2024/5/5

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

第14章 「ブッダ」/解釈編

 

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忍耐堪忍は最上の供養である

ニルバーナは最高のものであると、

諸々のブッダは説きたまう

他人を害する人は出家者ではない

他人を悩ます人は道の人ではない

罵らず、

損なわず、

戒律に関して己を守り、

食事に関して適当な量を知り、

寂しい所に一人伏し、

座し、

心に関する事に、

勤め励む

これが諸々のブッダの教えである

 

例え貨幣の雨を降らすとも、

欲望の満足される事はない

快楽の味は短くて苦痛である

と知るのが賢者である

 

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「忍耐堪忍は最上の供養である」

今こうして右半身が麻痺し、

以前に比べたら、

行動範囲も限られ、

行動半径も限られ、

身体の回旋半径も限られ、

そうしてやっとわかった事は、

人間はそれでもその範囲内で幸せである。

と言う事だ。

時にその幸せは、

カミングアウト前の、

妻や娘と居るよりも幸せだ。

時にその幸せは、

知り合ったばかりの介助の若者と、

話して居る方が幸せだ。

時にその幸せは、

1人ただ黙々と観音経を唱えている方が幸せだ。

忍耐、堪忍が未だ足らないのだろうか?

少なくとも不自由な思いは以前より少ない。

少なくとも罵りはカミングアウトの時よりは無い。

 

どんなに旅客機の高価なビジネスシートよりも、

どんな高級ホテルの高価な食事よりも、

思索に耽りながら眠りにつく時間が遥かに貴重だ。

そして毎日僕は進化して居る自分を見つけるのが楽しい。

何事にも永遠は無く、

何事にもリピートは無い。

いつか終わりが来る。

その人生の中で常に変化していくのが進化だ。

 

人は言う。

「あの人は今日も窓際で黄昏ている」

と思われているか知らない。

「可哀想」

と思われているか知らない。

「ザマアミロ(ソンナンナー)」

と思われているか知らない。

そう言われている本人は毎日、

鼻呼吸矯正のアイウベ体操と、

目の焦点を合わせる体操その他と、

顎の体操をに励んでいるに過ぎない。

忍耐、堪忍が未だ足らないのだろうか?

 

施設の食事は時に多すぎると感じる時すら有る。

施設の食事を不味いと感じた事が無い。

 

全ては仏教の勤行を行い、

生活を仏教に帰依したことによって起こっている感情だ。

生活を仏教に帰依したことによって感じている幸せだ。

忍耐、堪忍が未だ足らないのだろうか?

本当に、以前より平和な心で居て良いのだろうか?

 

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悟れる者、

仏と、

真理の理、

法と、

聖者の集い、

僧徒に帰依する人は、

正しい知恵を持って、

四つの尊い真理を見る

すなわち、

①苦しみと

②苦しみの成り立ちと

③苦しみの超克と

④苦しみの終わりに赴く八つの尊い道、

八正道とを見る

これは安らかな拠り所である

これは最上の拠り所である

この拠り所によってあらゆる苦悩から免れる

 

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八正道については、

麻痺で倒れる前に、

スライドを作って有ります。

何故作ったのか良く覚えていない。

でも作っておいて本当に良かった。

 

合掌

 

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