2024/5/3

金曜日「登場人物」と言う物語 69

体験①

この物語は徹頭徹尾ノンフィクションである

 

現在この物語は大きく分けて次の2点から交互に視点を変えつつ進行している。

A 熱処理、表面処理、金型、製造の現場

B 某国の女性

前回まで熱処理の話であったので、ここからは女性の話に入りたい。でも、今の僕は仏教に帰依しており、毎日十善戒に戒めており、過去の放逸たる生活をまともに語るのは忍びない。そうかと言って、つまらない3流ポルノを書き綴るのも忍びない。あくまでも真理を希求したい。あくまでも、男にとって女、女にとって男とは謎である。如何に性転換の医術が進歩したと言っても、人と人が謎である以上に男女と言う間柄は更に謎だ。ある意味性転換をする人々は、身を持ってその謎に挑んでいるのかも知れない。僕は経験上その謎に挑みたい。

 

十善戒

「十善戒(じゅうぜんかい)とは、仏教における十悪(十不善業道)を否定形にして、戒としたもの。比丘向けの戒であり[1]、在家者には五戒八戒が存在する。内容は、三業身口意)にそれぞれ3-4-3で対応するようになっている。」Wikipedia

 

「不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。」Wikipedia

 

「道徳(どうとく)は、: morality(: moralitas, 原義は「習慣・適切な振舞い」)の訳語に当てられたものである。漢語における「道徳」は、もともとは中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう[1]。道徳的規範(どうとくてききはん)や道徳性(どうとくせい)ともいう。あるいは類義語倫理(りんり、: ethics、エシクスまたはエシックス)はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。」Wikipedia

 

僕はこの点において紛う事なき犯罪者であり、大きく戒めを離脱して来た者である。だから、倒れてからと言うものは戒めを立てこの2年以上性行為を自律他律共に行なっていない。簡単に言えば夢精も含め射精をしていない。これは真実であり、僕を24時間監視する当局に確認して欲しい。射精しなくても意外に大丈夫なものだと感心している。

ただ一方で、生物としての人間として、実際にある行為には何故そんなオプションを人間が具備するのかに興味がある。有る物を無いとは看過できない。例えば、僕は男性にも関わらず、性感帯が乳首にあり、ここを刺激されると自分が何か単純な物体になり、スイッチ一つで単純に喜んでしまう犬の様である。女性には全く持って何の益もないこの行為が好きで、僕は通常の性行為よりも寧ろこの行為を好んだ。これも不道徳な関係なのだろうか?自慰行為はどうであろうか?このあたりの事を考えながら、ノンフィクションであるこの話を進めたい。

それは、なるべく慎重に思い出して行きたい。それが愛では無かった事は既にカミングアウトで明らかである。上記のような行為をもたらした人に感謝しつつ、そのあたりを控除しつつ進めたい。先ずはオラタイだ。

 

次回へ

 

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