2024/6/30

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

18章 汚れ 写経編

 

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汝は今や、枯葉の様な物である

閻魔王の従卒もまた汝に近づいた

汝は今死出の門出に立っている

しかし汝には旅の糧さえも存在しない

だから自己の拠り所を作れ

速やかに勤めよ

賢明であれ

汚れを祓い、

罪科が無ければ、

天の尊い所に至るであろう

 

汝の生涯は終わりに近づいた

汝は閻魔王の近くに赴いた

汝には道すがら安らう宿も無く

旅の糧も存在しない

だから自己の拠り所を作れ

速やかに勤めよ

賢明であれ

汚れを祓い、

罪科が無ければ、

汝は最早、

生と老いとに近づかないであろう

 

聡明な人は、

順次に少しづつ、

一刹那毎に、

己が汚れを除くべし

鍛治工が銀の汚れを除く様に

鉄から起こった錆びが、

それから起こったのに

鉄自身を損なう様に、

悪を成したならば、

自分の業が罪を犯した人を、

悪い所、地獄に導く

 

読誦しなければ、

聖典が汚れ、

修理しなければ、

家が汚れ、

身なりを怠るならば、

容色が汚れ、

なおざりになるならば、

勤め慎しむ人が汚れる

 

不品行は扶助の汚れである

物惜しみは、

恵与える人の汚れである

悪事は、

この世に於いても、

かの世に於いても、

常に汚れである

この汚れよりも、

更に甚だしい汚れがある

無明こそ最大の汚れである

修行僧らよ

この汚れを捨てて、

汚れ無き者となれ

恥を知らず、

烏の様に厚かましく、

図々しく、

人を責め、

大胆で、

心の汚れた人は、

生活しやすい

恥を知り、

常に清きを求め、

執着を離れ、

慎み深く、

真理を見て、

清く暮らす人は、

生活し難い

 

生き物を殺し、

偽りを語り、

世間に於いて与えられていない物を盗り、

他人の妻を犯し、

酒、果実酒に耽り溺れする人は、

この世に於いて自分の根元を掘り崩す人である

 

人よこの様に知れ、

慎みが無いのは悪いことである

貪りと不正との故に、

汝が長く苦しみを受ける事の無いように、

 

人は信じる事に従って、

清き喜びに従って、

施しを成す

だから、

他人のくれた食物や、

飲料に満足しない人は、

昼も、

夜も、

心の安らぎを受けない

もしも、

人がこの不満の思いを断ち、

根絶やしにしたならば、

彼は、

昼も、

夜も、

心の安らぎを得る

 

情欲に等しい日は、

存在しない

不利な賽の目を投げたとしても、

怒りに等しい不運は、

存在しない

迷妄に等しい綱は、

存在しない

妄執に等しい川は、

存在しない

他人の過失は見易いけれど、

自己の過失は見難い

人は他人の過失を、

籾殻の様に吹き散らす

しかし自分の過失は、

隠してしまう

狡猾な賭博師が、

不利な賽の目を隠してしまう様に

 

他人の過失を探し求め、

常に怒り猛る人は、

煩悩の汚れが増大する

彼は煩悩の汚れの消滅から、

遠く隔たっている

 

虚空には足跡が無く、

外面的な事を気にかけるならば、

道の人では無い

人々は汚れの現れを楽しむが、

修行完成者は汚れの現れを楽しまない

 

虚空には足跡が無く、

外面的な事を気にかけるならば、

道の人では無い 

作り出された現象が、

とこ永遠である事はあり得ない

 

真理を悟った人々、

ブッダは動揺する事が無い

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