く仏教の内容は、文献や学派によって異同があるものの、ほぼ次の五つに集約される。

未生無(みしょうむ)

原因が無いとき、結果は生じて無いということ。

已滅無(いめつむ)

過去にあったが滅したものは、すでに無いということ。

不会無(ふえむ)

今この場所に無いということ。

更互無(こうごむ)

AはBでは無い、BはAでは無いということ。

畢竟無(ひっきょうむ)

過去に無く、未来に無く、現在にも無いということ。存在し得無いこと」ウィキペディア

 

¥

 

ところでこの間蝉について詠んだ。

あの蝉のオペラの翌日、

南海トラフ地震と思われる地震が、

宮崎県、高知県を襲った。

施設の誰かがこの蝉と、

この地震の霊的関連を疑い、

そう言えば確かに本当に長い時間、

壮大なオペラだったと思った。

あれは霊的では無く蝉の真実だと思う。

 

この様な地震は、

僕が大学生だった1980年代の東京に頻発した。

僕が大学生だった1980年代の多摩市に頻発した。

あまりにも揺れるので今度は駄目かと思った。

でも意外にもその思いは外れ、

地震は、兵庫県、東北、アンダマンに起きた。

地震が起きるたびに思う。

地震が起きるたびに連絡を取り合う

今度は大丈夫か?

今度は何でも無いか?

今度は皆無事か?

地震だけでなく、

他にもこんな例がいくつもあるが、

「無」とは「有」よりも遥かに多く使う「言葉」で有る。

 

空蝉とは

「この世に生きている人間。古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの。転じて、生きている人間の世界、現世。うつそみ。

空蝉 - セミの抜け殻(またはセミそのもの)を指す、夏の季語ウィキペディア

 

無の成り立ち

「文字の形だけではありません。礼儀(れいぎ)にはずれたことを「無礼」といいますが、この場合のように「無」は「舞」と同じ「ぶ」とも読みます。

 でも白川静さんの漢字学を知って、こんな疑問(ぎもん)は当然のことなのだと思いました。「無」は人が衣の袖(そで)に飾(かざ)りをつけ、その袖をひるがえして舞(ま)う人の姿(すがた)をそのまま

文字にしたものです。つまり「無」は「舞」の元の字の形なのです。

 漢字のルーツは物の形を文字にした象形文字ですので、形のないものを表すのが苦手です。そんなときは別な字を借りて、その意味を表しました。

 形や物が「ない」ということを漢字は表せないので、本来は「まい」を表す「無」を使って表すようになったのです。「無」がもっぱら「ない」意味に使われだしたので、舞うときの足の形である「舛(せん)」を加えて「舞」の文字ができました。」https://www.47news.jp/19545.html

※※※※※

Phục hồi chức năng

(Rehabilitation)

 

❺リハビリは

❼杖を掴みて

❺廊下這う?

➓一挙手一動足

❽回旋漸増

 

❺リハビリハ

❼ツエヲツカミテ

❺ロウカハウ?

➓イッキョシュイチドウソク

❽カイセンザンゾウ

 

僕は今、週に3回リハビリを受けている。

僕は今、すっかりリハビリを誤解していた。

僕は今、リハビリを誤解していた事を後悔している。

 

僕のリハビリのイメージと言えば「踊る大捜査線」だった。

僕のリハビリのシンボルは、織田裕二だった。

僕のリハビリのシンボルは、銃で撃たれてリハビリを必要としていた。

僕のリハビリのイメージは、杖にしがみつき病院の廊下を進む織田裕二だった。

僕のリハビリのイメージは、歯をくいしばって廊下を這いずり歩く織田裕二だった。

僕のリハビリのシンボルは、いつの間にか歩ける様になりケロッとしている織田裕二だった。

 

ところが実際には、リハビリとは実に気の長い作業であった。

ところが実際にはリハビリとは実にドラマの無い作業であった。

ところが実際にはリハビリでは、松葉杖を使うことは無かった。

ところが実際には、リハビリとは気の抜けない進化を遂げて行く作業であった。

ところが実際には、リハビリとは5歩前進4歩後退の運動であった

ところが実際には、リハビリには痛いリハビリと気持ちいいリハビリがあるらしかった

僕は前者だった。

 

何ミリ、

何ミクロンの回旋の変化を、

注意深く観察して、

その進化に自分を賭けよう。

微笑を持って進化を為せ。

Đừng bỏ cuộc nhé.🇻🇳

諦めないでね。

 

 

踊る大捜査線とは

「『踊る大捜査線』(おどるだいそうさせん)は、フジテレビ系列で放送された日本の刑事ドラマシリーズ。

〜中略〜

元敏腕営業マンの青島俊作脱サラして警察官となり、交番勤務を経てようやく念願の刑事課勤務となる。だが、青島の配属された警視庁湾岸署は「空き地署」と陰口される東京の僻地。配属直後に管内で事件が発生し、青島は意気込んで現場に向かうものの、「所轄刑事」として現場検証すらさせて貰えない。青島は強行犯係の大先輩で定年間際のベテラン刑事和久平八郎から所轄刑事の心得を叩き込まれる。それは青島が思い描いていた理想の刑事像と大きくかけ離れた地味で冴えないものだった。」ウィキペディア

 

回旋とは

  (かいせん :「廻旋」の「同音の漢字による書きかえ」)

  1. ぐるぐる回ること。旋回
  2. (植物学) 植物などが支柱などに巻き付いて伸びていくこと。
  3. (解剖学) 四肢頸部胸部腰部が位置を変えずに長軸を中心として回転運動
  4. (生理学) 胎児産道の形に合わせて向きを変えながら回転して降りてくること。」コトバンク

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