❺愛してる?

❼あたし一人を

❼「好きだ」と言って?

❼夫れネポチズム

❼アベ穿つ恨

 

❺アイシテル?

❼アタシヒトリヲ

❼スキダトイッテ

❼ソレネポチズム

❼アベウガツハン

 

愛の言葉、

或いは夫婦確認の合言葉、

そうそれがネポチズムの始まり。

そうそれがソムチャイワード。

家族経営

家族国家

血縁関係重視

ホンダとソニーはしなかった。

ホンダとソニーは偉かった。

(と聞いている)

 

若い君達は大丈夫?

 

人はやっぱり信用出来るのは家族だけ。

人はやっぱり、他人が嫌い。

でも、その信用の核にあるのはお金だ。

家族さえ、金の切れ目は円の切れ目だという。

金のある者は縁故を託ち、

金の無い者は恨を託つ。

若者に限ってこう言う。

「僕らに限ってそんな事はありません。」

、と。

 

夫れとは

「2 二人称の人代名詞。聞き手に対する敬意をこめて用いる。あなた。

「―はさこそおぼすらめども、己は…とは思ひ侍らず」〈徒然・一四一〉

[感]人に注意を促すときなどに発する語。そら。ほら。「其れ見なさい」「其れ行け」

[接](「夫れ」とも書く)《漢文の「夫」の訓読から》文頭に用いて語調を整える語。そもそも。いったい。

「―山伏と言っぱ、役えんの行者のあとを継ぎ」〈虎清狂・蟹山伏〉[アクセント]はソレ、はソレ。」コトバンク

 

ネポティズムとは

「縁故主義(えんこしゅぎ)またはネポティズム(: nepotism)とは、血縁を持つ縁故者を優先させる態度。

社会学の分野においては、同族・同郷者に限らず同じ共同体に属する人間の意見ばかりを尊重し、排他的な思想に偏る内集団偏向のことを指す。一般に、権力者はしばしば縁故者を自らの側近や部下として配することで知られる。」wikiwand

 

穿つ

「[動タ五(四)]《上代は「うかつ」》

1 穴をあける。掘る。また、突き通す。貫く。「雨垂れが石を―・つ」「トンネルを―・つ」

2 押し分けて進む。通り抜けて行く。

「石は灌木の間を―・って崖の下へ墜おちた」〈鴎外青年

人情機微に巧みに触れる。物事本質をうまく的確に言い表す。「―・った見方」「彼の指摘は真相を―・ってる」

4 袴

はかま

・履物などを身に着ける。履く。

「夏といえども其片足に足袋を―・ちたり」〈子規・墨汁一滴〉

5 新奇で凝ったことをする。

「紋も模様も大きに―・ち過ぎて賤しき場もありしが〈洒・浪花今八卦〉

[補説]3について、文化庁が発表した平成23年度「国語に関する世論調査」では、「うがった見方をする」を、本来の意味とされる「物事の本質を捉えた見方をする」で使う人が26.4パーセント、本来の意味ではない「疑って掛かるような見方をする」で使う人が48.2パーセントという逆転した結果が出ている。

[可能]うがてる」コトバンク

 

統一教会とは

「世界平和統一家庭連合(せかいへいわとういつかていれんごう、ハングル: 세계평화통일가정연합)、通称旧統一教会(きゅうとういつきょうかい)、旧称世界基督教統一神霊協会(せかいキリストきょうとういつしんれいきょうかい)は、文鮮明よって1954年5月1日韓国で創設された新興宗教[9][1][10][11]およびその宗教団体宗教法人)。略称は家庭連合[12](かていれんごう)で、旧略称は統一教会、統一協会[13][14][15]。李承晩時代の反日一辺倒から、1961年5月の軍事クーデターで発足した朴正煕政権以降から用日へと転じた韓国政府に「反共思想」を掲げることで取り入り、大韓民国中央情報部(KCIA)金鍾泌長官の指示で「韓国政府機関」として再組織され、各種親韓反共団体をつくり、軍需産業などビジネスにも進出し、アメリカや日本で韓国ロビー(コリアゲートなど)・政治工作を行った[16][17][18][19][20][21][22]。日本では1964年7月15日に宗教法人の認可を受けた[1]。旧統一教会が日本を狙ったのは経済的動機が大きく、旧統一教会に集まる資金の流入元の約5割から7割は日本からである。冷戦終結後の1991年以降からは敵対していた北朝鮮に接近し、友好関係へ転じた[22][23]。」Wikipedia

