2024/6/23

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

17章 怒り 解釈編

 

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怒りを捨てよ

慢心を除き去れ

如何なる束縛をも超越せよ

名称と形態に拘らず

無一物となったものは、

苦悩に追われることが無い

 

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まずこの最初の節が胸を打つ。

恐縮なのですが、

この「ブッダの真理の言葉」を通して言える事は、

最初の読み始めは余りピンと来ない。

だが一度写経をして時間を過ごすと、

何故かそれが自分の極私的個別具体事例を、

仏様が語ってくれている様に見えてくるから不思議だ。

 

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如何なる束縛をも超越せよ

名称と形態に拘らず

無一物となったものは、

苦悩に追われることが無い

 

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それは正に全ての人に呆れられ、

それは正に全ての人にさげずまれ、

それは正に某国にいた家族の全てに「無用」を突き付けられ、

それは正に財産も借金も自分の物は何一つ無く、

それは正に7000万の某国人と、

1億数千万の日本人に蛇蝎の如く軽蔑され、

それは正に、あの健康で五体満足だった自分が障害者となり、

それは正に命を除いては無一物の今の僕である。

妹の慈悲に縋り生きる僕である。

 

なのに何故か本人は爽やかである。

なのに何故か本人はひたすらに仏様に勤め励んでいる。

この前自分を鏡の中に見かけたらそこに居たのは、

まるでサバサバと微笑む見たことがない自分である。

 

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走る車を抑える様に

ムラムラと起こる怒りを抑える人

彼を我は御者と呼ぶ

他の人はただ手綱を手にしているだけである

御者と呼ぶには相応しくない

怒らない事によって、

怒りに打ち勝て

良い事によって、

悪いことに打ち勝て

分かち合う事によって、

物惜みに打ち勝て

真実によって、

虚言の人に打ち勝て

真実を語れ

怒るな

壊れたならば

貧しい中から与えよ

これらの3つの事によって、

死後には天の神々の元に至りうるであろう

 

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「怒らない事によって、怒りに打ち勝て」

人は「悟った」とはとんでもなく凄い事だと思っている。

怒りすら生じない人であるべきだと思っていはしないか?

僕は違うと思っている。

ここで仏様が言っている。

怒りは生じても仕方ないのだ。

怒りは御者なくてはいけないのだ。

この章を読んでも仏様は、

何処にも怒りの否定はしていない。

道理として、人は怒るものなのだ。

氷の上に裸で座れば凍傷を負うし、

火の海に飛び込めば火傷を負う。

だが、怒っているのに怒りを抑える。

これほどの苦行は無い。

 

相変わらず僕は日々心を御する事が出来ず、

ほんのひと匙の怒りにも振り回される57歳の大人であるが、

この四畳半の施設の庵で仏教に帰依してからは、

十善戒を日々唱え、

日々己れを戒めている。

それは今までの自分と逆の自分であり、

今までの自分を否定反芻した自分である。

そうする事によってどんな些細な事でも、

そうする事によってどんな大きな事でも、

全て同等に戒めて、

全てを同等に丁寧におさめる事が出来る。

 

①怒らない事によって、怒りに打ち勝て

②良い事によって、悪いことに打ち勝て

③分かち合う事によって、物惜みに打ち勝て

④真実によって、虚言の人に打ち勝て

 

この4つの文章と、その後の文章のどれを指して仏様は「3つ」と言っているのかが分からない。調べて見たがよくわからない。「3つ」と言う言葉の直前の3つと理解しておく。

 

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①真実を語れ

②怒るな

③壊れたならば貧しい中から与えよ

これらの3つの事によって、

死後には天の神々の元に至りうるであろう

 

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最後に、

人の心は何故、

口に出して話す事と、

心の中で話す事が出来るのだろう?

心の中が本心であると思いがちだが、

時として口に出して言った言葉が本心の事もある。

心は時として、口に遅れて理解し説明する。

心は恰も本心を内に宿している様に見せるが、

口に出した方が本心として本心らしい事もある。

心と口は決して足並みが揃っていない。

また、

心とは僕だけのものの様に振舞っているが、

心とは僕だけのものではなく、

心を誰かと共有していると言う思いは、

日を経るに切実となっている。

 

この先の章でブッダがいつ教えてくれるのか、

今から楽しみです。

 

合掌

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