2024/7/19
金曜日「登場人物」と言う物語 77
時間を買う「メイ①」
時間でお金を買う。
僕にとってこれは買春行為である。
僕にとってこれはこれしか経験した事の無い世界である。
そして彼女にとっては売春行為である。
お金と言う落とし所で納得して、
ある一定の時間を共有する。
但し共有の方法、
形態は明確では無い。
明確でないからお互い何処かに不満もある。
明確でないから時間外に辞める事もある。
形態は法律で決められているわけではない。
でもお金で終わる事が出来るなら未だ幸せだ。
僕には、
ベンジャマスタサが居て、
HIV、
地縛霊の憑依、
筆舌に尽くしがたい貧しい家庭、
僕に対する刃物を使った殺傷未遂、
底のないお金の無心、
行方不明のムエタイ選手の兄、
心臓の悪い姪っ子、
これらを全て背負って、
僕は彼女をお金で買い、
彼女の身柄を請け出し、
数十年間、
彼女との時間を独り占めした。
彼女と入籍までして、
彼女に買った家も取られ、
彼女に家庭裁判所に訴えられ、
彼女の籍を抜くのに慰謝料まで取られ、
しかも日本で
の彼女の籍は未だに残っている。
二人の同意が無ければ日本での籍を抜く事は出来ない。
誰も羨ましがらない泥沼だ。
僕には、
オラタイが居て、
やはりベンジャマスタサと同じように、
時間で彼女の時間を買い、
やはり彼女はHIVで、
子宮頚がんで、
その治療費は全て僕が出し、
何とか治療をしたと思ったら、
田舎に帰ってしまった。
彼女は僕の知らないところで死んでしまった。
彼女の場合、
僕は彼女のアパートの部屋に入った事も無い。
死に顔も見ていない。
本当に死んだかどうかもわからない。
そしてこの全ての事が、
嘘だったとしたらどうであろう。
そしてこの全ての事が、
カミングアウトの一端の妄語ならどうであろう。
多分僕は日々、
こうして明るく生きているなんて、
余程強靭な神経か、
余程鈍感な神経か、
いずれかを持ち合わせているに違いない。
多分僕は、
自分に起こっている事がらを、
現実だと思えないのである。
死すら、
現実だと思えないのである。
何故かこれらの事を忘れ、
また新しい女性の時間を求めた。
オラタイの頃から出芽した、
時間に関する独特の感情である。
1秒でも1分でも長い間貴女と居たいと言う、
下手な作詞家の歌詞である。
これまでの事もあり、
僕は時間を共有すると共に、
その心の中をもある程度、
風通しが良い女性と付き合いたかった。
嘘をつくなとは言わないが、
嘘をつくのが下手な女性と付き合いたかった。
健康で、(病気をせず)
元気で、(見た目に軽やかで)
美しい、(誰から見ても)
そんな女性と付き合いたかったのだ。
オラタイが亡くなった時、
僕は友人?の小林君と御墓参りをしようと、
チェンライに車で出かけた。
小林君は梅毒株式会社出入りのプログラマーで、
チェンライの彼女に会いに行くと言うから、
一台の車で運転を交代し合い同道した。
その時既に僕はメイ(ジラパット)と付き合って居た。
その時既に僕はメイの常連客だった。
メイは両親が別々の県出身で、
父親はバンコクに近いスパンブリー県に、
大きな果物畑を持っていて、
酔っ払いで貧乏。
母親はチェンマイの出身で、
本人はチェンマイの街中で裁縫などをして、
生計を立て、これも大変な貧乏。
彼女の家は大家族でチェンマイの山奥で、
僕の理解の中では林業をしていた。
手工具で木の家具を作っていた。
僕はオラタイの御墓参りに行った後に、
メイがチェンマイに居ると言うので、
訪ねて行くつもりだった。
オラタイには死ぬ前に会いたかったが、
実のところ僕は人の死顔など見た事が無く、
それでも彼女の晩年に僕が居たのは、
紛れもなく事実なので、
お墓参りぐらいはしようと思ったのである。
勿論ベンジャマスタサには、
小林君と口裏を合わせ、
妄語、両舌を駆使して。
バンコクからチェンマイの道のりは、
山また山である。
それでも所々直線もあるが、
チェンマイの周りは明らかに山道となる。
山の勾配とカーブの連続は「いろは」に近い。
バンコクからチェンマイの道のりは、
観光旅行客も多い事から、
比較的道はよく整備されていて、
工程の殆どが4車線対抗であった。
でもチェンマイから先は違う。
ランパン、
ランプーン、
プレー、(ベンジャマスタサの実家)
パヤオ、
チェンライ迄は、
殆どが二車線対抗、
途中工事をしていて広い道もあるが、
こうゆう道に限って山の中で、
未だ車線を描いていなかったりする。
対抗の車が時速140km前後で飛び込んで来る。
人のお墓参りに行くと言うのに、
非常に危険な道のりだ。
僕達は悲鳴を上げながら、
全行程12時間かけて、
オラタイのチェンライに到着した。
続く。
いろは坂とは
「いろは坂(いろはざか)は栃木県日光市馬返から、同市中禅寺湖
畔間の国道120号の坂道を指す。 〜中略〜
いろは坂の名称は、初期のいろは坂が48箇所のヘアピンカーブが
あったことからその名が付けられたとされる[1]。 初期のいろは坂から改良された現在の「いろは坂」は、華厳滝があ る華厳渓谷を挟むように、北側に山下り専用の第一いろは坂と、 南側に山登り専用の第二いろは坂に分けられ[2][3]、 この二つの坂に存在する48のカーブをいろは48音に例えており 、個々のカーブには音に対応する文字板が建てられている[1]。 二つの坂道は、ふもとの馬返(うまがえし)と山頂の中禅寺湖畔で それぞれ合流する。」ウィキペディア
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