 

 

※※※※※

想起

 

❺これは君

❼それは僕だと

❼想起分類

❼レムがいるから

❼語るパイドン

❼レムがいるなら

❾知るアナムネーシス

❾Chúc ngủ ngon.🇻🇳

おやすみなさい😴

チュック ングウ ンゴン

 

❺コレハキミ

❼ソレハボクダト

❼ソウキブンルイ

❼レムガイルカラ

❼カタルパイドン

❼レムガイルナラ

❾シルアナムネーシス

❾チュック ングウ ンゴン

 

僕はここのところ、

毎日毎時毎分毎秒、

自分の脳が🧠何を想起するのかを観察している。

明らかに誰かの刺激による想起は、多分僕だ。

僕の煩悩による刺激は、あくまでもオリジナルな僕だ。

でも、明らかに脈絡の無い反応、思考にこそ注目したい。

所謂「ふと思った」と言う奴だ。

 

これは僕が睡眠に着くと

仕事を始めるレム睡眠君の仕業だ。

僕の中にあるもうひとつの人格だ。

だから我が家では、

睡眠を休息とは呼ばない。

レム睡眠君の働く時間と呼んでいる。

彼のお陰で、

寝る前には思いつかなかった事を思いつき、

寝る前には思い出さなかった事を思い出す、

問題が起こりどうすればいいのか分からない時も、

彼に一晩託せば良い方向に導いてくれる。

哲学音痴の僕に哲学用語を想起させる。

睡眠は哲学ではどうなのかしら?

僕の言ってる事は可笑しいかしら?

あるいは、使い古された茶番かしら?

でも僕は睡眠こそが仏様の言われる、

涅槃への道だと考えている。

脈絡の無い想起は、

意味もなくランダムに、

カードで引かれている訳ではない。

僕の意識上、意識下の要求に応え、

レム睡眠君が、

膨大な記憶のインデックスの中から探し出し、

僕に見せてくれる。

デジャブなどその最たる例だろう。

 

睡眠は決して生き物にとって、

休息の時間だけではない。

チュック ングウ ンゴン

ベトナム🇻🇳のおやすみなさいは、

「祝睡眠」なのだ。

 

レム睡眠とは

「レム睡眠(レムすいみん、: rapid eye movement sleep, REM sleep)は、急速眼球運動(: rapid eye movement, REM)を伴う睡眠である[1]。急速眼球運動睡眠とも呼ばれ、REM睡眠とも表記される。急速眼球運動を伴わない睡眠はノンレム睡眠(: non-REM sleep)または徐波睡眠(じょはすいみん)と呼ばれ、この項ではノンレム睡眠についても記述する。

〜中略〜

入眠時では、通常45-60分以内にノンレム睡眠N1-N3まで達し、やがて約1時間から2時間ほどで徐々に浅くなってレム睡眠になる[1]。以後はノンレム睡眠とレム睡眠が交互に現れ、90-110分のセットで繰り返される[1]。一晩の平均的な 6 - 8 時間の睡眠では 4 - 5 回のレム睡眠が現れる。」

 

Chúc ngủ ngon.とは?

「ベトナム語でおやすみなさい。

Chúc 祝う 祝㊗️の【漢越】語。

ngủ ngon ぐっすり眠る 

ngon 美味しい(おいしい) うまい【漢越】甘言」

右半身のベトナム語知欲ノートより

 

パイドンとは

「『パイドン』では、プラトンはイデア論と組み合わせることである程度「想起」説を発展させている。まず、彼は「想起」はいかにして達成できるのかを周到に考える。『メノン』ではソクラテスの問答法以外に何も提起されていないのに反して、『パイドン』では「カタルシス」(ギリシア語: καθαρσις、罪や汚染からの浄化)を通じて肉体の本性に打ち勝つ生き方を提案している。肉体とその感覚は間違いの源である。知識は理性を使うこと、魂によって物事を熟考すること(ノエシス)によってのみ取り戻せる(66 b–dを参照).

