2024年 6月17日月曜日

 

【砂漠化および干ばつと闘う国際デー】(World Day to Combat Desertification and Drought)

1995年の国連総会で制定。国際デーの一つ。

1994(平成6)年のこの日、「国連砂漠化防止条約」が採択された。

砂漠化と旱魃の影響と闘うための国際協力の必要性、および、砂漠化防止条約の実施に対する認識を高める日。

 

【独立記念日 [アイスランド]】

1944年のこの日、アイスランドがデンマークからの独立を宣言した。

 

Cảm ơn

富山いづみ <admin@nnh.to>

 

今回は、何の日のセレクトは2つしか無い。アイスランドも若干興味があるが、この旱魃と、砂漠化と闘うと言う意気込みに押され、いつもこの2つの災害はセットであたかも僕らとは関係が無い見たいに日本に居ては🇯🇵余り感じないが、地球と言う星で何が起こっているのかを真摯に見てみたいと思う。申し訳無いが、洪水ならば少しは詳しいが旱魃には実際に有った事が無い。引用が多く御免だが、まず砂漠化から見よう。

 

砂漠化とは

「砂漠化(さばくか)とは、もともと植生に覆われた土地が、不毛地になっていく現象をいう。 また、ここでいう砂漠は「植物の生育や農業に適さない土地」といった意味が強く、かならずしも乾燥した地域を意味する砂漠気候の「砂漠」を意味しない。

 

ナミビアのナミブ砂漠

一例として、雨が極端に多いために表面土壌が流されて植物が育たなくなったり、適度な雨や灌水、移流霧などの水分の供給があっても流砂や低温、塩化により砂漠化してしまうことがある。

乾燥帯の移動など気候の変化による自然現象としての砂漠化もあるが、人為的かつ大規模な農耕の末に砂漠化してしまった地域は、気候の変化、土壌流出など地表の構造が崩れることから、植生の復活が困難になる例が多い。

砂漠化した土地に緑の植生を取り戻す活動を緑化という。またもともと砂漠であった土地の緑化は砂漠緑化という。ただし、砂漠緑化の失敗を指して砂漠化とは、通常は呼ばない。」Wikipedia

 

砂漠化には我々が好んで探す、その話題での明確な悪者がいない。何というか、それではどうしようかな?と言う時間の余裕を感じる。実際にはそうではないのだろうが、雰囲気はそうだ。例えば、ある森を潰して、ビルやショッピングモールを作り、その街に「グリーン云々」と言う名前を付けて、エスカレーターの横に木を植える。それが、緑化か砂漠化かと言う事だ。緑化とは誰もが意識していて、でも何かズレている様な気がするのは僕だけだろうか?

そして次の旱魃が問題。

 

旱魃とは

「旱魃(かんばつ)とは、が降らないなどの原因である地域に起こる長期間の水不足の状態である。干ばつ、干魃とも書く。は「ひでり」、は「ひでりの神」の意味である。」Wikipedia

 

こちらは、神様が出て来て、その歴史は厳(いかめ)しい。災害にも伝説をかんじる。ほとんど引用になってしまうが、これも真摯な態度の現れである。

 

「魃(ばつ、ひでりがみ)は、中国神話に登場する旱魃の神であり、

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「魃」

特定の神の名ではなく、各地の山川に旱魃を起こす神がおり、それぞれにより姿も性質も異なる[1]。

 

女神の「魃」は、『山海経』の「大荒北経」に記述がある。もとの名は妭(ばつ)。黄帝の娘である。

黄帝が蚩尤と戦った際、蚩尤陣営の風雨を司る雨師風伯に対抗して、体内に大量の熱を蓄えている娘の魃を呼び寄せて対抗した。魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝であったが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなっていた[2][3]。

魃の力はそこにいるだけで周囲に旱魃をもたらす。彼女を処刑することもできないため、やむなく黄帝は彼女を赤水河の北方の係昆山へ幽閉した。しかし魃は時折中原へやってきて旱魃を起こすので、人々は「神よ、北へ帰りたまえ」と言って魃を帰すのだという[2][3]

一説によれば、本来の名の「」は美女の意味だが、人間に害をなすようになってからは、邪悪の意味をこめて部首のに変えられて「」の名が用いられ、これが「旱魃」の語源になったともいう[4]。」Wikipedia

 

「黄帝(こうてい)は、古代中国の伝説上の君主。三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝とされる。また、三皇のうちに数えられることもある。本来は「皇帝」と表記されたが戦国時代末期に五行思想の影響で「黄帝」と表記されるようになった[1][2]。」Wikipedia

 

「古国時代の期間は、の頃までとされる[2]。夏王朝の存在時期(紀元前1920年代〜)[3]と合わせて考えると、紀元前3800年[注釈 1]〜紀元前1920年となる。」Wikipedia

 

なかなか、この皇帝の時代が分からず困ったが、中国紀元前🇨🇳4000年の歴史に到達せんばかりの勢いで、旱魃の神様はこの頃からいたのだ。しかも「」は、別に本人に悪気は全く無くその地方を旱魃に陥れてしまうのだから困ったものだ。

漢字と言う表意文字が有って本当に良かった。これは抜群に優れた文字で、単なる記号の域を超えている。これを時間がかかる、経済発展の足枷になる、なんて考えて簡体化しようなんて、リハビリを受けている障害者の車椅子を電動にする様な物だ。女の部首はいつしか、鬼に代わったのである。その旱魃の所業を見よ

 

「大規模な旱魃

Wikipedia

 

凄い死者の数である。でも僕は最近捻くれて物を見るカミングアウト癖がついていて、例えば「中国四川省、1941年。死者数250万人。」と言う記録は、何処まで高い精度の情報なのかと勘繰ってしまう。純粋に旱魃の被害なのか、人的な被害も入っていはせぬか?と思ってしまう。事の真偽は分からないが、それにしても旱魃は恐ろしい女神様だ。

旱魃と水害は互いに綱引きをしてその被害者数を争う。日本の様な島国に居ながら、余り大きな旱魃も水害も見た事が無いなと思っていたら、数年前、その2つの災害を一瞬にして見せつける津波が東北に来た。

 

今日は、【砂漠化および干ばつと闘う国際デー】。

旱魃と水害がせめぎ合う、災害の日。これに、地震、火山、津波などの災害が有ったとして、それでも人間の人口は増えている事を考えると、クラクラっと眩暈がする日。

 

合掌

 

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