次に彼は、せいぜい真なる信念にすぎないもの(ドクサ)に対して、真の知識はその内容とは区別されることを明言する。常に魂の中にある真理が存在するからこそ人は永遠の真理を知ることができる。例えばロンドンからオックスフォードまでの最短経路のような真なる信念を知っていると大変便利ではあるが、そういった信念が知識の資格を得ることはない。どうしてヒトの魂がそのような偶然的な事実に基づいた命題をいつも知っていることがあろうか?」Wikipedia

 

アナムネーシスとは

「アナムネーシス」は、魂が物質に煩わされるのに優先して自由になることを人間の心が感じられるようになるもっとも手ごろな方法である。復活の過程はネオプラトニズムでは、魂が経験(と、そしてしばしば魂自身の神的な起源)を忘れてしまうような衝撃であるとされる。」Wikipedia

 

デジャブとは

「既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象である。フランス: "déjà-vu"[† 1]よりデジャヴュ、フランス語由来の英語 "déjà vu"[† 2]よりデジャヴ、デジャブ、デジャビュ、デジャビュー、デジャヴー、デジャヴューなどとも呼ばれる。

フランス語の vu (「見る」を意味する動詞 voir の過去分詞)、および、訳語の「視」は、いずれも視覚を意味するものであるが、聴覚触覚など視覚以外の要素もここでいう「体験」のうちに含まれる。既知感ともいう。」Wikipedia

 

※※※※※

告解(confession)

 

❺君何処?

❼闇に手探る

❺藻の花袋

❼少女の願い

❼ギロチンの旅

 

❺キミイズコ

❼ヤミニテサグル

❺モノカタイ

❼ショウジョノネガイ

❼ギロチンノタビ

 

 

藻。

美しい、

東北地方コンケーンの少女。

僕より15歳以上離れた妖精。

身長170センチ、

体重50kgにも満たない僕の夢。

スラッとした鶴の様な、

扁平足の彼女と過ごした数年間は、

全て夢だった。

雲雀と言う一人娘さえ、

全て夢だった。

餅米とソムタムとガイヤーンだけが現実で、

それは病気となって、

身体にずしりと傷跡を残した。

屈託なき7000万国民の英雄。

 

思えば彼女との夜は、

性の放逸に満たされながら、

寝る時は一人ボッチの夜だった。

自らの眠りと鼾の咆哮から醒めて、

暗闇でいつも彼女を、

手探りで探す夜だった。

流石に彼女がいないので、

大声で彼女を呼ぶと、

彼女は10中8、9トイレから現れた。

暗闇にアイフォーンの青白い液晶だけが煌々と、

彼女の白い無地のtシャツを照らした。

一体トイレで何をしていたの?

花袋でも織っていたのかしら?

そう何度も聞こうとして、

この夢が醒めるのが怖くて聞けなかった。

 

そして夢が醒めた時、

彼女の本当の願いが分かった。

それは、不敬罪の旅。

それは、不敬罪と言うギロチンの旅。

それは、不敬罪の告解に至る旅。

ลาก่อน(さようなら)

 

 

蒲団とは

「『蒲団』(ふとん)は、田山花袋の中編小説。日本の自然主義文を代表する作品の一つで、また私小説の出発点に位置する作品とされる[1]。『新小説』1907年(明治40年)9月号、1908年(明治41年)3月号に掲載され、のち易風社から刊行された『花袋集』(1908年)[注釈 1]に収録された[1]。末尾において主人公が女弟子の使っていた夜着の匂いをかぐ場面など、を露悪的なまでに描き出した内容が当時の文壇とジャーナリズムに大きな反響を巻き起こした。」Wikipedia

 

confessionとは

「告解(こっかい・こくかい[1]、ラテン語: confessio (atque poenitentia), 英語: penance (or confession), ロシア語: исповедь)とは、キリスト教の幾つかの教派において、罪の赦しを得るのに必要な儀礼や、告白といった行為をいう。教派ごとに概念や用語が異なっている。カトリック教会および正教では、教義上サクラメントと捉えられているが、聖公会では聖奠的諸式とされる[2]。プロテスタントではサクラメントとは看做されていない[要出典]。

「告解」は明治時代から多くの教派で使われてきた表記であるが、2011年現在ではいずれの教派においても日常的な語彙ではなく、ほとんどの場合で異なる語彙の方が、正式な呼称、もしくは通用性の高い呼称としての扱いを受けている[要出典]。」Wikipedia